第164話:鷲獅子の待つ地へ
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神造兵装『ブリュンヒルデ』の眠る聖域を後にしてから、数日が過ぎた。俺、カガヤ・コウは、ローディア騎士団総長ギデオンから与えられた「特使」の身分証を懐に、ソラリスへの旅立ちの準備を進めていた。予定外の三週間ほどの滞在だったが、この剛健の国で得たものは、決して少なくない。
出発の日の朝、俺は再びギデオンの執務室へと招かれた。城塞都市アイギスの最も高い場所にあるその部屋の窓からは、騎士たちが訓練に励む広大な練兵場と、その向こうに広がる荒涼とした山々が一望できた。
「カガヤ殿。改めて、ソラリスへの経路についてだが」
ギデオンは、巨大な執務机に広げられた大陸地図の一点を、その太い指で指し示した。そこは、ローディア騎士王国と聖地ウルが、国境を接する部分だった。
「地図の上では、我が国と聖地ウルは隣接している。だが、この間には、いかなる公式な交易路も存在しない。理由は、この『嘆きの森』だ」「かつて、俺の祖父の代に一度だけ、この森を越えようと精鋭部隊を派遣したことがある。だが、生きて戻った者は、一人もいなかった」
彼の指がなぞったのは、二国間に横たわる、インクで黒々と塗りつぶされたかのような広大な森林地帯だった。
「深い森、人の背丈ほどにもなる藪をかき分けねば進めない険しい獣道、そして、一度足を踏み外せば二度と戻れぬと言われる、底なしの断崖。これらが、あらゆるキャラバンや軍隊の通行を、数百年もの間、拒み続けてきた。迂回して南の平原を抜けるルートもあるが、それではソラリスまでひと月はかかるだろう」
その言葉に、俺は眉をひそめた。ひと月。思いの外長いな。邪神教の残党が、いつソラリスで行動を起こすか分からない今、それほどの猶予はなかった。
「……近道はないのですか?」
俺の問いに、ギデオンは待ってましたとばかりに、地図の別の場所を指した。
「一つだけ、ある。この山脈の北、山岳王国グライフェンを通過するルートだ」
グライフェン王国。地図上では、ローディアの北東に位置する、比較的小さな国として記されている。
「彼らは、この嘆きの山脈に巣食う、ある魔獣を使役することで、独自の道を切り拓いている。その魔獣の名は、グリュプス。鷲の頭と翼、そして獅子の胴体を持つ、気高く、そして凶暴な空の王者だ」
グリュプス。その名を聞いた瞬間、俺の脳裏に、かつて地球の博物館で見た古代神話の想像図が、鮮やかにフラッシュバックした。ライオンの身体に鷲の頭と翼を持つ伝説の生物。この惑星の猪が地球のそれと遺伝的に酷似していたように、ここにもまた、奇妙な符号が存在する。
《マスター。データベースに存在する地球の神話体系のグリフォンと、ギデオン総長の言う魔獣の特徴が、かなりの確率で一致します。これは、極めて興味深い事例です。この惑星の生態系が、地球の文化史と何らかの形でリンクしている可能性が……》
〈ああ、分かっている。アイ。静かにしろ。今、心が躍っているんだ〉
俺は、科学者としての抑えきれない好奇心に、胸が高鳴るのを感じていた。
「グライフェンは、そのグリュプスを駆る『鷲獅子騎士』が国の守りの要となっている、誇り高き山岳国家だ。幸い、我が国とは長年の国交があり、比較的関係も良好だ。君が持つ騎士団の身分証明書を見せれば、無下な扱いはされんだろう。むしろ、歓迎してくれるやもしれん」
「……そのルートで行きます」
俺は、即答していた。ソラリスへの最短ルートであるという合理的な判断と、グリュプスという未知の生命体への純粋な探究心。その二つが、俺に迷いを選択させなかった。
《マスター。グライフェン経由のルートは、確かに最短ですが、未知の魔獣との遭遇リスク、及び、未確認の政治的リスクを内包します。地球の歴史において、孤立した山岳民族は、独自の文化と排他的な気質を持つ傾向にあります。ギデオン総長の親書があったとしても、彼らが異邦人であるマスターを歓迎する保証はありません。マスターのその判断は、単に知的好奇心という名の欲望に忠実なだけでは?》
アイの、どこまでも冷静なツッコミが脳内に響く。
〈うるさい。たまには、非合理的な選択も、人生には必要だろう?〉
俺が内心でそう悪態をつくと、目の前のギデオンが、まるで俺の心を見透かしたかのように、その口元に楽しげな笑みを浮かべた。
「ふん。君のような男は、そちらを選ぶと思っていたよ。よかろう。これを持っていけ。グライフェンの女王陛下に宛てた、私からの親書だ。これを渡せば、悪いようにはされんだろう。だが、道中、気を抜くな。山の民は、平地の者とは違う価値観を持つ。彼らの誇りを、軽んじるでないぞ」
その言葉は、武人としての、そして為政者の一人としての、彼なりの餞別だった。
◇
出発の朝。アイギスの巨大な城門の前は、普段の厳粛な雰囲気とは違う、どこかざわついた熱気に包まれていた。俺がソラリスへと旅立つという報せを聞きつけ、この三週間という短い期間を共に過ごした騎士たちが、見送りに集まってくれていたのだ。
「おい、カガヤ!死ぬんじゃねえぞ!」
「ソラリスの酒は美味いと聞く。土産話を期待してるからな!」
無骨で、飾り気のない激励の言葉。当初、俺を「卑劣な魔術使い」と侮っていた彼らの視線には、今や、一人の風変わりな「戦友」を見送る、温かい色が宿っていた。俺が彼らの前で示した「理の剣」は、彼らの常識を破壊すると同時に、俺という存在への、新たな理解を生んだらしかった。
その人垣をかき分けるようにして、一人の若者が、俺の前に進み出た。金色の髪、そして、真っ直ぐすぎるほどに真っ直ぐな青い瞳。エリアス・ファーン。
彼は、俺の前に立つと、深く、そして力強く頭を下げた。
「カガヤ殿。先日の決勝戦での戦い、見事であった。あれを目にしたら……完敗だ」
その声に、以前のような敵意はない。あるのは、自らの未熟さを認める潔さと、そして、遥か高みを見据える者の、新たな決意だけだった。
「俺は、あんたの戦い方を、最初は卑劣だと思った。だが、違った。あんたの剣には、あんただけの『理』がある。俺が信じてきた騎士道とは違う、だが、それもまた、一つの真実なのだろう。あんたは言ったな。『力は、それを持つ者の品格を映す鏡だ』と。あの時の俺には、その意味が分からなかった。だが、今は少しだけ分かる気がする。俺は、俺の信じる騎士道で、あんたの理を超えてみせる」
彼は、顔を上げると、その青い瞳で、俺を射抜くように見つめた。
「だから、俺は誓う。次に会う時までに、俺は、あんたの『理』を超えてみせる。俺自身の剣で、騎士としての誇りで、あんたを必ず超えてみせる。だから……それまで、無様に死ぬなよ」
それは、彼が俺に叩きつけた、再戦の誓いだった。
「……ああ。待っている」
俺は、彼の成長を、そしてその覚悟を、確かに受け止めた。俺は、彼らに背を向け、相棒として用意された栗毛の馬の手綱を握る。
この騎士の国で過ごしたのはたかが三週間。だが、その時間で得たものは、計り知れない。剣の理、人の情け、そして、友との誓い。それら全てを胸に、俺は新たな旅へと出発する。
まだ見ぬ空の王者、グリュプス。そして、世界の真実が眠る、神殿都市ソラリス。俺の科学者としての魂が、未知の冒険を前に、歓喜の声を上げていた。神話は、かつてこの星に存在した、超科学の記憶の断片なのかもしれない。ならば、それを解き明かすのが、俺の役目だ。
俺は、一度も振り返ることなく、騎士たちの声を背に、朝日が昇る東の地平線へと、その一歩を踏み出した。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
これにて第8章、完結となります。
幕間を挟み、第9章へと物語は続きます。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
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