第184話:帰還、祝宴、そして仲間
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ストック減少のため、暫く1日1話更新とさせていただきます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
シエルへと続く街道を西へ。あの丘陵地帯でのクゼルファとの運命的な再会から、さらに数日が過ぎていた。俺の愛馬『コスモス』の隣では、クゼルファが商人から譲り受けたという葦毛の馬が、軽快な蹄の音を響かせている。
当初の目的であった大陸中部の情勢調査は、彼女との合流により、思わぬ形で中断されることになった。だが、不思議と焦りはなかった。むしろ、一人で情報を集めるよりも、彼女という確かな「戦力」と「情報源」が加わったことで、今後の旅路に、より確かな手応えを感じていた。
「それにしても、カガヤ様。あなたのそのお力、ますます磨きがかかっていますね」
野営の焚き火を囲みながら、クゼルファが感嘆の声を漏らす。彼女の鳶色の瞳には、野盗を一瞬で無力化した俺の『理術』への、純粋な畏敬の色が浮かんでいる。
「少しは、な。この世界にも慣れてきたということだろう」
俺は、焚き火で炙った干し肉を齧りながら、ぶっきらぼうに答えた。彼女にはまだ、アイの存在も、俺が異星人であることも、話してはいない。どこまで話し、どこから隠すべきか。その線引きに、俺自身がまだ迷っていた。
「慣れ、だけで、あれほどまでのことが……。私には、とてもそうは思えません」
クゼルファは、納得いかない様子で首を傾げる。彼女の真摯な眼差しから逃れるように、俺は夜空を見上げた。二つの月が、静かに俺たちを見下ろしている。
再会からの数日間、俺たちは多くのことを語り合った。クゼルファが、俺を追って王都へ、そしてソラリスへと旅を続けていたこと。俺が不在のヴェリディアで、彼女の仲間たちが変わらず元気にやっていること。そして、俺がソラリスで何を見、何を知ったのか。もちろん、話せる範囲で、だが。
俺の話を聞くクゼルファの表情は、驚き、怒り、そして悲しみと、目まぐるしく変わっていった。だが、彼女は決して俺の言葉を疑わなかった。ただ、真っ直ぐに受け止め、そして、こう言ったのだ。
「やはり、私は間違っていなかった。あなたは、この世界の理を、より良い方向へと導くために現れた御方なのだと、私は信じていました」と。
その、あまりにも純粋で、揺るぎない信頼が、俺の心を温めると同時に、見えない鎖のように、俺の自由を縛る感覚もあった。
その夜も、俺たちは焚き火を囲みながら、他愛もない会話を交わした。クゼルファはシエルでの俺の商会の話に興味津々で、俺もまた、彼女が語る冒険者としての経験談に耳を傾けた。穏やかな時間が流れる。
翌朝、俺たちは野営地を片付け、再び西を目指して出発した。
そこからさらに数日、旅は続いた。街道は次第に人の往来が激しくなり、遠くから来たであろう異国の商人たちの姿も目立つようになる。そしてついに、乾いた平原の向こう、地平線の先に、巨大な城壁都市のシルエットが、陽炎の中に揺らめいて見えた。長い、本当に長い旅だった。俺の心に、故郷と呼べる場所へ帰るかのような、懐かしさと高揚感が込み上げてくる。
シエルの巨大な西門をくぐった瞬間、俺たちは情報の洪水に飲み込まれた。
「やはり、シエルは活気があって良いな」
数ヶ月ぶりに見るその光景は、以前にも増して混沌と、そして生命力に満ち溢れていた。天を突くように不規則に伸びる石と鉄の建造物。その間を、人、獣人、エルフ、ドワーフが、まるで濁流のように行き交っている。様々な言語が入り混じった喧騒、香辛料と汗と得体の知れない料理の匂い。
「ここが……自由交易都市シエル……。噂には聞いていましたが、これほどとは……」
隣を歩くクゼルファが、圧倒されたように呟く。彼女が育ったヴェリディアや、秩序を重んじる王都とは、あまりにも違う。だが、その瞳には、戸惑いよりも先に、冒険者としての好奇心が、きらきらと輝いていた。
俺たちは馬を降り、人波をかき分けるようにして、北西区画にある俺たちの「家」を目指した。スラム街の入り口に差し掛かった時、俺は、その光景に我が目を疑った。
かつて淀んだ空気が支配していたその場所には、見違えるほどの活気が満ち溢れていた。旅立つ前に改築した工房は、さらに増築され、周囲の崩れかけた建物も美しく修繕されている。路地には清潔な水路が通り、子供たちの元気な笑い声が響き渡っている。そして、工房の入り口には、俺がデザインした『未来を示す日の出』の紋章が刻まれた看板が誇らしげに掲げられていた。
「カガヤ!」
俺たちの姿を最初に見つけたのは、工房の前で帳簿をつけていたリコだった。彼女は、驚きに目を見開くと、次の瞬間には、帳簿を放り出して、弾丸のような勢いでこちらへ駆け寄ってきた。
「カガヤ! 本物!? 本当に帰ってきたのかい!?」
「ああ。ただいま、リコ」
俺の胸に飛び込んできた小さな身体を、俺は力強く抱きしめた。彼女の背中を叩くと、いつもは勝ち気なその声が、涙で震えているのが分かった。
「遅いよ……。遅すぎるじゃないか、馬鹿……!」
「悪かった」
リコの叫び声を聞きつけて、工房の中から、仲間たちが次々と姿を現した。
「カガヤ様!」
最初に現れたのは、セツナだった。彼女は、俺の姿を認めると、一瞬だけ、その涼やかな瞳を安堵に潤ませたが、すぐに最高執行責任者としての冷静な表情に戻り、深々と頭を下げた。だが、その声は、隠しきれない喜びに震えていた。
「兄ちゃん!」と叫びながら駆け寄ってくるレオ。工房の奥からは、屈強な体躯を揺らし、無言の内に帰還を喜ぶギドの姿もあった。
「おかえりなさい、カガヤ様!」
「待ってたんだぜ、カガヤ!」
忘れられた民たち、孤児たち。工房の仲間全員が、俺の帰りを、まるで家族の帰りを祝うかのように、満面の笑みで迎えてくれた。
「みんな……。ただいま」
俺の胸に、熱いものが込み上げてくる。この光景が見たかった。この温かい場所に、俺は帰りたかったのだ。
工房の仲間たちと感動の再会を果たした後、俺はまず、隣に立つクゼルファを皆に紹介した。
「みんな、聞いてくれ。彼女はクゼルファ。俺がこの世界で、右も左も分からず、魔の森を彷徨っていた時に、初めて出会った仲間だ。彼女がいなければ、俺はとっくに魔獣の餌食になっていたかもしれない。ヴェリディアで、俺が冒険者としての一歩を踏み出せたのも、全て彼女のおかげだ。俺にとっては、命の恩人であり、この世界で最初にできた、かけがえのない相棒なんだ」
俺の、心の底からの言葉。その言葉に、クゼルファは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに、その背筋を誇らしげに伸ばした。
「かけがえのない、相棒」。その響きが、セツナの胸の奥に、小さなさざ波を立てた。一瞬だけ、彼女の涼やかな瞳の奥に、複雑な感情が揺らめく。だが、その波はすぐに、彼女の鉄の理性によって、穏やかな凪へと戻された。そうだ。この女性こそが、カガヤ様が孤独だったであろう旅の始まりに、最初に得た絆なのだ。ならば、最大限の敬意を払うのが、彼の「最高のパートナー」としての、自分の務めだ。
「これからは、彼女も『交易商会ミライ』の一員として、俺たちと共に戦ってくれる。みんな、よろしく頼む」
俺がそう言って頭を下げると、仲間たちから、温かい歓迎の拍手が沸き起こった。
「よろしくな、クゼルファ姉ちゃん!カガヤがそこまで言うなんて、よっぽどなんだな!」
リコが、人懐っこい笑顔で駆け寄ってくる。
「クゼルファ殿。カガヤ様を支えてくださったこと、心から感謝いたします。私は、この商会の経営を預かるセツナと申します。あなたのその剣技、そして忠誠心、我々にとって大きな力となるでしょう。以後、お見知りおきを」
セツナもまた、完璧なまでの落ち着きを取り戻し、静かに、しかし敬意のこもった眼差しで、深々と一礼した。
ギドも、その屈強な腕を組み、力強く頷いて見せた。「腕の立つ戦士の加入は、歓迎だ。よろしく頼む」
仲間たちの、あまりにも温かい歓迎に、クゼルファの普段は厳しい表情が、ふっと和らぐ。その瞳には、安堵と、そしてこの場所に自分の居場所があるのだという喜びの色が、確かに宿っていた。
「よし!それじゃあ会長の無事の帰還と、クゼルファ殿の『交易商会ミライ』への加入を祝って祝宴と行こうじゃないか!」
ギドの野太い声が号令となり、工房は一気にお祭り騒ぎへと突入した。忘れられた民の男たちが、どこからか持ち出してきた大きな樽を担ぎ出し、レオは子供たちを引き連れてテーブルや椅子を手際よく並べていく。
「リコ!あんたも手伝いなよ!」
「うるさいね!あたしは今日の主役の一人を出迎えてるんだから、あんたが倍働きな!」
リコはクゼルファの腕にしっかりと抱きついたまま、レオに舌を出してみせる。そのやり取りに、クゼルファも戸惑いながら、しかし嬉しそうに微笑んでいた。
厨房からは、ギドが腕によりをかけて作った豪勢な料理が、次々と運び出されてくる。巨大な魔獣の丸焼き、色とりどりの野菜を使った煮込み料理、そして山と積まれた焼きたてのパン。その香ばしい匂いだけで、誰もが笑顔になった。
やがて準備が整い、工房の仲間たちが全員、一つの長いテーブルに着いた。乾杯の音頭はもちろん俺だ。俺が杯を掲げると、工房の仲間たちも一斉にそれに倣った。
「みんなの無事と、俺たちの未来に!乾杯!」
「「「乾杯!」」」
木製の杯がぶつかり合う音が、温かい笑い声と共に工房に響き渡った。
宴は夜更けまで続いた。リコはクゼルファにべったりで、俺との旅の冒険譚を根掘り葉掘り聞き出している。
「それでそれで?カガヤはどんなすごい魔法を使ったんだい?」
「え、ええと……」
クゼルファも最初は戸惑っていたが、子供たちの純粋な好奇心に触れ、少しずつ笑顔で応えるようになっていた。
「カガヤ様は、それはもう……まるで神話の英雄のようでした」
彼女がそう語るたびに、子供たちから「おおーっ!」と歓声が上がる。
ギドは、クゼルファが背負う大剣に興味津々で、酒を酌み交わしながら鍛冶の技術について熱く語り合っている。
「この刃の紋様……素晴らしいな。どんな鋼を使っているんだ?」
その専門的な問いに、クゼルファも戦士の顔つきで真剣に答えていた。
その温かい光景を眺めながら、俺はセツナと共に、少し離れた場所で杯を傾けていた。
「……見事なものですね、カガヤ様。あなたが不在の間も、この工房はあなたの意志を受け継ぎ、成長を続けていました」
「君のおかげだ、セツナ。君がいなければ、この光景はなかっただろう」
俺の言葉に、彼女は静かに首を横に振った。
「いいえ。私にできたのは、あなたが敷いたレールの上を、ただ走ることだけです。この工房に集う者たちは皆、あなたという光に引かれて集まったのですから」
その時、宴の喧騒の中から、俺を呼ぶ声がした。見ると、レオが少し困ったような、しかし嬉しそうな顔で手招きしている。どうやら、子供たちにせがまれて、俺の旅の話をする羽目になったらしい。
「やれやれ」と肩をすくめながらも、俺の口元には笑みが浮かんでいた。俺はセツナに目配せすると、子供たちの輪の中へと歩いていくのだった。
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