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幕間10-1:王太子、その光と影

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

北の離宮での暮らしは、驚くほどに、穏やかだった。

剥奪された王太子という地位。失われた権力。そして、向けられるであろう侮蔑と嘲笑。その全てを覚悟していた私、ライオス・エゼ・フォルトゥナを待っていたのは、ただ、どこまでも続く雪景色と、静寂だけだった。



私は、六歳まで、一人っ子だった。 父王と母后の愛情を一身に受け、この国の未来をその幼き身に託され、そして、次期国王となるべく育てられた。物心ついた時から、私の周りには常に傅役(もりやく)が控え、家庭教師が付き、私の発する一言一句が、未来の王としての資質を測る天秤にかけられているような、そんな日々だった。それが、私の世界の全てであり、疑うことのない、私の運命そのものだった。


ゼノンが生まれたのは、私が六つになった年の、春のことだ。

初めて腕に抱いた弟は、驚くほどに小さく、そして温かかった。私を見上げる、澄んだ青い瞳。ふにゃり、と笑うその顔を見て、私の胸に、これまで感じたことのない、愛おしさという感情が芽生えたのを、今でも鮮明に覚えている。


幼い頃のゼノンは、私の後ろを、いつもちょこちょこと付いて回った。私が剣の稽古をすれば、自分も木の枝を振って真似をし、私が書庫で勉学に励めば、隣で絵本を開いて、私の邪魔にならないように、静かにその時を過ごしていた。愛らしく、そして、私を心から慕ってくれる、たった一人の弟。私は、そんなゼノンが、可愛くて仕方がなかった。


異変の兆しは、ゼノンが四つになった頃から、現れ始めた。


彼は、私が何年もかかってようやく習得した古代語を、数ヶ月で読み解き、宮廷魔術師が数ヶ月を費やすという魔法の理論を、数日で理解してみせた。周りの者たちは、彼を「神童」と呼び、褒めそやした。勉学だけではない。剣を握らせれば、一度見ただけの太刀筋を完璧に再現し、魔法を放てば、同年代の子供たちとは比較にならないほどの力を示した。


次第に、私の耳に、聞きたくない言葉が届くようになった。最初は、侍女たちの、他愛もない噂話だった。それが、いつしか家臣たちの、より明確な評価へと変わっていった。


あの日、私は、聞いてしまったのだ。王城の一角、父王の執務室へと続く、長い廊下で。


「……王太子には、ライオス様よりも、ゼノン様の方が、相応しいのではないか」


「……たしかに。勉学のみならず、剣も、魔法も、ゼノン様の方が、遥かにご優秀だ。王としての『器』が、違うのかもしれんな……」


私は、その場に、凍りついたように立ち尽くした。足元から、自分が築き上げてきた世界が、音を立てて崩れ落ちていくような、そんな感覚だった。


それからだ。私が、ゼノンに対して、歪んだ対抗心を抱くようになったのは。


初めは、純粋に、「負けてたまるか」という気持ちだった。これまで以上に勉学に励み、剣の稽古に没頭した。だが、努力すればするほど、思い知らされるのだ。私と、ゼノンの間にある、絶対的な『才』の違いを。


奴は、天才だった。そして、私は、どこにでもいる、ただの凡人だった。

天才には、どんなに努力しても、敵わない。その、あまりにも無慈悲な真実に気づいた時、私の心は、嫉妬という名の闇に堕ちた。


だが、王太子の座だけは、諦めることができなかった。幼い頃から、私は王になる者として育てられてきたのだ。私も、そのつもりだった。ゼノンが生まれるまでは、それが、誰も疑うことのない、私の未来だったのだから。


実力で敵わないと悟った私は、次第に、正攻法ではないやり方で、ゼノンに対抗するようになった。

御前試合で、ゼノンがまだ習得していない、王家秘伝の剣技を使い、辛くも勝利を収めた時には、「これも経験の差だ」と嘯いた。討論会で、彼の理路整然とした意見に反論できなくなると、王太子という権威を振りかざし、その意見を封殺したことも、一度や二度ではない。


いつしか、王城内は、表向きは穏やかさを保ちながらも、水面下では、王太子ライオス派と、第二王子ゼノン派に、二分されるようになっていた。


私は、焦っていたのかもしれない。ゼノンに負けたくない。その一心で、私は、手を出してはならない領域に、足を踏み入れてしまった。教会原典派の、純粋だが、排他的な思想。軍部の、力こそを信奉する危うい忠誠心。私は、それらを利用することで、自らの地位を盤石なものにしようと画策した。全ては、弟から、私の「居場所」を守るためだった。


そして、あの運命の日。謁見の間での、あの惨劇。

私は、死を覚悟した。この場で死なずとも、反逆者として、断罪されるだろう。私にそのつもりがなかったとしても、誰もそうは見てくれない。私は、王位欲しさに、国を乱した、愚かな王太子として、歴史に名を残すのだ、と。


だが、そうはならなかった。


『岩の紋章』の暗殺者が、私に襲いかかった、あの瞬間。私の人生の全てが、終わったと、そう思ったその時。


閃光のように、その間に割り込んできたのは、私が、ずっと疎み、嫉妬し続けてきた、弟の姿だった。


「ゼノン……お前……。なぜ、俺を助ける……?」


呆然と呟く私に、ゼノンは、ただ、静かに、そして当たり前のように言い放った。


「兄上を助けるのに、理由など、いりますか?」


その言葉に、私は、言葉を失った。彼の胸に去来したのは、驚きか、安堵か、それとも、自らの過ちへの、深い悔恨か。


あの瞬間、私の、長く、そして暗い戦いは、終わりを告げた。


ゼノンは、全てにおいて、私よりも優秀だ。学問も、剣術も、魔法も。そして何より、王としての『器』が。兄を助けるのに、理由はいらない。その、あまりにも単純で、そして絶対的な真理を、私は、なぜ、忘れてしまっていたのだろうか。


私は、喜んで、王太子の座を退こう。あの玉座に相応しいのは、我が弟、ゼノンだ。私は、臣籍降下され、歴史の片隅へと消えていくのだろう。それでいい。


願わくば、いつの日か、私が犯した罪が許される日が来るのならば。その時は、一人の兄として、我が弟、ゼノンを支えることができたら。


今となっては、それは、あまりにも、過分な願いなのかもしれないが……。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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