第189話:二人の王子
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王都アウレリアに潜入してから、数日が過ぎた。俺たちはセツナが手配した隠れ家――かつては忘れられた民が密かに利用していたという、古い織物工場の跡地――に身を潜め、息を殺すようにして機会を窺っていた。街は第一王子ライオス派の騎士たちによって厳重に警備され、夜間外出禁止令まで敷かれている。まるで戒厳令下のようだ。
そんな息詰まるような状況の中、俺たちの諜報の要であるセツナは、水を得た魚のようにその能力を発揮していた。彼女はかつての「影」としての技術と情報網を巧みに組み合わせ、第一王子派の監視の目を掻い潜り、王都のあらゆる情報を収集していく。
「カガヤ様。今夜、機会があります」
ある日の夕暮れ、潜入調査から戻ったセツナは、いつもの冷静な表情の奥に、確かな手応えを滲ませていた。
「今夜、第二王子ゼノン殿下は、王城の書庫で、古文書の整理を行うという名目で一人になられる、と。警備は手薄になります。密会するには、絶好の機会かと」
「……よくやった、セツナ。さすがだな」
俺の称賛に、彼女は「任務ですので」とだけ返し、静かに頭を下げた。その横顔に浮かぶのは、影としての無感情ではなかった。それは、仲間から信頼されることへの、確かな誇りだった。
その夜、俺はセツナの案内で、王城の地下に張り巡らされた古い水路を通り、王城への潜入に成功した。月明かりさえ届かない、完全な闇。だが、セツナにとっては、庭を散歩するのと何ら変わりないようだった。
書庫の一室で待っていた第二王子ゼノンは、俺の姿を認めると、安堵と、そして隠しきれない焦燥が入り混じった表情で駆け寄ってきた。
「カガヤ殿!よくぞ来てくれた……!君の助力に、感謝する。」
「いえ、とんでもありません殿下。それより……殿下。状況を詳しくお聞かせ願えますか」
俺がそう言うと、ゼノンは「もちろんだとも」と言いながら状況を語り出した。
ゼノンの口から語られた王都の現状は、手紙の内容以上に深刻だった。
第一王子ライオスは、教会保守派、特に筆頭異端審問官サルディウスの進言を鵜呑みにし、彼らの傀儡と言っても良いほどだった。ライオス自身は、父王が築いた秩序を守るという純粋な正義感から行動しているつもりなのだろう。だが、その純粋さ故に、サルディウスたちの野心を見抜けずにいる。
「兄上は、私が君のような『異端者』を庇護し、王家の権威を貶めたと信じ込んでいる。そして、サルディウスは、その兄上の信頼を盾に、教会内の探究派やどちらの派閥にも属してないような穏健派、そして、私に与する貴族たちを、次々と要職から追放している。このままでは、この国は、教会の原典派が支配する、狂信的な神権国家へと堕ちてしまうだろう」
ゼノンの声には、兄への失望と、国を憂う王子としての苦悩が、深く滲んでいた。
「ライオス殿下は、なぜそこまで……」
俺の問いに、ゼノンは自嘲するように、小さく笑った。
「……嫉妬、だろうな。私に対する、そして、君のような規格外の力を持つ者に対する。兄上は、努力の人だ。幼い頃から王太子として、帝王学を叩き込まれ、誰よりもこの国の法と伝統を重んじてきた。だが、その真面目さが、時に彼の視野を狭める。彼は、法や伝統という『型』にはまらないものを、理解できないのだ。そして、理解できないものを、恐れている」
それは、あまりにも人間的な、兄弟の物語だった。保守的で秩序を重んじる兄と、改革的で新しい「理」に可能性を見出す弟。二人の対立の根源にあるのは、どちらが正しいか、という単純な問題ではない。王国という巨大な船の舵を、どちらの方向に切るべきかという、根本的な思想の違いなのだ。
「カガヤ殿。君の力を貸してほしい。兄上の目を覚まさせ、サルディウスの陰謀を打ち砕くために。君ならば、それができると私は信じている」
ゼノンの懇願に、俺は静かに頷いた。
「ええ、もちろん協力します。ですが殿下、そのためにはまず、私たちが今、何と戦おうとしているのか、その本質を理解していただく必要があります」
「本質……?」
「ええ。この王都で起きていることは、単なる権力闘争ではありません。もっと大きな……この星全体の運命に関わる、巨大な物語の、ほんの一部分に過ぎないのかもしれないのです」
俺は、ゼノンの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。そして、俺がソラリスで得た、この星の運命に関わる、あまりにも巨大な真実を、彼に語り始めた。
古代AI『マザー』の存在、惑星に迫る『終焉』の危機、そして、王都の地下に眠る遺跡をはじめとする、この世界中に点在するであろう遺跡が、その危機を回避するための重要な鍵であること。
俺の話を聞き終えたゼノンは、しばらくの間、言葉を失っていた。その表情は、驚愕から、困惑へ、そして最終的には、一つの大きな覚悟へと変わっていった。
「……そうか。我らが対峙しているのは、単なる権力闘争などではなかったのだな」
彼は、天を仰ぎ、深いため息をついた。そして、再び俺の目を見ると、その瞳には、もはや王族としての迷いはなかった。
「カガヤ殿。君の言うことが真実ならば、もはや一刻の猶予もない。この国の、いや、この世界の未来が、我々の双肩にかかっている。……改めて、誓おう。このゼノン・エゼ・フォルトゥナ、我が身と、王家の全てを懸けて、この世界を守らんとする君の行動に協力しよう」
「感謝します、殿下」
俺もまた、彼に深く頭を下げた。
「私も約束します。殿下の、そしてこの国の危機を救うため、俺のできうる限りを尽くしましょう。商人として、そして、あなたの友として」
その夜、王城の片隅で、異邦の商人と若き王子は、固い、固い握手を交わした。それは、この国の、そしてこの星の、新しい夜明けを創るための、秘密の盟約だった。
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