第180話:秘密の盟約
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ソラリスの地下深く、古代遺跡の冷たい石畳に、戦いの終わりを告げる静寂が訪れていた。
力の源を失い、抜け殻のようになった『鎖の紋章』の信者たちは、聖殿騎士団によって、黙々と拘束されていく。彼らの瞳からは、かつての狂信的な光は消え失せ、ただ、自らの信じたものが崩れ去ったことへの、深い虚無だけが浮かんでいた。
「……カガヤ殿」
団長マティウスが、俺の肩を叩く。その手は、まだ微かに震えていた。
「貴殿のおかげだ。我らだけでは、どうすることもできなかっただろう。……感謝する」
俺は、彼の言葉に、ただ小さく頷くことしかできなかった。精神と肉体の両方から、急激に力が抜けていく。凄まじい疲労感の中で、俺の意識は、地上へと向けられていた。
◇
地上の大聖堂は、地下の惨状とは対照的に、神々しいまでの光に満たされていた。
祭壇に立つセレスティアから放たれる、慈愛に満ちた光。それは、傷ついた者を癒し、恐れる者の心を慰め、疑う者の魂を洗い流していく。狂乱の淵にあった巡礼者たちは、その光に包まれ、まるで生まれたての赤子のように、穏やかな表情を取り戻していた。
やがて、光がゆっくりと収まると、教皇デオフィロス七世が、一歩、前へと進み出た。そして、祭壇の上から、集まった数万の民衆に向かって、その威厳に満ちた声を響かせた。
「聞きなさい、我が愛しき子羊たちよ!」
その声は、この奇跡的な光景を前に、誰もが納得する、絶対的な権威を持っていた。
「今、我らは、真の神の御業を目の当たりにした! 邪悪なる者たちの妨害によって、一時は災厄の淵を覗いた。だが、我らが星の乙女、聖女セレスティアの揺るぎない信仰と、汝ら一人一人の敬虔な祈りが、ついに天に通じたのだ!」
それは、見事なまでの政治的演説だった。真実を巧みに隠蔽し、人々の求める「物語」へと昇華させていく。地下で起きた血生臭い戦闘も、『鎖の紋章』の存在も、全ては「邪悪なる者たちの妨害」という一言に集約され、そして、この結果こそが、神が与えたもうた「試練」と、それを乗り越えた「祝福」なのだ、と。
「今日この日、ソラリスは、真の聖地として生まれ変わった! この奇跡を胸に、自らの故郷へと帰り、神の愛と、隣人を信じることの尊さを、語り伝えていくのです!」
「おお、教皇聖下!」
「聖女セレスティア様に、栄光あれ!」
民衆の熱狂的な歓声が、大聖堂を、そして神殿都市ソラリス全体を、揺り動かした。誰も、その裏側で何が起きていたのかを知る由もない。ただ、分かりやすく、そして感動的な奇跡の物語だけを、その胸に刻みつけていく。
俺は、地下から戻り、大聖堂の片隅で、その光景を静かに見ていた。組織とは、権威とは、そして信仰とは、かくも巧みに、そして危ういバランスの上に成り立っているのか。その現実に、俺は、ある種の感嘆と、そして、言いようのない虚しさを感じていた。
◇
その夜。全ての儀式が終わり、熱狂が静けさへと変わった頃、俺はセレスティアと共に、再び、教皇の私室へと招かれていた。
「カガヤ殿、そして聖女セレスティアよ。……今回のこと、言葉もない」
教皇デオフィロス七世は、昼間の威厳に満ちた姿とは打って変わって、ただの一人の老人のように、疲れた顔で、俺たちに深く頭を下げた。
「そなたたちがいなければ、このソラリスは、いや、この世界は、邪神教の手に落ちていただろう。……教会を代表し、心から、感謝申し上げる」
「お顔をお上げください、聖下」
セレスティアが、静かに言った。
「これもまた、神の導きなのでしょう」
その言葉に、教皇は、自嘲するように、小さく笑った。
「……神、か。あるいは、そうなのかもしれんな。だが、我らは、もはや、その神の御心さえ、正確に知ることはできぬ」
彼は、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「カガヤ殿。『我らが母』が告げたという、真の危機。それについて、教会は、表立っては動けぬ。今回の件は、あくまでも『奇跡』として、処理せねばならん。下手に真実を探ろうとすれば、サルディウスを筆頭とする原典派が、黙ってはおるまい」
「……分かっています」
「だが、このまま、見て見ぬふりもできん」
教皇は、一つの決意を、その瞳に宿していた。
「これは、教皇としてではない。この世界の未来を憂う、一人の人間としての、そなたへの、密かなる依頼だ。……どうか、そなたのその『理』の力で、この世界の真実を、探ってはくれまいか。我らが母が示したという、大陸に散らばる『遺跡』を巡り、来るべき『終焉』の正体と、それに対抗する術を」
それは、教会という巨大組織の、矛盾そのものだった。表向きは奇跡を謳いながら、その裏では、一人の異邦人の、科学の力に、世界の命運を託そうとしている。
「教会は、そなたに、いかなる助力も、公にはできん。だが、水面下では、我が『探究派』のネットワークを使い、最大限の支援を約束しよう。……受けては、くれぬか?」
俺は、隣に立つセレスティアの顔を見た。彼女は、静かに、しかし、力強く、頷いた。その瞳には、もはや、迷いの色はなかった。
「……お受けいたします。それが、俺をこの世界に導いた、何者かの意志なのでしょうから」
俺の返答に、教皇は、心の底から安堵したように、再び、深く、息をついた。
この秘密の盟約は、この世界の歴史の、大きな転換点となるだろう。だが、それを知るのは、今この部屋にいる、三人のみだった。
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