第166話:星迎えの巡礼路
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山岳王国グライフェンを後にしてから、季節は静かにその色合いを変え始めていた。目指す神殿都市ソラリスが位置する聖地ウル。そこへと続く道は、いつしか「巡礼路」と呼ばれる、特別な意味合いを帯びた街道へと姿を変えていた。
険しい山道が終わりを告げると、街道の風景は、そして空気は、再びその様相を変えていった。岩肌の目立つ、天を突くような山岳地帯は、いつしか穏やかな起伏の緑豊かな丘陵地帯へと変わる。道の両脇には、名も知らぬ美しい花々が咲き乱れ、風に乗って運ばれてくる花の蜜の香りが、これまでの旅で蓄積した緊張を、優しく解きほぐしていくようだった。
物理的な変化だけではない。何よりも違うのは、この街道を行き交う人々の、その「目」の色だった。
これまでの道中で出会った者たち――シエルの抜け目のない商人、王都の権謀術数に生きる貴族、そしてローディアの誇り高き騎士。彼らの瞳の奥には、常に、欲望、警戒、野心といった、生存競争を勝ち抜くための鋭い光が宿っていた。
だが、今、俺の周りを歩む人々の瞳は、澄み切った湖面のように、静かで、穏やかだ。彼らの身なりは、裕福な者から、着る物にも事欠きそうな貧しい者まで様々だ。だが、その顔つきに、卑屈さや傲慢さの色はない。ただ、ひたむきな何かに向かう、純粋な光だけが、静かに燃えている。
彼らは皆、巡礼者だった。大陸の霊的中心であるという聖地ウルへ、それぞれの祈りを胸に、ただ歩みを進める人々。その姿は、俺がこれまで見てきた、どの集団とも異質だった。
《マスター。周辺領域の巡礼者たちの生体データをスキャン。心拍数、血圧ともに、極めて安定した数値を示しています。また、脳内からは、ストレスや攻撃性に関連するホルモンの分泌が、通常値よりも著しく低いレベルで検出されました》
アイの冷静な分析が、脳内に響く。
〈一種の、集団的なトランス状態、あるいは瞑想状態に近い、ということか。この穏やかな気候、美しい風景、そして『聖地へ向かっている』という共通の目的意識。それらが、彼らの精神に、これほどまでの影響を与えているのか……。人間の心理とは、実に興味深い観測対象だ〉
科学者としての俺の探究心が、この不可解で、しかし美しい現象の「理」を解き明かそうと疼き始めていた。この星の物理法則だけでなく、この星に生きる人々の、心の法則。それもまた、俺が探究すべき、未知の領域なのだ。
この街道を歩いていると、まるで世界の重力が少しだけ軽くなったかのような、不思議な浮遊感を覚える。誰もが、互いに見返りを求めず、自然に助け合っていた。食料が尽きた家族に、見知らぬ商人が黙ってパンを差し出す。ぬかるみにはまった荷車を、屈強な男たちが、誰に言われるでもなく押し上げる。その光景は、俺がいた地球連邦の、効率と合理性だけで回る社会では、決して見ることのできない、非効率で、しかし温かいものだった。
〈信仰とは、神という絶対的な存在を仮定することで、他者への無償の愛を肯定し、集団の結束を最大化させるための、一種の社会的な生存戦略なのかもしれない。故郷の偉大な学者が聞いたら、何と答えるだろうか。彼はきっと、宇宙の壮大さと比較すれば、神の存在など些細な問題であり、重要なのは、我々自身が互いにどう向き合うかだと、そう言うだろうな〉
そんな思索に耽っていると、ふと、この街道が、異様なほど多くの人々で賑わっていることに気づいた。老人から子供まで、まさに老若男女。これほどの数の人々が、同時に同じ場所を目指している。これは、ただの日常的な巡礼ではない。何か、特別な理由があるはずだ。
〈それにしても、巡礼者が多いな〉
俺は、隣を歩いていた、人の良さそうな顔をした初老の男に、思い切って声をかけてみた。
「すまない、少し聞いてもいいだろうか。この巡礼路は、いつもこんなに人が多いのか?」
男は、俺の顔を見ると、人の好い笑みを浮かべた。その瞳には、一点の曇りもない。
「おお、旅の方かい。その装いは見慣れんが、ソラリスを目指す……もしや、この先のことについては、ご存じないのかね?」
「何か、特別なことでも?」と俺が尋ねると、男は心底驚いたような、呆れたような顔をした。
「なんと、知らずに来られたのか!それは驚いたわい。みんな、二十年に一度の『星迎えの儀』を目指しておるのじゃよ!」
「『星迎えの儀』……?」
初めて聞く言葉だった。その響きには、どこか、俺が追い求める『星の民』の影がちらついている。
男は、俺の無知な反応に、今度は、ガハハと、豪快に笑った。
「あんた、本当に何も知らないんだな! そりゃあ、この時期にソラリスを目指す旅人なんざ、珍しいわけだ!」
彼は、まるで子供に物語を語り聞かせるように、その儀式について、熱っぽく語り始めた。
「いいかい、『星迎えの儀』って言うのはな、この大陸で最も神聖で、そして最も古くから伝わる、二十年に一度だけの、大いなる祭典なのさ。聖地ウルの、その中心にある神殿都市ソラリスで、我らが唯一神ソリス様が、天上の星々から、再びこの地へと降臨されるのを、我ら民がこぞってお迎えするための、そりゃあもう、壮大な儀式なんだ」
彼の言葉は、純粋な信仰心に満ち溢れていた。だが、俺の耳には、その言葉の端々に、科学的な好奇心を刺激するキーワードが、いくつも引っかかった。
二十年に一度。天上の星々。降臨。
「その儀式ではな、教皇様自らが祭主となり、大陸中から選ばれた、最も清らかなる『星の乙女』が、祭壇に立つのだ。そして、我ら民の祈りが天に届けば、神は、その乙女を通じて、我らに新たな『神託』を授けてくださる。病は癒え、大地は潤い、世界に再び、秩序と平和が訪れる、と……。だから、みんな、それぞれの願いを胸に、この道を歩いているのさ。あんたも、何か願いがあって、ソラリスを目指しているんだろう?」
男の、あまりにも純粋な問いかけに、俺は言葉を詰まらせた。
〈神託。星の乙女。……セレスティア〉
俺の脳裏に、王都で交わした約束と、彼女のあの強い瞳が焼き付いている。まさか、セレスティアが『星の乙女』として、この儀式の中心にいるというのか。だとしたら、あまりにも危険すぎる。邪神教の連中が、大陸中の注目が集まるこの好機を、そして何より『聖女』という格好の標的を見過ごすはずがない。
〈これは……思った以上に、厄介なことになってきたかもしれんな〉
俺は、男に当たり障りのない笑みを返しながら、心の中で、新たな決意を固めていた。ソラリスへの旅は、もはや、単なる真実の探求ではない。それは、セレスティアという、かけがえのない仲間を守るための、戦いの始まりを告げる旅路となるのかもしれない。
俺は、巡礼者たちの祈りの流れに身を任せながら、東の空の、そのさらに先にある神殿都市ソラリスを、静かに、そして強く、見据えた。
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