第174話:教皇の告白
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セレスティアを待ち受ける運命と、『星迎えの儀』の背後に隠された、あまりにも無機質で、即物的な真実。
『星迎えの儀』の本来の姿、そして、セレスティアを待ち受ける過酷な運命。この二つの事実が、俺の頭の中で警鐘を乱れ打っていた。惑星規模の環境管理AI『マザー』。その再起動のための生体キーとして、セレスティアが利用されようとしている。そして、セレスティアの神託が示す、不吉な影。
事の次第によっては、セレスティアの自我が失われる危険性があるだけじゃない。何者かが、この機に乗じて彼女の精神を乗っ取り、『マザー』の制御権を奪おうとしているのは、ほぼ確実だろう。セレスティアの神託が告げた『影』の正体はまだ掴めていないが、どちらに転んでも、彼女が極めて危険な状況に置かれていることに変わりはない。
〈どうする……。儀式まで、時間がない〉
俺は宿の自室で、一人、思考の迷宮を彷徨っていた。この狂った計画を阻止するには、儀式そのものを中止させるしかない。だが、二十年に一度の大神事、大陸中の信徒がこのソラリスに集っている今、それを中止させるなど、教皇自身の首を差し出すに等しい暴挙だろう。
いや、そもそも、この儀式の真実を、教会はどこまで知っている?
《マスター。仮説を提示します。儀式の真実を知る者は、教会内でもごく一部。ひょっとすると、教皇のみである可能性も高いです。下位の神官や騎士は、純粋な信仰心から、これを神聖な儀式であると信じているのでしょう》
〈つまり、トップを直接叩くしかない、か〉
あまりに無謀な挑戦かもしれない。だが、他に道はない。俺は、一つの決意を固めた。この天空都市の頂点に立つ男、教皇デオフィロス七世との直接対話。
翌日、俺はラウルス神官に「教皇聖下への謁見を賜りたい」と申し出た。当然、彼は驚き、そして丁重に、しかしきっぱりと断ってきた。
「カガヤ様、教皇聖下は『星迎えの儀』を前に、現在、俗世との関わりを一切断っておられます。いかにあなた様とて、それは……」
「ラウルス殿。これは、その神聖なる儀式そのものに関わる、極めて重要な話なのです」
俺は、彼の目を真っ直ぐに見つめ、ハッタリと真実を織り交ぜながら言った。
「先日私が打ち破った偽預言者。彼の背後には、この儀式を汚し、教会の権威を失墜させようと企む、巨大な組織の影がある。そのことを、直接、教皇聖下にご報告する義務が、私にはある」
俺の言葉に、ラウルスの顔色が変わった。偽預言者の一件は、教会にとっても看過できない醜聞のはずだ。その背後関係となれば、話は別だ。
彼は、「……分かりました。教皇様は無理としても、取りあえず上層部へ、お取り次ぎだけはしてみましょう」と、重い口を開いた。
謁見が許されたのは、その日の黄昏時だった。通されたのは、大聖堂の最上階にある、教皇の私的な祈りの間だった。部屋は、驚くほど質素だった。磨き上げられた石の床、壁には一枚の巨大な星図のタペストリー。そして、窓の外に広がる、雲海と、沈みゆく太陽の光だけが、この部屋の装飾だった。
その中央に、細身の身体を、簡素な白い法衣に包んだ一人の老人が、静かに祈りを捧げていた。その背中からは、この巨大な宗教組織の頂点に立つ者だけが持つ、圧倒的な威厳と、そして、常人には計り知れないほどの深い苦悩が、滲み出ていた。 教皇デオフィロス七世。
俺の入室に気づくと、彼はゆっくりと振り返った。その瞳は、深い森の湖のように、静かで、そして底が見えない。
「……よく来てくれた、カガヤ殿。そなたの噂は、かねがね耳にしておった。一度、会って話がしたいと思っていたところだ」
その声は、老齢に似合わず、穏やかで、しかし芯のある響きを持っていた。
「あなたが、この正教会を統べる教皇デオフィロス七世聖下で、お間違いないでしょうか」
「うむ。して、我らに話とは、いったい何かな?」
俺は、彼の目を見つめ返した。駆け引きは不要だ。俺は、アイとガーディアンから得た情報を、この世界の人間にも理解できる言葉を選びながら、静かに、しかし確信を持って彼に突きつけた。
「『星迎えの儀』は、神事というよりも、古の『仕組み』と言うべきでしょう。このソラリスという都市、そのものに宿る、大いなる意思……あるいは『魂』のようなものを、永い眠りから呼び覚ますための、定められた手順なのです」
俺の言葉に、教皇の眉が、ピクリと動いた。だが、驚きの色はない。むしろ、「ついに、この日が来たか」とでも言うような、静かな諦観が、その瞳に宿っていた。
「……やはり、そなたは、そこまで知っておったか」
彼の口から漏れたのは、肯定の言葉だった。
「どこまで、知っておる?」
「聖歌が、その『魂』を呼び覚ますための『合言葉』であること。巡礼者たちの祈りが、そのための『力』を供給する役割を果たしていること。そして……」俺は、そこで一度、言葉を切った。「『星の乙女』が、その『魂』と直接触れ合うための、特別な『鍵』であるということも」
その言葉を聞いた瞬間、教皇は、深く、そして長い溜息をついた。それは、教会が長年秘匿し、彼自身もその座に就いてから一人で抱え込んできた重荷を、ようやく分かち合える者を見つけた、安堵のため息のようにも聞こえた。
「……うむ。そなたの言う通りだ。我ら、歴代の教皇は、その真実を知りながら、沈黙を続けてきた」
彼は、ゆっくりと語り始めた。それは、この教会の、そしてこの世界の、光と影の物語だった。
正教会には、古くから二つの派閥が存在するという。一つは、教会の教えと聖典の記述を絶対とし、それを文字通りに解釈し、守ることこそが信仰であるとする、『原典派』。筆頭異端審問官サルディウスは、その筆頭だ。 そして、もう一つが、聖典の記述や奇跡を、神が遺した『探究すべき謎』と捉え、その背後にある『理』を解き明かすことこそが、神へ近づく道であると考える、『探究派』。
「わし自身も、そして先代の教皇たちも、探究派の考えに近い」
デオフィロス七世は、苦渋に満ちた顔で言った。
「我らは、古文書を解読し、この儀式の真実の姿を、とうの昔に知っていた。だが、それを公にすることは、できなかった。真実を明かせば、教会という、この世界の秩序を支えてきた巨大な柱は、その根底から崩れ去るだろう。人々は、心の拠り所を失い、大陸は、再び混沌の時代へと逆戻りする。我らは、その混乱を恐れたのだ」
彼は、窓の外に広がる雲海へと視線を向けた。
「さらに、問題は、『我らが神』の沈黙だ。数百年も前から、『神託』は完全に途絶えておる。儀式は、もはや、ただ形骸化した、権威維持のための装置でしかない。我らは、神の沈黙という、耐え難い真実から目を背け、ただ、虚構の奇跡を演じ続けてきたのだ。……これが、わしが、そしてこの教会が犯してきた、罪の正体よ」
権力者の、深い苦悩。それは、俺が想像していた以上に、重く、そして人間的なものだった。
「では、お尋ねいたします。なぜ、今になってセレスティア様を?」
「それこそが、わしの、最後の賭けだったのだ」
彼の瞳に、初めて、力強い光が宿った。
「聖女セレスティア。彼女の持つ力は、歴代の聖女とは、明らかに異質だった。彼女こそが、神が遺した、真の『鍵』である可能性。そして、彼女ならば、沈黙した『我らが神』を、再び目覚めさせることができるのではないか、と。……わしは、その僅かな可能性に、この世界の未来を賭けたのだ」
だが、と彼は続けた。その声には、再び、深い憂いの色が戻っていた。
「そのわしの選択が、図らずも邪悪な者らを呼び覚ます結果となってしまったやもしれん」
「聖下。その『邪悪な者たち』について、お伺いしたいことがあります」
俺は、彼の言葉を遮るように、核心に切り込んだ。
「私はシエルで、『炎の紋章』を名乗る邪神教の一派と事を構え、その指導者を捕らえ、組織をほぼ壊滅させました。ですが、セレスティア様の神託は、なおも不吉な影の存在を告げています。彼ら以外に、この儀式に干渉しうる組織に、心当たりはございませんか?」
俺の問いに、教皇は静かに、しかし重々しく頷いた。
「やはり、そなたは『邪神教』とも接触しておったか。……よかろう、話そう。我らが『邪神教』と呼ぶ組織は、ただ一つ。だが、その内部は、三つの異なる思想を持つ『紋章』によって分かたれておる」
彼の瞳が、遠い過去を見つめるように、深く、そして暗くなった。
「一つは、そなたが打ち破った、純粋な破壊と世界の浄化を望む、過激派中の過激派『炎の紋章』」
「そして、もう一つは、古代の遺物を守護し、その力を独占することで、自らの権威を確立しようとする、保守的な一派『岩の紋章』」
彼はそこで一度言葉を切り、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「そして、最後の一つ。最も狡猾で、そして最も危険なのが、『鎖の紋章』じゃ。彼らは、破壊も、守護も望まない。彼らが望むのは、ただ一つ。古代の『理』そのものを、自らの手で支配し、大陸全ての民の思考と精神を、一つの秩序の下に『束縛』すること。……今回の儀式に手を出そうとしているのは、十中八九、その『鎖の紋章』の者たちであろう」
教皇は、俺の顔をじっと見つめ、やがて、何かを決意したように、ゆっくりと立ち上がった。
「カガヤ殿。もはや、これは教会だけの問題ではない。この世界の、存亡に関わる危機だ。……どうか、そなたの力を、貸してはくれまいか。わしの、そしてこの世界の、最後の希望として」
正教会の頂点に立つ男が、異邦人の俺に、深く、その頭を下げた。
それは、この世界の秩序が、新たな局面へと、大きく動き出した瞬間だった。
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