第21話:聖樹の雫
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※ タイトル変更しました。(旧タイトル:宇宙商人の英雄譚)
洞窟の中、パチパチと音を立てて燃える焚き火の炎が、俺とクゼルファの顔を交互に照らし出す。彼女の体調は、見たところすっかり回復していた。医療用ナノマシンによる治療と、栄養価の高い魔獣肉の食事。その効果は、この世界の常識を遥かに超えるものだったのだろう。
言葉の壁が、かなり低くなった今、聞くべきことは一つだった。
「クゼルファ、教えてくれ。君は、なぜ、あんな危険な森の奥にいたんだ?」
俺の問いに、クゼルファの表情から、ふっと笑みが消えた。彼女は、一瞬迷うように視線を落とし、揺れる炎を見つめた。その目は、遠い過去を思い出すかのように、わずかに潤んでいる。やがて、彼女は深呼吸をして、何かを振り切るように覚悟を決め、俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「はい、カガヤ様。お話しします。……実は、不治の病に冒されている少女がいるのです」
その声は、か細く、しかし、芯の通った響きを持っていた。
「彼女は、私にとって……血の繋がりこそありませんが、たった一人の、大切な家族のような存在なのです」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。不治の病……。彼女の服装や装備から想像するに、この惑星の医療技術は、それほど進んでいないのかもしれない。
「その病は、どういうものなんだ?」
俺が尋ねると、クゼルファは悲痛な面持ちで続けた。
「その病は、『魔力枯渇病』と呼ばれています。患者の体内にある魔力が、徐々に、しかし確実に減っていくのです。いずれ、魔力が完全に枯渇し、命の灯火が消えてしまう……。ごく稀に、生まれつき多くの魔力を持つ人間にのみ発症する、呪われた病です。一度発症すれば……助かった者はいません」
クゼルファの声は、絶望に震えていた。その言葉の重みが、俺の心にずしりと響く。
「魔力が、減っていく……?」
《マスター。この惑星における『魔力』とは、私たちが『魔素』と呼んでいるエネルギーと、ほぼ同義であると推測されます。生体活動を維持するための、根源的なエネルギー。その枯渇は、生命機能の完全な停止に直結するのでしょう》
アイの冷静な分析が、彼女の言葉の深刻さを裏付けた。つまり、体内のエネルギーが尽きて死に至るということか。それは、地球連邦の病気で言えば、進行性の多臓器不全や、回復不能な代謝異常疾患のようなものだろうか。
「病気の原因は、分かっているのか?」
「はい。医者や、高位の魔法使い様方の見立てでは、体内の魔力を生成し、貯蔵する器官、『魔力臓』の不調が原因だとされています。ですが、なぜ不調に陥るのか、そして、どうすれば治せるのか、その方法は、今のところ誰にも……。対処療法として、外部から魔力を補給する試みも行われましたが、それは、穴の空いた器に、ただ水を注ぎ続けるようなものでした……」
クゼルファの声は、絶望に満ちていた。その瞳には、かつて俺が墜落直後に抱いた、「諦め」の感情が再びよぎる。
《マスター。彼女の言う『魔力臓』とは、我々が魔獣の体内から発見した、魔素を結晶化・貯蔵する器官と、同一のものである可能性が極めて高いです。人間にも、同様の器官が存在する、ということになります》
〈だろうな……〉
「なぜ、一人で、この危険な森に来たんだ? 仲間はいなかったのか?」
俺の問いに、クゼルファは少し躊躇いを見せた後、決意を秘めた目で俺を見た。
「この病を治す唯一の希望と言われているものが、一つだけあるのです。それは、『聖樹の雫』と呼ばれる、特別な薬草……。古くからの言い伝えでは、この『魔乃森』の、最も魔素が満ちる場所にしか自生せず、数百年、あるいは数千年もの間、大地から膨大な量の魔素を吸い上げ、その葉に凝縮したものだと……。その聖樹の雫には、枯渇した魔力臓を再び活性化させる、奇跡の力があると言われています」
「聖樹の雫……」
「はい。ですが、この森には、ご存知の通り、凶悪な魔獣が蔓延っています。覚悟はしていました。ですが……私一人では、やはり無理でした。何日も、何日も探し続けましたが、見つけるどころか、強力な魔獣に襲われ、命からがら逃げ惑うのが精一杯でした。そして、あの時……カガヤ様に助けていただいたのです」
クゼルファは、拳を握りしめ、悔しそうに顔を歪めた。その姿から、彼女がその少女のために、どれほどの覚悟を持って、この死の森に、たった一人で足を踏み入れたかが、痛いほど伝わってきた。
《マスター。興味深い情報です。『聖樹の雫』……その特徴を、より詳しく聞き出してください。観測網のデータに、該当する植物が存在するかもしれません。この惑星の生態系と『魔素』の関連性を解明する上でも、非常に重要なサンプルとなる可能性があります》
アイが脳内で俺に促した。彼女の探究心は、こんな状況でも健在らしい。だが、確かに、ヘイムダルの一部だとしても復帰している今、アイのデータベースに情報があれば、闇雲に探すよりも、探索の難易度は格段に下がる。
「聖樹の雫、どんな特徴があるんだ? 見た目とか、育つ場所とか」
俺の言葉に、クゼルファはハッとしたような表情を見せた。諦めかけていた希望の光を、再び見出したかのように。
「え、ええと……言い伝えによると、それは深い緑色の葉を持ち、夜になると、葉脈に沿って、わずかに青白い光を放つとされています。そして、強い魔力が満ちる場所にしか育たないと……」
クゼルファが、必死に覚えている限りの情報を、俺に伝えてくれる。その間にも、アイは彼女の言葉を音声データとして解析し、ヘイムダルが収集した膨大な植物データベースと、照合しているのが脳内で分かった。
《マスター。照合完了。現在の情報で、可能性のある候補が複数検出されました。特に高濃度の魔素反応を示すエリアに、酷似した植物の群生が確認されています》
アイの報告に、俺は思わず息を飲んだ。まさか、そんな偶然があるとは。いや、偶然ではない。アイの探査能力と、この星の「魔素」の分布を科学的に解析した結果だ。
「本当か!? それは、どこだ!」
俺は、思わず前のめりになって、口に出してしまった。クゼルファは、俺の剣幕に、驚いた表情でこちらを見つめている。
《マスター、正確な位置座標を転送します。しかし、そのエリアは、アルカディア号から北西へ約30キロ。これまでの探索範囲の中でも、特に危険なエリアです。高濃度の魔素に引き寄せられた、強力な魔獣が生息している可能性が極めて高いと予測されます》
アイの忠告はもっともだ。だが、目の前のクゼルファの、希望に満ちた瞳を見れば、行かないという選択肢は、俺の中にはなかった。
「分かった。探しに、行こう」
俺の言葉に、クゼルファの顔が、パッと明るくなった。その喜びように、俺の胸にも、温かいものが広がる。しかし、彼女はすぐに、申し訳なさそうな表情になった。
「あ、ありがとうございます……! でも、私のような者のために、カガヤ様を、これ以上危険な目に遭わせるわけには……」
クゼルファは、震える声でそう言った。その表情には、感謝と同時に、俺にこれ以上の負担をかけていることへの、強い罪悪感が入り混じっていた。
「迷惑じゃない。俺も、その『聖樹の雫』とやらに、興味があるんでね」
俺は、彼女の顔を見て、できるだけ穏やかな笑顔でそう答えた。正直なところ、彼女の感謝が嬉しかった。そして、この惑星で初めて出会った人間を助けることが、この孤独な世界で、俺自身の心を救うことになるような気がした。
「……はい!」
クゼルファは、再び瞳を輝かせ、力強く頷いた。その目には、もう絶望の色はない。確かな希望の光が宿っていた。
〈アイ。そこに向かう。可能な限りの準備をしてくれ〉
《了解しました、マスター。エネルギー再計算、経路最適化を開始します》
俺は、アイにそう指示を出しながら、これから始まる新たな冒険に思いを馳せた。
聖樹の雫を求めて、危険な森の奥へ。それは、クゼルファの希望のためであり、同時に、俺がこの星で生き抜くための、大切な一歩となる。そんな予感がしていた。
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