第182話:シエルへの帰路と再会
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第10章のスタートです。
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神殿都市ソラリスの白亜の輝きを背に受けてから、ひと月以上の時が流れた。再び地上の人となって西へ向かう旅路は、当初の想定よりも遥かに長く、そして思索に満たたものとなっていた。
俺は、相棒の栗毛馬の手綱を引き締め、乾いた街道の先に広がる地平線を見つめていた。ソラリスを出てすぐシエルへ向かうこともできた。だが、俺はあえて迂回し、時間をかけて大陸中部の情勢を探る道を選んだ。
まずは北西へと馬首を巡らせ、尚武の気風が支配するヴォル=ガラン連合王国を訪れた。
聖地ウルの北方に広がる山岳地帯に位置するその国は、狼や熊、虎といった多様な獣人氏族が寄り集まって形成された連合国家だ。首都である『牙の都ガザル』は、その名の通り、力こそが全てを支配する荒々しい活気に満てていた。
ここでは個人の武勇が何よりも尊ばれ、街の至る所で屈強な獣人たちが己の力を誇示するかのように闊歩している。
俺の存在は、当初こそ異物として奇異の目で見られたが、ローディアの特使という身分と、何よりも聖覧武闘会で決勝まで残ったこと、ギデオン総長と互角の戦いを繰り広げたことはこの地にも伝わっており、それが俺だと分かると、彼らは歓迎し、その上で無用な干渉を退けてくれた。 彼らとの交流は短かったが、その実直で、強さこそを信じる純粋な価値観は、これまでの権謀術数に辟易していた俺にとって、ある種の清々しささえ感じさせてくれた。
そこからさらに西へ、グリフォンの待つ山岳王国グライフェンを再訪し、女王や鷲獅子騎士団の面々と旧交を温めた。そして、南下してローディア騎士王国の首都アイギスへと立ち寄った。
総長ギデオンや、今や小隊長として目覚ましい成長を遂げたエリアスとの再会は、短いながらも温かいものだった。
首都アイギスを出立する日の早朝、俺はギデオン総長にこれまで長い間拝借していた栗毛の馬を返しようと、騎士団の厩舎を訪れた。
「総長、この馬には大変世話になりました。お返しいたします」
俺がそう言って手綱を差し出すと、ギデオンは馬の鼻面を優しく撫でながら、鋼色の瞳で俺をじっと見つめた。
「カガヤ殿、その馬はもう君の物だ。見ての通り、すっかり君に懐いている。俺よりも、君と共に旅を続ける方が、この馬にとっても幸せだろう」
彼の言葉に、栗毛の馬は同意するかのように、俺の肩にそっと頭を擦り付けてきた。予期せぬ贈り物だったが、この長い旅路を共にしてきた相棒との別れを惜しんでいたのも事実だった。
「……ありがとうございます、総長。では、お言葉に甘えさせていただきます」
俺はその馬の首筋を撫でながら、静かに呟いた。
「そうだな……お前にはまだ名前がなかったな。よし、お前の名は今日から『コスモス』だ。これからもよろしく頼むぞ、相棒」
俺の言葉に、コスモスは嬉そうに一度だけ高く嘶いた。
彼らとの対話の中で、俺はそれとなく、この世界に迫りくる危機の影をほのめかした。彼らが俺の言葉の真意をどこまで理解したかは分からない。だが、いずれ来るべき戦いのために、信頼できる者たちに布石を打っておく必要があったのだ。『マザー』から託された使命、そして来るべき『終焉』の影。それらと対峙するためには、まず、この世界の現状を、俺自身の目で見ておく必要があったからだ。
この空の遥か高み、雲の上に浮かぶあの天空都市で、セレスティアは今頃、彼女自身の戦いを始めていることだろう。教皇という協力者を得たとはいえ、腐敗しきった教会の内側から変革の声を上げるのは、並大抵のことではないはずだ。
《マスター。思考活動におけるストレスレベルが、平常値より12%高い数値を維持しています。ソラリスでの事象が、マスターの精神に継続的な負荷を与えていると推測されます》
脳内に響くアイの冷静な分析に、俺は苦笑を禁じ得なかった。
「当たり前だ、アイ。この惑星そのものが、ゆっくりと死に向かうかもしれないんだぞ。これで落ち着いていられるのは、お前くらいのもんだよ」
実際、『マザー』が示した、あのビジョンが脳裏に焼き付いて離れない。この惑星を蝕むという、絶対的な『無』の脅威。あれは、単なるエネルギー現象ではない。世界の法則そのものを根底から『消去』する、存在論的な危機だ。あの時のアイの分析は、俺の科学者としての魂を、今も根源から揺さぶっている。
我々人類は、宇宙という広大な海の海岸で、ほんの僅かな貝殻を拾い集めているに過ぎない。俺の故郷の偉大な学者が遺した言葉が、今ほど重く感じられたことはない。我々が知る物理法則など、この宇宙に満ちる無数の真実の、ほんの僅かな断片でしかないのだ。
「だが……、やるしかないよな」
俺は、馬の腹を軽く蹴った。
マザーは言った。この星に点在する「星の民」の遺跡を巡り、その力を呼び覚ませば、この星は宇宙の不協和音とさえ対話する、大いなる調律の力を得るだろう、と。そして、その遺跡には、俺の愛機「アルカディア号」を修復するためのヒントも眠っているはずだ。特に、山岳王国グライフェンで見たグリフォンの生体エンジン。あの推進原理を解明できれば、帰還への道が、確かな光となって見えてくる。
個人的な目的と、この星の運命。二つの道は、いつの間にか一つの壮大な旅路へと繋がっていた。
《マスターの決意を再確認しました。ですが、目的達成のためには、まず、交易商会ミライという確固たる後方支援拠点の確立が不可欠です。感情的な負荷は、合理的な判断を阻害する可能性があります》
「分かってるよ。商人としては、冷静でいるさ。……それにしても、セツナやリコたちは、どうしているかな」
俺の口から、ふと仲間たちの名が漏れた。シエルを離れて、もうどれほどの時が経っただろうか。俺が築き上げた、あのささやかだが温かい「家」。そこが、今の俺にとっての、唯一の帰るべき場所だった。
そんな感傷に浸っていた、まさにその時だった。
《マスター。前方、三キロ。複数の熱源と、金属の反射光を検知。荷馬車を中心とした、十数名の武装集団です。……戦闘状態にあります》
アイの警告が、俺の思考を現実へと引き戻した。街道の先の、緩やかな丘陵の陰から、剣戟の音と、怒号が微かに聞こえてくる。
「野盗か……。この辺りも、物騒になってきたな」
俺は馬の速度を上げ、丘の上へと駆け上がった。
眼下に広がる光景に、俺は思わず息を呑む。
数台の荷馬車が、十数人の見るからに柄の悪い男たちに取り囲まれていた。商人らしき者たちは荷馬車の陰で怯え、数人の護衛が必死に応戦しているが、多勢に無勢。明らかに分が悪い。
「やれやれ。面倒事には首を突っ込まないのが、商人の鉄則なんだがな」
俺はそう呟きながらも、すでに馬の腹を蹴っていた。ここで見過ごせるほど、俺の心臓は毛深くない。
俺が戦場に駆けつけようとした、まさにその瞬間。包囲されていた護衛の一人が、獣のような雄叫びを上げた。
「邪魔だッ!」
その声と同時に、銀色の閃光が走る。野盗の一人が、その巨体ごと、まるで木の葉のように吹き飛ばされた。閃光の主は、黒髪を一つに束ね、その身の丈ほどもある大剣を、まるで小枝のように軽々と振るう、一人の女剣士だった。
その立ち姿、その剣筋。俺は、その横顔に、見覚えがあった。
「……まさか」
その人物が誰であるか確信した瞬間、俺の胸に、言いようのない熱いものがこみ上げてきた。懐かしさ、驚き、そして、長い旅路の果てに待っていた、運命の糸の不思議さ。
この広大な大陸の、名もなき街道で、再び巡り会うなどという奇跡が、本当にあるというのか。
俺は、彼女の名を叫ぼうとして、ぐっとこらえた。今は、感傷に浸っている場合ではない。目の前には、助けを必要としている者たちがいる。そして何より、彼女自身が、今、死闘の只中にいるのだ。
俺は、腕の触媒に意識を集中させ、静かに、しかし確かな闘志を燃やす。再会の挨拶は、このくだらない茶番を終わらせてからだ。
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申し訳ありませんが、ストックが少なくなってきたので、次回更新より、しばらく1日1話更新とさせていただきます。
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