第168話:神罰の代行者
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「き、貴様……!」
追い詰められた預言者の顔から、聖者の仮面が剥がれ落ちた。その下に現れたのは、自らの嘘が暴かれたことへの恐怖と、全てを奪われた者の、浅ましい憎悪に満ちた顔だった。彼の声は、もはや民を導く者のものではない。ただの、狂信者の絶叫だった。
「よくも……よくも、我らが神の御業を、穢れた人の理で汚してくれたな……!」
彼は、自らの言葉に酔いしれるかのように、陶然とした表情で天を仰ぐと、これまで以上に甲高く叫んだ。
「ならば、思い知らせてくれる!神に背き、偽りの理に惑わされた愚かなる子羊どもよ!真の神罰が、いかなるものかをな!」
預言者は、手にしていた杖を、力強く大地に突き立てる。
その瞬間、世界が悲鳴を上げた。
杖の先端に埋め込まれた魔石が、禍々しい紫色の光を放ち、周囲の空間から、凄まじい勢いで魔素を吸収し始めた。大地が、まるで巨大な心臓のように不気味に脈打ち、足元の石ころが、カタカタと震えながら宙に浮き上がる。空は急速にその青さを失い、鉛色の雲が渦を巻き始めた。
《マスター、危険です!》
アイの絶叫にも似た警告が、俺の脳内に響き渡る。
《対象の杖は、古代の『広域環境改変兵器』の起動キーです。現在、周辺一帯のエーテロン・スウォームが制御不能な状態に陥り、連鎖的なエネルギー暴走を開始しています!このままでは、半径数キロの地形そのものが、物理法則を無視して崩壊します!》
「地形そのものが……だと!?」
俺が戦慄したのも束の間、預言者の背後で、巨大な岩がメリメリと音を立てて裂け、天に向かって伸び上がる。地面には亀裂が走り、そこから紫色の、腐臭を放つ光が間欠泉のように噴き出した。
「うわあああああっ!」
「助けてくれ!」
巡礼者たちの間に、パニックが伝播する。逃げ惑う人々の悲鳴と、大地が引き裂かれる轟音が、悪夢のような協奏曲を奏でていた。
預言者は、自らが引き起こした破壊の光景に、恍惚とした表情で酔いしれていた。
「見よ!これぞ神罰!これぞ、我らが主がもたらす『浄化』の光だ!全ては無に還り、真の理だけが残るのだ!」
だが、俺には分かっていた。あれは、彼の力などではない。彼自身も、もはや制御できていない。ただ、古代の兵器の、引き金を引いてしまっただけなのだ。
このままでは、ここにいる全ての人間が、巡礼者も、彼を信じていた者たちも、俺も、無差別に、この暴走するエネルギーに飲み込まれて消滅する。
〈アイ!このエネルギーの流れを解析しろ!中心核はどこだ!〉
《解析開始。……マスター、中心は預言者の杖そのものです。ですが、すでに暴走したエネルギーは、自己増殖しながら周囲のエーテロンを巻き込み、巨大なエネルギーの渦を形成しています。物理的な破壊は不可能です。結界を展開しても、数秒と持たないでしょう。》
〈破壊できないなら、どうする!?〉
《逆転の発想です、マスター。このエネルギーの奔流を、無理に『止める』のではありません。『逸らす』のです》
〈逸らす……?〉
《はい。力の奔流を無理に抑えるのは得策ではありません。より安全な場所へと、その流れを誘導します》
アイの提案は、あまりにも大胆で、そして、恐ろしく精密な計算を要求されるものだった。だが、それが唯一の道であることもまた、俺の科学者としての直感が告げていた。
「……面白い。やってやろうじゃないか」
俺は、逃げ惑う巡礼者たちの前に、ただ一人、立ちはだかった。そして、腕の触媒を、天にかざす。
「おい!何を……!?」
俺の行動を、いぶかしむ声がどこかから聞こえた気がした。だが、俺は構わない。
俺は目を閉じ、意識を集中させた。脳内に、アイが弾き出した、恐ろしく複雑な数式が流れ込んでくる。それは、この暴走する魔素の『音楽』だった。その不協和音のリズム、テンポ、そして、その力のベクトル。その全てをアイが分析、それを俺が読み解き、理解する。
そして、イメージする。
この破壊の奔流を、優しく受け止め、そして、別の方向へと導くための、巨大な『受け皿』を。
「重力子透鏡』」
俺の腕の触媒から、青白い光の粒子が、螺旋を描きながら天へと昇っていく。それは、破壊の紫電とは対照的な、静かで、穏やかで、そして、絶対的な秩序を感じさせる光だった。
光の粒子は、上空で一つの巨大な円環を形成する。それは、物理的なレンズではない。周囲の空間の重力場そのものを、極めて精密に歪ませて作り出した、巨大なエネルギーの受け皿。
俺は、預言者に向かって叫んだ。
「さあ、来い!お前の信じる神の力とやら、俺の『理』が、受け止めてやる!」
俺が叫んだ瞬間、地上で荒れ狂っていた紫色の破壊エネルギーが、まるで意思を持ったかのように、その矛先を変えた。大地を裂き、岩を砕いていた力が、全て、空に浮かぶ俺の『重力子レンズ』へと、吸い寄せられていく。
「なっ……馬鹿な!なぜだ!なぜ神罰の光が……!」
預言者の、信じられないといった絶叫が響く。彼の制御を離れた破壊の力は、今や、俺が作り出した、より魅力的な『理』の奔流へと、その身を委ねていた。
紫色の濁流が、青い円環へと、美しい放物線を描きながら、次々と吸い込まれていく。その光景は、まるで、夜空に架かる、死と再生の虹のようだった。
だが、これだけでは終わらない。この膨大なエネルギーを、ただ受け止めるだけでは、いずれレンズが飽和し、崩壊する。
〈アイ!最終段階だ!吸収したエネルギーの位相を反転!ベクトルを、東の『嘆きの森』方向へ、固定!〉
《了解!位相変換シーケンス、開始!》
重力子レンズに吸収された破壊のエネルギーが、その性質を変えていく。禍々しい紫色が、清浄な青白い光へと変換され、レンズの中心で、一つの巨大な光の槍として、収束していく。
そして、俺は、その光の槍を、解放した。
「――行けぇっ!!」
光の槍は、音もなく、しかし、空気を震わせるほどの圧倒的なエネルギーと共に、東の空へと、一直線に放たれた。それは、数秒後、遥か彼方の『嘆きの森』の、その上空で、静かに、そして壮麗に、拡散した。まばゆい光が、一瞬だけ、昼間のように世界を照らし出し、やがて、無数の光の粒子となって空に溶けていく。まるで、壮大なオーロラのようだった。
後に残されたのは、破壊の爪痕が痛々しく残る大地と、そして、呆然と立ち尽くす人々だけだった。 預言者は、力の源であった杖を落とし、その場にへたり込んでいた。
彼の瞳からは狂信の光は消え、ただ、自らの理解を超えた現象への子供のような恐怖だけが浮かんでいた。彼を信じていた者たちもまた、その指導者の哀れな姿と、俺が引き起こした奇跡を前に言葉を失っていた。
「……終わった、か」
俺は、全身の力が抜けていくのを感じながらその場に膝をついた。エネルギーの制御に全神経を使い果たしたのだ。
その時だった。
「救世主様……!」
巡礼者の一人が震える声でそう呟いたのを皮切りに、その場の全員が、俺の前にひざまずいていた。
「おお、神よ……!我々は、本物の奇跡を……!」
「どうか、我らをお導きください!」
彼らの目には、もはや疑念はない。あるのは、人知を超えた力への、絶対的な帰依と、純粋な信仰だけだった。
〈……やれやれ。敵意よりも、盲目的な信仰の方がよほど厄介だ。これでは、どんな理屈も通じない〉
俺は、彼らの称賛と祈りを背中に受けながら、心の中で、深いため息をついた。
力を失った預言者とその一味は、いつの間にか、その場から姿を消していた。俺は、熱狂する巡礼者たちに一瞥もくれることなく、ふらつく足で立ち上がると、一人、静かに、本来の道へと戻っていった。
目指す場所は、ただ一つ。神殿都市ソラリス。
膝を折る人々の熱狂を背に、俺は思う。彼らが今見ているのは、新たな「奇跡」という名の幻影でしかない。俺がすべきことは、神になることではない。この世界の複雑で、そして美しい法則を、一つずつ丹念に解き明かしていくこと。その果てに何が待っていようと、仲間との約束を胸にこの道を進むことだけが、俺を前へと進ませる唯一の道標だった。
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