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第170話:天空都市の静かなる探求

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

神殿都市ソラリスの空気は、地上とは全く異質だった。古代の超技術によって維持される清浄な大気と、そこに満ちる穏やかで高密度な魔素。それは、人の心を落ち着かせると同時に、この都市が地上とは隔絶された「聖域」であることを、肌で感じさせた。


巡礼路での一件の後、俺は他の巡礼者たちに紛れ、この天空の都市に足を踏み入れた。俺の正体を知る者は、今のところいない。偽預言者を打ち破った「謎の理術使い」の噂は、まだこの雲上の都までは届いていないようだった。


俺は、街の外れにある、巡礼者向けの簡素な宿に部屋を取った。まずは情報収集だ。「星迎えの儀」の詳細、大教会の内部構造、そして何より、セレスティアの動向。彼女が本当にこの街にいるのか、いるとすればどのような立場に置かれているのか。それを知る必要があった。


だが、ソラリスに到着して二日目の朝、俺は自らがすでに、見えざる網の中心にいることを知った。


宿を出て、大聖堂へと続く中央参道を歩いていた時のことだ。背後から、ごく自然に、しかし確実に、俺の歩みに合わせて距離を詰めてくる気配を感じた。それは、シエルで感じたチンピラの殺気や、王都の衛兵のあからさまな視線とは違う。訓練された者の、気配を消す技術だった。


〈アイ。後方、三十メートル。純白の衣をまとった神官風の男、二人組。俺の動きを追っているか?〉

《肯定します、マスター。彼らは、マスターが立ち止まれば立ち止まり、路地に入れば、時間差で別の路地から回り込んできます。極めて高度な追跡技術です。教会関係者である可能性が95%以上と推測されます》


俺は、あえて露店の装飾品を眺めるふりをして立ち止まる。男たちもまた、近くの建物の壁画を熱心に鑑賞し始めた。その動きに、一切の不自然さはない。だが、その意識の一部が、常に俺の背中に向けられているのが、研ぎ澄まされた五感を通して伝わってくる。


〈……早すぎる。俺がここに来て、まだ二日だぞ〉


偽預言者を退けた一件が、すでにここまで伝わっているとは考えにくい。だとすれば、理由は一つしかない。王都から、俺に関する情報が、すでにここに送られているのだ。そして、その情報を送ることができる人物は、一人しか思い当たらなかった。


筆頭異端審問官、サルディウス。


彼の権力は、王都だけに留まらない。この正教会の総本山にまで、その影響力は及んでいるのか……。正教会と俺の対立は、この聖地で、第二ラウンドのゴングを鳴らそうとしていた。


俺は、彼らの監視を意に介さないふりをしながら、情報収集を続けた。大図書館の閲覧室で古代の文献を紐解き(もちろん、そのほとんどはアイが一瞬でスキャンし、解析を終えている)、巡礼者たちが集う食堂で、彼らの会話に耳を澄ませる。


聞こえてくるのは、「星迎えの儀」への期待と、病の快癒を願う切実な祈りばかり。だが、時折、教会の内部事情に詳しいと思われる者たちの会話の中に、聞き捨てならない言葉が混じっていた。


「……サルディウス筆頭審問官様も、今回の儀式には、ことのほかご熱心でな。王都から、直属の部下を何人も、ここへ派遣されているそうだ」

「それは本当かね? 教皇様がいらっしゃるこのソラリスで、審問官様がそこまで……」

「なんでも、近頃、王都で聖女様を誑かしたという、悪魔のような『理術使い』が現れたとか。その異端の気が、この聖なる儀式を汚さぬよう、万全の体制を敷いておられるのだ、と……」


間違いない。彼らは俺を知っている。そして、俺を「敵」として、明確に認識している。


その夜、宿屋の自室で、俺はアイと今後の対策を練っていた。


「敵の目的は、俺の監視と、おそらくはこちらの能力の分析。そして、何らかの形で俺を再び『異端』として断罪するための、証拠集めだろう。下手に動けば、即座に尻尾を掴まれるだろうな」


《はい、マスター。現状、我々の行動は筒抜けです。物理的な監視に加え、教会の信徒や協力者を網の目のように配置し、あらゆる情報を収集しているようです。彼らが持つ、特定の魔力反応を探知する聖遺物のような物を使っている可能性も否定できません》


〈まるで、巨大な監視カメラの中を歩いているようなものか。厄介なことだ〉


俺たちが、次の手を思考していた、まさにその時だった。

コン、コン。


部屋の扉が、静かに、そして丁重にノックされた。こんな夜更けに、誰だ?

俺が警戒しながら扉を開けると、そこに立っていたのは、昼間俺を監視していた神官の一人だった。だが、彼の顔には、追跡者の冷たさはない。人当たりの良い、柔和な笑みが浮かんでいた。


「夜分遅くに突然の訪問、大変失礼いたします。私、ラウルスと申します。カガヤ様でいらっしゃいますね。私、大教会で神学の研究をしております。少し、お時間をいただけませんか?」


彼は、そう言うと、深々と頭を下げた。


「あなた様が、かの偽預言者の邪法を、見事な『理』で打ち破られたと、噂で耳にいたしました。もしよろしければ、その深遠なる知識について、少しばかりお話を伺わせてはいただきたいのです。 私、あなた様のその『理術』とやらに、大変、興味がありまして」


その言葉は、丁寧で、純粋な知的好奇心から発せられているように聞こえた。だが、俺の目は、そしてアイの分析は、彼の瞳の奥に宿る、冷たい光を見逃さなかった。これは、尋問だ。友好的な対話を装った、巧妙な尋問。


《マスター。彼の申し出を拒否した場合、我々に対する疑念が深まることは確実です。対話に応じ、相手の情報を引き出すことを推奨します》


「……ええ、構いませんよ」


俺は、笑顔で応じた。だが、部屋に招き入れるほど不用心ではない。


「立ち話もなんですし、一階の食堂で月光茶でもいかがですかな?夜も更けてきましたし、ちょうど温かいものが飲みたかったところです」


俺は、あえて人目のある場所を指定した。サスペンスの幕は、すでに上がっている。ならば、観客は多い方がいい。俺は、そう考えた。


「……ええ、結構ですな。では、お言葉に甘えさせていただきます」


ラウルスは一瞬だけ逡巡する素振りを見せたが、すぐに穏やかな笑みで頷いた。


俺たちは宿の食堂の、隅のテーブルへと向かった。夜も更け、客はまばらだ。ランプの柔らかな光が、彼の穏やかな顔と、俺のポーカーフェイスを照らし出す。


「して、カガヤ殿。単刀直入にお伺いしますが、あなたの言う『理術』とは、いかなるものでしょうか。巡礼路での一件、あなたは、偽預言者の起こした『奇跡』を、まるで手品でも見破るかのように、いとも容易く再現してみせたと聞きます。あれは、魔法とは異なる、何か別の体系の力なのでしょうか?」


彼の問いは、核心を突いていた。俺は、カップに注がれた月光茶を一口すすると、静かに答えた。


「ラウルス殿。あなたは、虹……七色の橋を『奇跡』だと思いますか?」

「……七色の橋、ですか?」


予期せぬ問いに、ラウルスはわずかに眉をひそめた。

「ええ。雨上がりの空に架かる、あの七色の光の橋です。あれを、神の御業だと信じますか? それとも、ただの自然現象だとお考えか?」

「それは……。聖典には、神が契約の証として七色の橋を空に置かれたと記されています。故に、あれは神の慈悲の現れであり、奇跡の一つと捉えるのが、我ら信徒の務めでしょう」


「なるほど。ですが、俺の故郷では、こう考えます」

俺は、指先に微量の魔素を集め、小さな水の球を宙に浮かべた。そして、ランプの光をその水球に通す。すると、部屋の壁に、小さな、しかし鮮やかな七色の光の帯が映し出された。


「光は、水中を通る時、その進む道筋を少しだけ曲げられます。そして、その曲がり具合は、光の色によって僅かに違う。ただそれだけのことです。空気中に浮かぶ無数の水の粒が、太陽の光を無数の色に分解し、我々の目には、それが巨大な七色の橋となって見える。これは、神の御業ではなく、光と水が持つ、普遍的な『法則』です」


俺の言葉と、目の前の小さな虹に、ラウルスの瞳が、知的な好奇心にきらめいた。


「……面白い。実に、面白い考え方です。つまり、あなたの『理術』とは、そのように、世界のあらゆる現象の裏に隠された『法則』を解き明かし、それを再現する力、ということですか」

「ご明察の通り。私がやったことは、あの預言者がやっていたことの『法則』を分析し、同じ手順を、別の道具で再現したに過ぎません。そこに、神の介在する余地はありません」


俺のきっぱりとした物言いに、ラウルスの笑みが、ほんの少しだけ深くなった。


「ですが、カガヤ殿。その『法則』そのものは、一体誰がお創りになったのでしょうかな? 光が水を通過する際に屈折するという、その普遍的なルール。それこそが、神がこの世界に与えたもうた、偉大なる設計図そのものであるとは、お考えになりませんか?」


見事な切り返しだった。彼は、俺の科学的な論理を否定するのではなく、それを、より大きな神学的な枠組みの中へと、巧みに取り込んでみせたのだ。


「あなたの言う『理術』は、神の設計図を読み解く、一つの方法に過ぎない。そして、その知識を、神の許しなく、自らの力として行使することこそ、聖典が最も戒める『傲慢』の罪に他ならない。……そうは、思いませんか?」


彼の声は穏やかだったが、その言葉は、俺の思想の根幹を「異端」と断じる、鋭い刃を隠していた。


俺は、静かに、そして不敵に、微笑んだ。


「ええ、その通りかもしれませんね。ですが、その聖典には、こうもありませんでしたか?」


俺は、カップを静かにテーブルに置くと、ラウルスの目を真っ直ぐに見つめた。


「『己が欲望のために灯す光は、世界を焼いた邪法の残り火に過ぎぬ』。聖典『新暁の書』の一節です。聖典が真に戒めているのは、力そのものではなく、その力が何のために使われるか、ではないでしょうか。私の理術は、人を救うためのものです。誰かを支配したり、傷つけたりするためのものではない。……ラウルス殿、あなた方の神は、本当に、救える命を見捨てることを『正しき信仰』とお考えになると?」


俺の、静かだが、揺るぎない反論。それは、ラウルスの論理の、まさに心臓部を貫いていた。彼の穏やかな笑みの下に、初めて、狼狽とも、あるいは感嘆ともつかない、複雑な感情が揺らめいたのを、俺は見逃さなかった。

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