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幕間8-1:公女の憂鬱と、父の深謀

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王都アウレリアの巨大な城門が、まるで過去との決別を促すかのように、ゆっくりと背後へ遠ざかっていく。私は一人、馬を走らせていた。目指すは、南のゼラフィム公爵領。私が捨てたはずの故郷。父からの、あまりにも一方的な召喚命令に従うのは不本意だったが、私の心には、奇妙な高揚感が宿っていた。


〈カガヤ様は、東へ……〉


私の脳裏に浮かぶのは、ヴェリディアの街で別れたあの方の横顔。そして、彼と対等に渡り合った、聖女セレスティアの、神々しいまでの微笑み。


〈……聖女、セレスティア様〉


思い出すだけで、胸の奥がちりちりと痛む。彼女は光だ。人々を癒し、導く、絶対的な光。カガヤ様の隣に立っていたであろうその姿は、あまりにも自然で、まるで古の物語の一場面のように、完璧に思えた。あの二人の間には、私などが立ち入れない、特別な絆が確かに存在した。私のような、鉄と血の匂いが染みついた戦士が、割り込む隙などないのかもしれない。


〈いいえ、違う〉


私は、かぶりを振って弱気を打ち消した。彼は言った。「俺の理術は、魔法ではない」と。ならば、聖女の奇跡と彼の力は、似て非なるもの。光が彼の進む道を照らすなら、私は剣で、その道に群がる脅威を斬り払う。役割が違うだけだ。そう、信じたい。


王都を離れてからの旅は、決して平穏ではなかった。街道筋で絡んでくるごろつきを叩きのめし、夜営中に襲ってきた魔獣の群れを一人で撃退する。だが、その度に、私の剣は鋭さを増し、心は不思議と満たされていった。


〈もっと、強くならなければ〉


カガヤ様と再会する、その日のために。彼の隣に立つにふさわしい、揺ぎない力と、そして覚悟を手に入れるために。



数週間の旅路を経て、私はついに、ゼラフィム公爵領の領都ラフィムの城門をくぐった。城壁の向こうに広がるのは、懐かしい、しかしどこか見慣れた風景。活気に満ちた市場、整然と並ぶ石造りの家々、そして、その中心にそびえ立つ、白亜の公爵邸。


「……何も、変わらないのね」


私が家を飛び出してから数年。この街は、私がいた頃と、何一つ変わらない姿で、そこに在り続けた。変わったのは、私の方なのかもしれない。


公爵邸へと続く大通りを歩いていると、不意に、聞き覚えのある声が私を呼び止めた。


「クゼルファ嬢!……いや、クゼルファ殿か。久しぶりだな」


振り返ると、そこにいたのは、我が家の騎士団に所属する、幼なじみの騎士、ライナーだった。彼は、私がまだ屋敷にいた頃、よく剣の稽古をつけてくれた、兄のような存在だ。


「ライナー……。あなたも、元気そうね」


「ああ。それより、お前の噂は聞いているぞ。辺境の街で、腕利きの冒険者として名を馳せていると。……すっかり、戦士の顔つきになったな。お嬢様だった頃の面影もない」


彼は、悪戯っぽく笑う。その気さくな物言いに、私の心も少しだけ和んだ。


「あなたこそ、立派な騎士になられたのね。その鎧、とても似合っているわ」


「はは、よしてくれ。お前にそう言われると、どうにもむず痒い。……なあ、クゼルファ。親父殿は、お前の帰りをずっと待っていた。あまり、意地を張るなよ」


短い再会の挨拶を交わし、私は再び公爵邸へと歩き出した。変わらない故郷、そして、変わらず私を迎えてくれる友。その温かさが、私の心を少しだけ、軽くしてくれた。


公爵邸の重厚な門の前に立つと、すでに、一人の老人が私を待っていた。我が家の執事を長年務める、バルドゥインだ。彼がこの場にいるということは、父が私の帰還を今か今かと待ち構えている証拠だろう。


「お帰りなさいませ、お嬢様。お館様が執務室にてお待ちかねでございます」


バルドゥインは、深々と、しかしどこか事務的に頭を下げると、私を邸内へと案内した。大理石の床に、私のブーツの音だけが冷たく響き渡る。


父の執務室の前に立ち、私は一度深呼吸をした。そして、重い扉を三度ノックする。


「――入れ」


中から聞こえてきたのは、変わらない威厳に満ちた父の声だった。


部屋の中央、巨大な執務机の向こうで、父、アディル・アディ・ゼラフィムは、静かに私を見据えていた。その瞳は、南の地を治める大貴族のそれであり、同時に、一人の父親の顔をしていた。


「お父様。ご命令により、ただいま戻ってまいりました」


私が、貴族としての礼に則り、深くカーテシーをすると、父は、手でそれを制した。


「……久しいな、クゼルファ。息災であったか」


「はい。お父様も、お変わりなく」


短い、当たり障りのない挨拶。だが、その沈黙には、数年分の空白が、重くのしかかっている。


その沈黙を破ったのは、父の、あまりにも唐突な一言だった。


「して、例のカガヤ殿とは、どうなっておる?」


「――へ?」


私は、思わず素っ頓狂な声を上げた。なぜ、ここで、カガヤ様の名が?


父は、私の動揺など意にも介さず、畳み掛けるように続けた。


「とぼけなくともよい。王都での一件、私も見物させてもらった。」


「………」


「ヴェリディアでは、不治の病から辺境伯の娘を救い、王都では教会を敵に回し足し回った挙げ句、聖女の守護者となったあの異邦人……。まさか、全ての始まりがお前だったとはな。……で、だ。あの男とは、付き合っておるのか?」


「つ、付き合ってなど……!」


「ならば、結婚はいつにするのだ?」


「けっけっ…け、結婚!?」


父の、あまりにも突拍子もない言葉の連続に、私の頭は完全に真っ白になった。顔に、カッと血が上り、心臓が、早鐘のように激しく鳴り響くのが分かる。


「な、な、何を、仰いますか、お父様! 私とカガヤ様は、そのような関係では……!」


「ふむ」


父は、しどろもろになる私を、面白そうに観察すると、満足げに、深く頷いた。


「満更でも、ないようだな」


「ですから、違いますと……!」


「バルドゥイン」


父が、部屋の隅に控えていた執事に、静かに声をかけた。


「例の件、進めるぞ」


「御意に」


バルドゥインは、表情一つ変えず、深々と一礼すると、音もなく部屋を退出していった。


「お父様! いったい、何を……?」


私の問いに、父は、ついに、その企みの全貌を、悪びれもせずに明かした。それは、私の想像を、遥かに超える、とんでもない計画だった。


「あの男の『理』は、この国の、いや、この大陸の勢力図を塗り替えかねん。教会も王家も、まだその真価に気づいておらん。ならば、誰よりも先に、我がゼラフィム家が囲う。それだけの話よ。」


「え?それって……」


「なに、大したことではない。カガヤ殿を、我がゼラフィム家の婿として、正式に迎える。ただ、それだけのことだ。お前の幸せと、我が家の繁栄が両立する、実に合理的な策だとは思わんか?」


その言葉が、私の頭の中で理解されるまで、数秒の時間を要した。


そして、


「えええええええええええええええええええええええっ!?」


私の絶叫が、ゼラフィム公爵邸の、静かな午後の空気を、激しく、そして盛大に、震わせたのだった。その声を聞きつけたライナーが、何事かと執務室の扉に駆け寄り、バルドゥインにそっと制止させられている光景を、この時の私は知る由もなかった。

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