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第155話:理と剛の邂逅

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

黄昏の決闘から一夜が明けた。城塞都市アイギスに昇る朝日は、どこか空気に張り詰めた鉄の匂いを帯びているように感じられた。俺は宿屋の一室で、昨日の出来事を反芻しながら、深くため息をつく。


面倒なことになった。


エリアスという、騎士道を体現したかのような若者を、昨日の決闘で完膚なきまでに打ち負かしてしまった。俺のやり方は、彼らの誇りを、最も効果的に、そして静かにへし折っただろう。昨夜の一件は、すでに騎士団の上層部に報告され、様々な憶測を呼んでいるに違いなかった。


《マスター。昨日の決闘に関する生体反応データを再分析しました。エリアス騎士の戦闘パターンは、ローディア騎士団の基本剣術の、極めて優れた応用形です。しかし、マスターの回避行動は、彼の予測可能な範囲を完全に超越していました。彼にとって、あの敗北は、自らの剣技の根幹を否定されたに等しい、精神的ダメージを与えた可能性があります》


「だろうな。だからこそ、厄介なんだ」


俺は、窓の外に目をやった。訓練場へと向かう、屈強な騎士たちの列が見える。その誰もが、俺の存在を意識しているかのように、宿屋の方角へ、鋭い視線を向けている気がした。


この国では、俺の「理」は、あまりにも異質すぎる。これ以上、目立つ行動は避け、早々にソラリスへと向かう準備を始めなければ。そう決意を固めた、まさにその時だった。


コン、コン、と、部屋の扉が、控えめに、しかし有無を言わせぬ響きでノックされた。


「カガヤ殿。ローディア騎士団総長、ギデオン・アークライト様がお見えです」


宿の主人の、緊張にこわばった声。


まさか、もう来たというのか?あまりの展開の速さに、俺は内心で焦りを覚えた。


扉を開けると、そこには、ひとりの男が立っていた。その圧倒的な存在感と、すべてを見透かすような鋼色の瞳。


ギデオン・アークライト。ローディア騎士団の頂点に立つ男。その体躯は、歴戦の傭兵であるジン団長にも引けを取らないほど屈強で、分厚い胸板は、彼が纏う豪奢な装飾が施された鎧を、窮屈そうに押し上げている。だが、彼の真の恐ろしさは、その肉体ではない。全てを見透かすかのような、静かで、そして底光りする、鋼色の瞳。その眼光は、俺という存在の、根幹までをも見抜こうとするかのように、鋭く突き刺さってきた。


彼の背後には、エリアスが、まるで罪人のように俯き、悔しさと、そしてどこか複雑な感情を宿した目で、静かに控えている。


「……何の御用でしょうか、総長殿?」


俺がそう言うと、ギデオンは、その口元に、わずかな笑みさえ浮かべた。


「なに、そう警戒されるな。少し、貴殿と話がしたいだけだ。私の執務室へ、ご足労願えるかな?」


それは、丁寧な言葉遣いとは裏腹の、拒否を許さない「招待」だった。



騎士団の本部である巨大な城塞の最上階。総長の執務室は、質実剛健を旨とするこの国の気風とは裏腹に、意外なほど、静かで、そして書物の香りに満ちていた。壁一面を埋め尽くす本棚には、戦術書や歴史書、そして、この国の成り立ちに関するであろう、古びた羊皮紙の巻物が、整然と並べられている。


ギデオンは、俺に椅子を勧めると、自らは巨大な執務机の向こう側に、どっかと腰を下ろした。


「さて、カガヤ殿。単刀直入に聞こう。貴殿は、一体、何者だ?」


彼の鋼色の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。


「ただの旅の者ですよ。ソラリスへの巡礼の途中で、この国に立ち寄ったに過ぎません」


「ほう。敬虔な巡礼者が、酒場で騎士相手にイカサマを暴き、あまつさえ、決闘で騎士団の有望株を赤子のようにあしらう、と? 面白い冗談だ」


ギデオンは、楽しむように、しかし、その瞳の奥は一切笑っていなかった。彼は、テーブルの上に、一枚の羊皮紙を広げる。それは、俺の人相書きだった。王都で出回っていたものと、寸分違わない。


「フォルトゥナ王国の王都で、聖女を誑かした『異端者』として、教会から追われていたそうだな。黒髪、黒目、そして、誰も見たことのない『術』を使う、と。その特徴は、貴殿と見事に一致する」


「……どこで、その情報を」


「ローディアは、尚武の国であると同時に、情報の国でもある。この大陸のパワーバランスを維持するためには、隣国のどんな些細な動きも見逃すわけにはいかんのでな。王都にいる我らの『目』が、貴殿に関する、実に興味深い報告を送ってきてくれた」


彼の言葉は、この国がただの武力国家ではないことを、雄弁に物語っていた。


「貴殿の力は、魔法ではない。詠唱も、魔法陣も、魔力の揺らぎさえ、ほとんど観測されなかった、と聞く。だが、現に、貴殿はエリアスを打ち負かした。……あれは、一体、どんな『理屈』なのだ?」


俺は、彼の問いに、どう答えるべきか、瞬時に思考を巡らせた。


《マスター。彼の知性は、極めて高いレベルにあります。下手に誤魔化せば、即座に見抜かれるでしょう。ですが、理術の根幹を明かすのは、危険すぎます》


〈……ああ。少しだけ、情報を開示するしかないか〉


「……私は、物事の(ことわり)を探究する者です。私の力は、魔法ではなく、その理を応用しただけの、ただの技術。例えば、剣を振るう際の、筋肉の動き、骨格の可動域、そして、力の伝達効率。その全てを、私は『計算』することができる。あなたの部下、エリアス殿の剣技は素晴らしかった。だが、その動きは、あまりにも教本に忠実すぎた。私には、彼の次の動きが、コンマ一秒先まで、全て『視えて』いた。いや、正確には『計算できていた』と言うべきか。ただそれだけです」


俺の説明に、ギデオンは、初めて、その鋼色の瞳を、興味深そうに細めた。


「……面白い。実に、面白い。その『(ことわり)』とやらが、真実であれば、貴殿は、この世界の戦いの常識を、根底から覆しかねないな。そして、それ故に、教会は、貴殿を『異端』と断じたのだろう」


彼は、椅子に深く背を預けると、腕を組んだ。


「カガヤ殿。私は、貴殿を教会に引き渡すつもりはない。あの独善的な連中が、何を考えているか、俺も承知しているつもりだ。だが、同時に、貴殿のような、得体の知れない、しかし計り知れない力を持つ者を、このまま野放しにしておくわけにもいかん」


ついに、本題が来たか。俺は、身構えた。


「そこで、提案だ。いや……これは『招待』だな」


ギデオンは、その口元に、冷たい、しかし、どこか楽しげな笑みを浮かべた。


「貴殿に、我がローディア騎士団に、『仮入隊』していただきたい。もちろん、一介の兵士としてではない。俺直属の『特務顧問』としてだ。貴殿のその『(ことわり)』が、我が騎士団に、どのような革新をもたらすのか。この目で、じっくりと見させてもらおう」


「……お断りします。私は、ただの旅の者。誰かに仕える気は……」


「おっと」


俺の言葉を、ギデオンは、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで遮った。


「君に、断るという選択肢はないよ、異邦の賢者殿」


その言葉は、絶対的な権力者だけが持つ、冷たい刃となって、俺の喉元に突きつけられた。


「この『招待』を受けるか。それとも、この場で『所属不明の危険な術者』として拘束され、我がローディアの法に基づき、然るべき処分を受けるか。……どちらが、君にとって賢明な選択か。君ほどの男なら、分かるはずだ」


俺は、唇を噛んだ。完璧な、チェックメイト。この剛健の国で、俺に逃げ場はなかった。


「はぁ……。分かりました。では、その『ご招待』とやら、謹んでお受けいたします」


俺がそう答えると、ギデオンは、満足げに、深く頷いた。


その日、俺、カガヤ・コウは、ローディア騎士団の仮の紋章が刻まれた認識票を手に、騎士団の兵舎の一室へと、案内された。


ソラリスに眠る謎を追うはずだった俺の旅は、いつの間にか、騎士として、この国の秩序に組み込まれるという、全く予期せぬ方向へと、その舵を切らされていた。


「面白い。ならば見せてみろ、異邦の賢者。貴様の『(ことわり)』が、この剛健の国で、何を成すのかを」


去り際の総長の獰猛な笑みが、これから始まる新たな試練の、そして、俺の想像を遥かに超える壮大な物語の、始まりの合図のように思えた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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