第196話:王の裁定、兄弟の絆
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謁見の間に吹き荒れた嵐は、その始まりと同じくらい、唐突に終わりを告げた。
ガイウス将軍のクーデターは、俺たちの圧倒的な戦闘力と、ゼノン王子を守る「影」たちの介入、そして何よりも、内部からの裏切りによって、あまりにもあっけなく鎮圧された。主犯であるガイウスと、狂信者サルディウスはその場で拘束され、残りの兵士たちも、武器を捨てて投降した。
剣戟の音が止み、血の鉄錆びた匂いが立ち込める中、謁見の間には重い、重い沈黙が垂れ込めていた。
「……カガヤ殿。皆も、無事か」
第二王子ゼノンが、震える声で俺たちに駆け寄ってくる。その顔は疲労の色が濃く見えたが、瞳には、この国を背負う者としての、強い意志の光が宿っていた。
「ええ、俺たちは。……セレスティア、怪我はないか?」
俺は、傍らで戦いの行方を見守っていたセレスティアの元へ駆け寄った。
彼女は、恐怖を押し殺し、気丈にも俺に微笑み返した。
「はい、コウ。あなたが、守ってくださりましたから」
その言葉に、俺は安堵のため息をつく。クゼルファとセツナも、深手を負うことなく無事のようだ。未だに、警戒を解かずに周囲を見渡している。
全ての視線が、謁見の間の中央で、ただ一人立ち尽くす男へと注がれた。第一王子、ライオス。彼の足元には、兄を庇ってゼノンが切り伏せた、『岩の紋章』の暗殺者が転がっている。
「兄上……」
ゼノンが、絞り出すような声で呼びかけた。
「……一体、どういうことか、お話しいただけますか?」
その問いに、ライオスの肩が、びくりと震えた。彼は、弟の顔を見ることができず、ただ、血の気のない唇をわななかせるだけだった。
「ち、違う……!俺じゃない、俺じゃないんだ……!」
その声は、もはや王族としての威厳など、どこにもなかった。ただ、追い詰められた子供のような、哀れな自己弁護に満ちている。
「誰かの、策略だ!俺は何も知らん!ガイウスが、サルディウスが、勝手に……!」
彼が、見苦しい言い訳を最後まで続けようとした、その時だった。
謁見の間の入り口が、静かに、しかし、有無を言わせぬ威圧感と共に、開かれた。
そこに立っていたのは、病床に伏しているはずの、この国の絶対的な支配者。侍従長の肩を借り、その身は痩せ衰えてはいるが、その瞳に宿る王者の光は、少しも衰えていない。国王、イファルム三世。その傍らには、宰相が、沈痛な面持ちで寄り添っている。
その姿を認めた瞬間、謁見の間にいた全ての者が、凍りついたように動きを止め、そして、反射的にその場に膝をついた。
「……父上……!」
ライオスとゼノンの、驚愕に満ちた声が、同時に響いた。
国王は、侍従長に支えられながら、ゆっくりと、しかし、確かな足取りで、玉座へと向かう。彼は、玉座に座ることなく、その前に立ち、謁見の間に広がる惨状を、その目に焼き付けるように、静かに見渡した。
そして、その視線は、長男であるライオスへと、真っ直ぐに向けられた。
「……ライオス」
その声は、弱々しい。だが、その一言に込められた、父親としての深い悲しみと、王としての冷徹な怒りが、謁見の間の空気を、氷のように凍てつかせた。
「弁解は、聞かぬ。この玉座を巡る、そなたの浅はかな野心と、教会、そして軍部との密約。……全て、聞き及んでおる」
「なっ……!?」
「衛兵」
国王は、短く、そして非情に命じた。
「第一王子ライオスを、反逆者として捕らえよ」
その、あまりにも無慈悲な宣告に、ライオスは、その場に崩れ落ちた。衛兵たちが、彼を取り囲む。
だが、その衛兵たちの前に、一人の男が立ちはだかった。第二王子、ゼノンだった。
その声は、王子のものというより、ただ兄の赦しを乞う、一人の弟の悲痛な叫びにも思えた。
「お待ちください、父上!どうか、どうかご慈悲を!」
彼は、父王の前に膝をつき、必死に懇願した。
「兄上もまた、この国を憂うが故の行動でした。その方法は、確かに正しいとは言いがたいかも知れません……。しかし、兄上は、ただ、父上が築き上げたこの国の秩序を、誰よりも守りたかったのです!その純粋な想いを、サルディウスやガイウスに利用されたに過ぎません。どうか……どうか、寛大なご処置をお願いいたします!」
弟が、自分のために頭を下げている。その光景が、崩れ落ちたライオスの瞳に映る。これまでずっと無碍にし、時には疎んじてさえきた弟が、今、自分と父王との間に立ちはだかり、必死に自分を守ろうとしている。その事実に、彼の心の奥底で、硬く凍てついていた何かが、音を立てて砕け散った。嗚咽が、その唇から止めどなく溢れ出した。
国王イファルム三世は、しばらくの間、黙ってゼノンの言葉を聞いていた。その視線は、懇願する次男と、嗚咽する長男とを、交互に行き来する。やがて、彼は、この国の全ての重みを背負うかのような、深いため息をつくと、衛兵たちに、下がるよう命じた。
「……ゼノンの言葉に免じ、拘束はせんでおこう。だが、ライオス。そなたには、自らの犯した罪の重さを、その身をもって償ってもらう。王太子位を剥奪の上、北の離宮にて、無期限の謹慎を命じる」
それは、王族としては、死刑にも等しい判決だった。だが、ライオスは、その沙汰を、静かに受け入れた。彼は、ゆっくりと立ち上がると、震える足で、弟であるゼノンの前に立った。そして、これまでの人生で、一度も見せたことのないような、穏やかな、そして諦念に満ちた顔で、微笑んだ。
「……ゼノン。……すまなかった」
その、たった一言に、彼の、これまでの葛藤と、後悔と、そして弟への、不器用な愛情の全てが、込められているようだった。
「王太子の座は、俺には、すぎた器だったようだ。……父上。どうか、このゼノンに、この国の未来を、お託しください。こいつならば、きっと……」
ライオスは、最後まで言い切ることなく、静かに、衛兵たちに連れられて、謁見の間を後にした。
後に残されたのは、王として、そして父として、あまりにも過酷な決断を下した国王と、兄の想いを一身に背負い、この国の未来を託された、若き王子の、重い、重い沈黙だけだった。
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