第161話:理と剛の対話
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城塞都市アイギスが、建国以来の興奮と緊張に包まれていた。闘技場を埋め尽くした数万の観衆は、固唾を飲んで、その瞬間を待っている。準決勝で、騎士隊長アルフォンスを圧倒的な剣技でねじ伏せた異邦人、カガヤ。その決勝の相手が、誰になるのか。誰もが、その一点に注目していた。
だが、闘技場にその名を呼ばれたのは、予想だにしなかった、この国の頂点に立つ男だった。
「決勝戦!“黒髪の異邦人”カガヤ対………聖覧武闘会管理委員会の特別裁定により、急遽出場が決定した! 我が騎士団が誇る至上の剣、総長ギデオン!」
審判の、震える声が響き渡った瞬間、闘技場は、水を打ったように静まり返った。そして、その静寂は、次の瞬間、これまでとは比較にならない、地鳴りのような驚愕と熱狂の渦へと変わった。
「総長自らが……!?」
「まさか、本気なのか……!?」
貴賓席から、ゆっくりと闘技場へと降りてくる、その威厳に満ちた姿。ローディア騎士団総長、ギデオン。彼は、豪華な式典用の鎧ではなく、実戦で使い込まれたであろう、機能美だけを追求した黒鋼の鎧をその身に纏っていた。腰に提げているのは、飾り気のない、しかし、ひと目で業物と分かる、長剣が一振り。
彼は、俺の前に立つと、その鋼色の瞳で、静かに、しかし、俺という存在の全てを暴き出すかのように、鋭く見つめてきた。
「カガヤ殿。準決勝での戦い、見事であった。貴殿の『理』の片鱗、確かに見させてもらった」
彼の声は、静かだが、闘技場の隅々にまで、不思議とよく通った。
「だが、まだ足りん。貴殿のその力の真の正体、そして、その器が、このローディアの未来を託すに値するかどうか。このギデオン、この身を以て、確かめさせてもらう。これは、もはや単なる試合ではない。貴殿の『理』と、我ら騎士が積み上げてきた『剛』、どちらがこの国の未来を切り拓くにふさわしいかを見極める、神聖なる『天秤』だ」
それは、最強の男による、最終試験の宣告だった。
「始め!」
審判の合図は、もはや、ただの形式に過ぎなかった。
合図と同時に、ギデオンの姿が、掻き消えた。
《マスター。危険です。対象の筋繊維収縮パターン、及び重心移動が、これまでの全データと一致しません。 予測不能です。》
アイの絶叫にも似た警告と、俺の身体に走る悪寒は、ほぼ同時だった。俺は、思考よりも先に、エーテロンを極限まで活性化させた肉体を、反射的に後方へと跳躍させていた。
次の瞬間、俺がほんの数秒前まで立っていた空間を、ギデオンの剣が、音もなく通り過ぎていた。
〈……速い!〉
目で追うことすらできなかった。これまでの相手とは、次元が違う。彼の剣には、殺気も、予備動作も、一切存在しない。あるのは、ただ、純粋な武の極致。長年の経験と、天性の直感が、物理法則すら超越したかのような、予測不能の一撃を生み出している。
《予測パターンとの乖離率、87%。マスター、彼の動きは、私の予測アルゴリズムの、許容範囲を超えています。》
アイの思考が、初めて、明確な混乱を示していた。俺は、脳内に表示される、無数に明滅する赤い警告を無視し、目の前の「現実」に、全神経を集中させる。
ギデオンの剣が、再び、襲い来る。上段、下段、突き、払い。その全てが、淀みなく、そして、最短距離で俺の急所を狙ってくる。俺は、アイの不完全な予測と、自らの強化された反射神経だけを頼りに、その猛攻を、ただ、必死に凌ぎ続けた。
キィン!ガキン!
木剣同士がぶつかり合う、甲高い音が、闘技場に響き渡る。だが、その音を発しているのは、ほとんどが俺の防御だった。初めは、一方的に、俺が押されていた。一撃、また一撃と、重い衝撃が、俺の腕を痺れさせ、体力を奪っていく。
だが、その防戦の中で、俺の心は、不思議と、冷静さを保っていた。
〈……面白い〉
恐怖と、紙一重の場所で、俺の科学者としての魂が、歓喜の声を上げていた。目の前の男、ギデオンの剣技は、まさに、生きた「究極の運動力学」だった。
〈アイ!彼の動きを、全て記録しろ!剣の角度、筋肉の収縮、重心の移動、その全てだ!彼の剣技を、『変数』として、俺の戦闘モデルに、リアルタイムで組み込んでいく!彼の動きが予測不能なのではない。俺たちの戦闘モデルが、まだ不完全なだけだ。ならば、……今、この場で、完成させればいい!〉
《……了解。マスターの思考に、私の全リソースを同期させます。戦闘モデル、再構築開始。》
俺は、彼の剣を受けながら、彼の動きを、盗み始めた。
ギデオンが、流れるような動きで、俺の死角へと回り込み、斬撃を放つ。俺は、それを紙一重でかわすと同時に、次の瞬間、全く同じ動きで、彼の懐へと踏み込んでいた。
「……ほう」
ギデオンの瞳が、初めて、わずかに見開かれた。俺の動きが、彼の「模倣」であることに、気づいたのだ。
だが、俺のそれは、単なる模倣ではない。彼の動きを、アイが瞬時に解析し、俺の身体能力に合わせて、最適化した「改良版」。
次第に、戦いの流れが変わっていく。最初は、防戦一方だった俺の剣が、徐々に、ギデオンの攻撃と、互角に渡り合い始めたのだ。彼の剣を、彼の技で受け流し、彼の踏み込みを、彼の歩法でかわす。
闘技場は、静まり返っていた。誰もが、目の前で繰り広げられる、異次元の攻防に、言葉を失っていた。それは、もはや、ただの剣の試合ではなかった。剛と理の二人の探究者が、互いの信念を剣を介してぶつけ合う、高次の対話だった。
そして、数十合の剣戟が交わされた、その時。
ついに、俺の木剣が、ギデオンの鎧の、ほんの僅かな隙間を捉え、その肩を、浅くではあるが、確かに打ち抜いた。
「……見事だ、カガヤ殿」
ギデオンが、初めて、その口元に、満足げな笑みを浮かべた。
「貴殿のその成長速度、そして、敵の技さえも喰らう貪欲さ。気に入った。だが――」
彼の纏う空気が、一変した。
「―――王者の剣を、その目に焼き付けるがいい」
次の瞬間。ギデオンの姿が、完全に、俺の前から消えた。それは、速さではない。俺の思考の、その僅かな隙間を縫うようにして放たれた、完璧な一太刀。経験と直感、そして王としての覚悟が練り上げられた、予測という概念が介在する余地のない、絶対的な一撃だった。
《……マスター。予測不能。回避、不可能です。》
アイの声が遠のいていく。俺の全感覚が、警鐘を乱れ打つ。だが、身体が、動かない。彼の、その一撃だけは、俺の「理」の、その全てを超越していた。
ズン、という、腹の底に響くような、重い衝撃。
俺の意識は、そこで、静かに、途切れた。
気づいた時、俺は、闘技場の青い空を、見上げていた。身体の痛みはない。彼の最後の一撃は、俺の意識だけを刈り取る、完璧な一撃だったのだ。
「……勝者、ギデオン総長!」
審判の、厳かな声が響く。俺は、ゆっくりと、身を起こした。
完敗だった。だが、不思議と、悔しさはなかった。あるのは、自らの未熟さと、そして、遥か高みにある「理」の存在を知ることができた、清々しいまでの満足感だけだった。
俺は、闘技場の中央で、静かに俺を見下ろすギデオンに向かい、騎士の礼に則り、深く、頭を下げた。
「見事であった、カガヤ殿。貴殿の『理』、確かにこの国を変える力となろう。……聖域へ行くがよい。そこで、貴殿自身の目で、この国の真実を見届けるがいい」
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