第192話:王宮討論会の行方
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聖女セレスティアが王都アウレリアに到着したという報せは、厳戒態勢下の街を、一陣の風のように駆け巡った。
彼女の帰還は、第一王子ライオス派にとっては計算外の圧力となり、ゼノン王子派にとっては、逆転の希望を灯す一筋の光となった。
セレスティアはソラリスからの調査団と共に、王城の一室に滞在が許された。表向きは「神託の真偽を確かめる」ためのものであったが、その実態は軟禁に近く、第一王子派の厳しい監視下に置かれている。俺たちは、彼女と直接連絡を取ることもままならなかった。
隠れ家である織物工場の跡地で、俺は苛立ちを隠せずにいた。
「くそっ、セレスティアがすぐそこにいるというのに、手も足も出せないとは……。このまま黙って見ているくらいなら……!」
そこまで言いかけた俺の言葉を、静かな、しかし有無を言わせぬ響きで遮ったのはセツナだった。
「お待ちください、カガヤ様。無謀な考えは、お止めください」
冷静なセツナの声が、俺の焦りを諌める。
「王城の警備は、以前とは比べ物になりません。特にセレスティア様が滞在されている西塔は、第一王子派の精鋭中の精鋭が固めています。鼠一匹這い出る隙もありません」
「では、どうするというのですか!このまま、指を咥えて見ているだけだと?」
大剣の手入れをしていたクゼルファが、苛立たしげに顔を上げた。彼女の言う通り、このままではジリ貧だ。
「いや」
俺は首を横に振る。
「セレスティアが危険を冒して作ってくれたこの機会を、無駄にはできない。確かに下手に動けば、奴らに格好の口実を与えるだけだ。……だが、策がないわけではない。奴らが俺たちを公の場に引きずり出したいのなら、その土俵に、堂々と上がってやるまでだ」
俺はすぐさまセツナを呼び、この策をゼノン王子に伝えるよう指示した。俺たちの意図を汲んだゼノン王子の動きは、迅速だった。
彼は、セレスティアの帰還という絶好の機会を逃さず、すぐさま次の一手を打った。摂政である兄ライオスに対し、宰相をはじめとする王宮の重鎮、そして四大公爵家の当主たちの前での「公開討論会」の開催を正式に要請したのだ。
議題は、ただ一つ。「異邦人カガヤの『理術』と、聖女セレスティアの『神託』は、王国にとって恩恵か、災厄か」。
ライオス王子は、これを好機と捉えた。自らの正当性を、王国の支配者たちの前で公に示す、絶好の機会だと。彼は、ゼノンの要求を傲然と受け入れた。病床に伏す国王陛下は、もちろんこの討論会に出席することはできない。空位の玉座が見下ろす謁見の間が、俺たちの、そしてこの国の、いや、この世界の運命を決める舞台となった。
◇
討論会当日。王城の大謁見の間は、刺すような緊張感に満ちていた。
磨き上げられた大理石の床に、ステンドグラスから差し込む光が複雑な模様を描き出している。上座には、国王に代わって摂政であるライオス王子が座り、その隣には、教会原典派の筆頭であるサルディウス異端審問官が、蛇のような冷たい瞳で控えている。
向かい合うように、ゼノン王子が席に着き、その隣に、俺とセレスティア、そして護衛役のクゼルファが並んだ。俺たちを取り囲むように、王国の宰相、各省の大臣、そして東西南北を治める四大公爵家の当主たちが、固い表情で成り行きを見守っている。
「では、これより、公開討論会を執り行う」
ライオス王子の、硬質な声が響き渡る。
「議題は、我が弟ゼノンが庇護する異端者カガヤ、そして、その異端者に惑わされたとされる聖女セレスティアが、この王国にもたらす影響について。……まず、ゼノン。お前から意見を述べよ」
ゼノンは、静かに立ち上がると、居並ぶ重鎮たちを一人一人見回し、そして、兄であるライオスを真っ直ぐに見つめた。
「兄上、そしてご列席の皆様。私がカガヤ殿を庇護するのは、彼が持つ『理』が、この王国に、いえ、この世界に、新たな光をもたらすと信じているからです。それは、神の秩序を乱す異端などでは断じてない。むしろ、神が創りたもうたこの世界の、真の姿を解き明かすための、新しい知識なのです」
その言葉に、サルディウスが鼻で笑う。
「では、その『知識』とやらを、我々にも示していただこうか。異端者カガヤよ」
全ての視線が、俺に集中する。俺は、静かに立ち上がると、一礼した。
「私が使う力は、皆さんにとっては魔法のように見えるかもしれません。ですが、これは『理術』……すなわち、この世界の法則を観測し、解き明かし、それを応用する技術です。その本質は、物事を正確に観測し、分析し、そこに介在することにあります」
俺は従者に合図を送り、謁見の間の中心に広げられた大きなテーブルに、二枚の巨大な羊皮紙を広げさせた。それは、アイが収集した探査データを元に、アルカディア号のデュプリケーターで羊皮紙に出力し、ステルスドローンで密かに運び込ませた、この世界の技術ではありえないレベルの、極めて精密な王都アウレリアの地図だった。
その地図が広げられた瞬間、謁見の間に、これまでとは質の違うどよめきが広がった。軍務大臣や公爵家の当主たちは、そのあまりにも精密な地図の出来栄えに目を見張り、その戦略的価値を瞬時に理解して息を呑む。宰相はこめかみに指を当て、これがどれほどの情報的優位性をもたらすものか、政治的な駆け引きの天秤を頭の中で動かしている。第一王子ライオスでさえ、一瞬、その眉をひそめたが、すぐにそれを侮蔑の表情で塗り固めた。
「皆様の中にも、魔素……魔力の流れを感じ取れる方がいらっしゃるでしょう。今、この王都で、その流れが異常な乱れを見せていることも。ですが、それはあくまでも肌で感じる、曖昧な感覚でしかない。……ここに、その『感覚』を、誰もが理解できる『事実』として図示したものがあります」
俺は、一枚目の地図を指し示した。そこには、王都の街並みの上に、青く美しい、無数の流線が描かれている。それは、まるで都市の血管のように、秩序正しく、そして穏やかに流れていた。
「これが、数ヶ月前までの、平時の王都の魔素の流れです。安定的で、調和が取れている。いわば、健康な状態です」
次に、俺は二枚目の地図を指した。列席していた貴族たちが、息を呑むのが分かった。二枚目の地図に描かれた流れは、一枚目とは似ても似つかぬ、禍々しい姿へと変貌していた。王城の真下、その一点から、まるで蜘蛛の巣のように黒く淀んだ線が迸り、正常な青い流れを侵食し、不規則で、病的な模様を描き出している。その光景は、健康な身体を蝕む、悪性の腫瘍を想起させた。
「なっ……!?」
「これが……今の王都の……!」
列席していた宮廷魔術師や、魔素に敏感な貴族たちが、蒼白な顔で息を呑む。
「これは、奇跡でも魔法でもありません。魔力というエネルギーの流れを、客観的なデータとして観測し、可視化したに過ぎないのです。ですが、このデータが示す事実は、ただ一つ。王都の地下深くに眠る何かが、外部からの干渉によって、強制的に活性化させられ、暴走寸前にあるということです。これこそが、王国が今、直面している真の危機です。俺の『理術』は、このように、目に見えぬ脅威の正体を暴き、それに対処するための、極めて論理的な技術なのです」
俺の言葉に、多くの大臣や公爵が、恐怖と驚愕の入り混じった表情で、互いに顔を見合わせている。だが、サルディウスは、その表情を一切変えない。
「……戯言を。神聖なる魔力の流れを、あたかも測量できるかのように描き、人心を惑わすとは。その傲慢さこそが、神の理を蔑ろにする異端の証よ。貴様が弄しているのは、地図などではない。王国への、そして神への冒涜そのものだ!」
サルディウスの断罪に、何人かの貴族が同調するように頷く。俺は、これ以上何を言っても無駄だと判断し、静かに席に戻った。俺の役割は、あくまでも『理術』が未知の魔法ではなく、論理的な技術であると示すこと。その目的は、果たしたはずだ。
ライオス王子が、冷たい視線で俺を一瞥すると、次にセレスティアへとその視線を移した。
「異端者の戯言は、そこまでだ。次に、聖女セレスティア。そなたがソラリスで受けたという『神託』とやらについて、我らに説明せよ」
その言葉を受け、セレスティアが、静かに立ち上がった。その凛とした姿に、謁見の間の空気が、再び引き締まる。
「私がソラリスで受けた神託は、カガヤ様の言葉を裏付けるものでした」
彼女の声は、聖女としての、揺るぎない威厳に満ちていた。
「我が母は、告げておられます。この世界が、今、大きな危機に瀕していると。王都の地下で、大地の怒りが目覚めようとしていると。それは、神の罰などではありません。我々が、この世界の理を忘れ、その声に耳を傾けなかったことへの、当然の報いなのです」
「聖女よ!お前も、その異端者に惑わされたか!」
サルディウスが、激昂したように叫んだ。
「その神託、本当に『我らが母』からのものと申すか!隣にいる異端者の言葉を鵜呑みにし、偽りの御託宣を述べているのではないのか!」
そして、それまで黙って玉座に座っていたライオス王子が、ついに口を開いた。その声は、弟への失望と、秩序を乱す者への、冷たい怒りに満ちていた。
「……もう、よいだろう」
彼は、俺とセレスティア、そしてゼノンを、軽蔑したような目で見下ろした。
「そやつらの言葉は、全て、神の秩序を、そして我が父王が築かれたこの国の安寧を乱すための、甘言に過ぎん。カガヤの『理術』など、人の目を惑わすまやかしに過ぎん。そして、それに惑わされた聖女の神託など、聞くに値せん!」
「兄上!」
ゼノンが、悲痛な声を上げる。だが、ライオスの決意は、固かった。
「よって、ここに宣言する!カガヤを異端者として拘束し、聖女セレスティアには、その身の潔白が証明されるまで、神殿での謹慎を命じる!そして、それに与した我が弟、ゼノンにも、相応の罰を与え……」
ライオスが、その判決を最後まで言い切ろうとした、まさにその時だった。
「――お待ちください、ライオス殿下」
謁見の間の入り口から、凛とした芯の通った女の声が響き渡った。
その声に、ライオスは不快げに眉をひそめ、声の主を睨みつける。黒い装束に身を包み、フードを目深に被ったその女は、居並ぶ重鎮たちの間を、一切物怖じすることなく、静かな足取りで進み出てきた。
「何やつ!無礼であろう!」
宰相が怒りの声を上げる。
「衛兵!何をしている!早くこの者を捕らえよ!」
軍務大臣が叫び、屈強な衛兵たちが、一斉に女を取り囲んだ。
だが、女は少しも動じない。その視線は、ただ真っ直ぐに、上座に座るのライオスを見据えている。謁見の間が、騒然とした空気に包まれた、その時だった。
「――待て」
静かだが、有無を言わせぬ威厳を込めた声。その声の主は、ゼノン王子だった。彼は、ゆっくりと立ち上がると、騒ぎ立てる重鎮たちを制した。
「その者は、私の部下だ。私が、この場に呼んだ」
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