幕間9-1:届かぬの道標
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風は、常に肌を刺すように乾いていた。
王都アウレリアを後にしてから、私の旅は、ひたすらに東を目指す道程だった。父上の許しを得て、ゼラフィム公爵家の名を背負っての旅ではない。ただ一人の戦士、クゼルファとして、あの方の背中を追う、それだけのための旅路だ。
愛馬の鬣が、土埃にまみれてごわついている。野営を重ね、日に焼けた肌は、もはや貴族の娘であった頃の白さを、どこにも留めていない。だが、不思議と、心は満たされていた。あの方……カガヤ様。私の心を乱す、理不尽なまでの強者。カガヤ様が向かったという自由交易都市シエル。その一点だけを目指し、ただひたすらに馬を駆る。その行為だけが、私を私でいさせてくれる、唯一の証だった。
「待っていてください、カガヤ様。今度こそ、私が、あなたの隣に立つ」
王都で会った、あの聖女様の顔が、ふと脳裏をよぎる。彼女の、全てを見透かすような穏やかな瞳。そして、彼女が口にした「コウ」という、親密な響きを持つ、彼のもう一つの名。思い出すたびに、胸の奥が、ちりちりと焦げるような、不快な熱を持つ。
(……面白くありませんね)
だが、彼女は言った。「あの方は、遥か東の、自由交易都市シエルへと、旅立たれました」と。ならば、私の進むべき道は、ただ一つ。
そんな私の旅路に、新たな噂が飛び込んできたのは、シエルに向かう街道に入ってから数日が過ぎた頃だった。
「聞いたかい? なんでも、ソラリスで、二十年に一度の『星迎えの儀』が執り行われるそうだ」
「ああ、巡礼者たちの多いこと。きっと、大陸中から、奇跡を求めて集まっているのだろうな」
最初は、聞き流していた。宗教や儀式など、戦士である私には、縁遠い世界の出来事。私の目的は、ただ一つ、シエルにいらっしゃるはずの、あの方だけだ。
だが、その噂に、無視できない名が混じり始めた。
「今回の儀式を司る『星の乙女』は、あの王都の聖女、セレスティア様らしいぞ」
「おお、あのお方が……! ならば、今回の神託は、さぞや素晴らしいものになるだろうな!」
セレスティア様……。あの方が、なぜソラリスに? 私の胸に、言いようのない胸騒ぎがした。あの方は、ただ守られているだけの、か弱いだけの存在ではない。その瞳の奥には、私とは違う種類の、しかし、確かな強さが宿っていた。そして、あの方もまた、カガヤ様に、特別な感情を抱いているようだった。
私の戦士としての勘が、警鐘を鳴らしている。
聖女様が動かれる。それは、この世界の秩序が、大きく動く予兆に違いない。そして、世界の理を揺るがすほどの出来事が起こる場所に、あの方が、いらっしゃらないはずがないのだ。
「……まさか」
シエルへ向かわれたというのは、あの聖女様の、私を遠ざけるための方便だったのだろうか? いえ、そんなはずはない。あの方の瞳は、嘘偽りを語る者のそれではなかった。ならば……。
「あの方は、進路を変えられたのだ!」
理由は分からない。けれど、あの方ならば、あり得ることだ。ご自身の目的のためなら、最短距離を、最も合理的な道をお選びになる。その先に、聖女様が関わる巨大な儀式があるのなら、それを無視なさるはずがない。
「……すまないな」
私は、愛馬の首筋を撫でた。
「もう少しで着くと思っていたが……。もっと東の果て……ソラリスまで行ってくれるか?」
私は、迷うことなく、馬首を巡らせた。目指すは、天空に浮かぶという神殿都市ソラリス。私の魂が、私の戦士としての本能が、そこに行けば、あの方に会えると、強く叫んでいた。
◇
しかし、私の予感は、半分だけ当たり、そして、半分は、最も残酷な形で、外れた。
雲海を貫く、巨大な橋を渡り、神殿都市ソラリスに足を踏み入れた時、私が感じたのは、戦いの前の緊張感ではなかった。既に全てが、終わった後の奇跡的なまでの静けさと、そして、安堵に満ちた人々の穏やかなざわめきだった。
街には、予想していたような戦闘の痕跡はどこにも見当たらなかった。建物は傷一つなく、白亜の街路には亀裂一つない。だが、その完璧な景観とは裏腹に、街全体が、まるで大きな祭りの後のような、不思議な静けさと、人々の安堵に満ちた穏やかな活気に包まれていた。そして何より、街の空気そのものが、慈愛に満ちた温かい光で満たされている。そんな、不思議な感覚があった。
「おお、あなたも、あの奇跡を目の当たりに?」
「星の乙女様が放たれた、あの光……。あれは、まさしく、神の御業だった!」
「いや、俺は見たぞ! 地下で、邪悪な者どもと戦っておられたという、異邦の英雄様の姿をな!」
「腰に、我らとは違う、不思議な道具を下げた、黒髪の……」
道行く人々の会話が、私の耳に、容赦なく突き刺さる。
星の乙女。異邦の英雄。
……また、ですか。
また、私は、間に合わなかった。
魔の森で、あの方に命を救われた時と同じ。王都で、彼が去った後を追いかけるしかなかった時と同じ。あの方の戦いは、いつだって、私がたどり着く前に、終わってしまっている。
唇を、強く、噛みしめた。血の味が、口の中に広がる。悔しい。ただ、ひたすらに、悔しい。私は、あの方の盾となると誓った。剣になると誓った。その背中を守ると、そう決めたはずなのに。現実はどうでしょう。私は、いつだって、あの方の戦いが終わった後の、平和になった道を、歩いているだけではありませんか。
この胸を焦がす、焦燥感。それは、戦士としての、私の誇りを、根底から揺さぶっていた。
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