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第159話:開幕、鋼と誇りの祭典

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

聖覧武闘会、開幕の日。城塞都市アイギスは、四年に一度訪れる国中で最も大きな祝祭に、街全体が熱狂の渦に包まれていた。


普段は無骨で、鉄と汗の匂いしかしないこの街が、今日ばかりは色とりどりの旗や幟で飾り付けられている。大通りには、武具を模した菓子や、有名騎士の似顔絵を描いたお守りを売る店など、様々な露店が立ち並び、子供たちが、お目当ての騎士の名を叫びながら、その間を駆け抜けていく。市民たちの顔は、これから始まる剣と誇りの祭典への期待で、一様に高揚していた。


その熱狂の中心地である、王立大闘技場。円形のすり鉢状に広がる巨大なこの闘技場。その観客席は立錐の余地もないほど、多くの市民で埋め尽くされていた。彼らにとって、この武闘会は、日々の厳しい生活を忘れさせてくれる、最高の娯楽なのだ。


だが、その熱気とは対照的に、闘技場の地下にある選手控え室は、張り詰めた静寂と、冷たい鉄の匂いに支配されていた。国中から集まった、選び抜かれた騎士たちが、それぞれの得物を手に、静かに出番を待っている。交わされる言葉はない。あるのは、荒い呼吸と、己の誇りを懸けた戦いを前にした、極限の緊張感だけだった。


〈……なるほど。アドレナリンと闘争本能が凝縮されたような空気だな。〉


俺は、その独特の雰囲気の中、控え室の隅で、静かに壁に寄りかかって目を閉じていた。特務顧問という肩書があるものの、俺も他の騎士たちと同じ大部屋を与えられている。周囲から突き刺さる、好奇と、敵意と、そして値踏みするような視線が、肌をちりちりと焼く。


《マスター。心拍数、血圧ともに、平常値です。アドレナリンの分泌量も、最適レベルに制御されています。いつでも、最高のパフォーマンスを発揮できます》


〈ああ。ありがとう。アイ〉


アイの冷静な報告に、俺は心の中で頷いた。この二週間、俺は、自らの肉体と、そしてこの世界の物理法則と、徹底的に向き合ってきた。俺の今の力は、紛れもなく、俺自身が「理」で積み上げたものだ。この戦い、負ける道理はなかった。


やがて、闘技場に、開会を告げるファンファーレが高らかに鳴り響いた。


「一回戦、第一試合! “鋼塊の騎士”ボルグ対“黒髪の異邦人”カガヤ! 両者、前へ!」


審判の鋭い声が、俺の名を呼ぶ。俺は、ゆっくりと目を開け、闘技場へと続く、薄暗い通路を歩き始めた。


光の中へ足を踏み出した瞬間、地鳴りのような大歓声が、俺の身体を叩きつけた。眩い太陽の光と、数万の視線。その全てが、俺という異物を、好奇の目で見つめている。


俺の対戦相手、ボルグと呼ばれた男は、その異名の通り、俺の倍はあろうかという、巨漢だった。その肩には、もはや剣というよりは鉄塊に近い、巨大な両手剣が担がれている。彼が、その巨体を揺らして歩を進めるたび、大地がわずかに震えるようだった。


「おいおい、なんだ、あのヒョロヒョロの男は」


「ボルグ様の相手が、あんな子供みたいな奴だとはな。一撃で、肉塊になるのがオチだろうぜ」


観客席から、容赦のない野次が飛ぶ。無理もない。純粋な膂力でいえば、俺と彼とでは、勝負にさえならないだろう。


「始め!」


審判の合図と共に、ボルグが、雄叫びを上げて突進してきた。その巨体からは想像もつかないほどの、凄まじい速度。両手剣が、空を切り裂き、俺の頭上へと、一直線に振り下ろされる。


だが、俺は、その圧倒的な破壊力を、ただ、静かに見つめていた。


《マスター。彼の踏み込み、肩の動き、そして剣の風切り音。その全てのデータを統合し、攻撃パターンを予測します》


俺の網膜に、無数の予測線が、幾何学模様のように展開される。


〈……見えた〉


俺は、ボルグの攻撃が到達する、コンマ数秒前。大きく後ろへ跳躍するのではなく、ただ、半歩だけ、右に動いた。


ゴウッ、という轟音と共に、ボルグの剣が、俺がほんの数秒前まで立っていた場所を叩き潰し、闘技場の石畳を砕き割った。


観客席が、どよめく。偶然、かわした。誰もが、そう思っただろう。


「小賢しい!」


ボルグは、再び剣を構え直し、今度は、横薙ぎの一閃を放ってきた。闘技場を半円状に抉り取るかのような、広範囲攻撃。だが、それもまた、俺の身体を捉えることはない。俺は、まるで踊るように、その剣の軌道の上を、ひらりと飛び越えた。


手数では、俺が上回ることができる。だが、一撃でも食らえば、終わりだ。ならば、俺がすべきことは、一つ。


〈アイ。彼の動きの『癖』を、徹底的に洗い出せ。どんな達人であろうと、人間である限り、必ず、無意識の動作パターンが存在するはずだ〉


《了解。高速モーションキャプチャにより、彼の生体的な『癖』をスキャンします》


俺は、回避に専念した。ボルグの猛攻は、嵐のように、絶え間なく俺に襲いかかる。だが、その全てが、まるで俺という存在を避けるかのように、空を切っていく。観客席のどよめきは、次第に、困惑と、そして、ありえないものを見るかのような、静けさへと変わっていった。


そして、十数合の剣戟が交わされた、その時だった。


《……マスター。発見しました。対象は、大技を繰り出す0.3秒前、必ず、左足の小指に、一瞬だけ体重を乗せる癖があります。おそらく、過去の訓練で身についた、彼自身も気づいていない、無意識の予備動作です》


〈……ビンゴだ〉


俺は、笑みを浮かべた。勝負は、決した。


俺は、わざと、ボルグの間合いへと、一歩踏み込んだ。俺のその挑発的な行動に、ボルグは、待ってましたとばかりに、全身のバネを使って、最大の一撃を放とうとする。


そして、俺は、視た。彼の左足の小指に、ほんの一瞬、ぐっと力が入るのを。


《カウンターを推奨。最適解を提示します》


俺は、振り下ろされる鉄塊の豪剣を、潜り抜けるようにかわすと同時に、彼のがら空きになった左足の、まさにその小指の付け根を、木剣の先端で、軽く、しかし正確に、打ち抜いた。


「ぐっ……!?」


人体の急所。ボルグの巨体が、信じられない、といった表情で、ぐらりと揺れる。彼の巨体を支えていた左足の力が、抜けたのだ。


体勢を崩した彼の前に、俺は、静かに回り込んでいた。そして、彼の剣を持たない方の腕、その手首の関節を、下から、打ち上げるように、木剣で、小さく、鋭く、跳ね上げた。


カラン、という、場違いなほど軽い音を立てて、巨大な両手剣が、宙を舞った。


勝負は、あまりにも静かに、その幕を下ろした。


闘技場は、一瞬、水を打ったように静まり返った。何が起こったのか、誰も理解できなかったのだ。だが、やがて、審判が、震える声で俺の勝利を告げると、その静寂は、爆発的な大歓声によって、打ち破られた。


「うおおおおおおっ! あの巨漢を、倒しやがった!」


「なんだ、今の動きは!? まるで、舞のようだったぞ!」


熱狂する観客席の、その最上段。騎士団総長ギデオンは、その鋼色の瞳を細め、ただ、静かに、そして満足げに、口の端を吊り上げていた。


そして、騎士たちの席。エリアスは、握りしめた拳が白くなるのも構わず、闘技場の中央に立つ俺の姿を、信じられない、という表情で、ただ、見つめていた。


俺は、歓声に包まれながら、静かに、天を仰いだ。


〈……これが、俺の剣術。これが、俺の『理』だ〉


《マスター。素晴らしい勝利です。ですが、観客席の熱狂とは裏腹に、騎士たちの席から向けられる視線の多くは、賞賛ではなく、敵意と嫉嫉に満ちています。今後の試合、より一層の警戒を》


アイの冷静なツッコミに、俺は、ふっと、息を吐いた。


〈ああ。分かってるさ。……面白くなってきたじゃないか〉


剛健の国で、異邦人の『理の剣』が、静かに産声を上げた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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