第153話:城塞都市アイギス
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乾いた平原を抜け、険しい山岳地帯に足を踏み入れてから数日。俺の目の前に、ついにその都市は全容を現した。
ローディア騎士王国の首都、城塞都市アイギス。
その威容は、俺がこれまでに見てきたどの都市とも、根本的に異なっていた。天然の岩山を大胆に削り出し、都市そのものが山と一体化した、まさに天然の要塞。風雨に晒された灰色の城壁には、華美な装飾は一切なく、ただ、長い年月の間に刻まれたであろう無数の傷跡だけが、その歴戦の歴史を物語っている。天を突く尖塔も、貴族の権威を誇示するためのものではない。その全てが、敵の襲来をいち早く察知するための監視塔か、あるいは、投石機や大型の弩が設置された、無骨な防衛拠点として機能しているようだった。
街の正門をくぐると、その印象はさらに強くなる。聞こえてくるのは、遠くの練兵場から響く号令の声と、絶え間なく続く鍛冶の槌音。鼻をつくのは、革と鉄、そして馬の汗が混じり合った、武骨な匂いだ。石畳の道は広く、そして直線的だ。軍隊が迅速に展開できるよう、設計されているのだろう。建物のほとんどは、質実剛健な石造りで、窓は小さく、壁は分厚い。道を行き交う人々の服装も、シエルのような多様性や華やかさはなく、実用性を重視した、丈夫な革や厚手の布地のものがほとんどだった。
そして、何よりも目を引くのは、街の主役である騎士たちの姿だ。分厚い鋼鉄の鎧に身を固めた重装騎士たちが、二人一組で、規則正しく街を巡回している。その歩みには一切の無駄がなく、彼らが通り過ぎるたび、市民たちは自ら道を譲り、中には軽く頭を下げる者さえいた。騎士という存在が、この国において、単なる兵士ではなく、畏敬と信頼の対象であることが、その光景からひしひしと伝わってきた。
《マスター。この都市の構造、および市民の行動パターンから、極めて高度な規律と、軍事を中心とした社会構造が形成されていると分析します。自由と混沌を是とするシエルとは、まさに対極の文化圏ですね》
〈ああ。まるで、一つの巨大な軍隊の中に迷い込んだ気分だ〉
俺は、アイの分析に内心で頷きながら、まずは旅の疲れを癒すため、一軒の宿屋に宿を取った。その後、情報収集を兼ねて、騎士たちが集うという、街で一番大きな酒場へと足を運んだ。
酒場の中は、むせ返るような汗とエールの匂い、そして男たちの野太い笑い声で満ちていた。壁には、巨大な魔獣の頭蓋骨や、使い古された剣や盾が飾られている。非番なのであろう騎士たちが、鎧を脱ぎ、酒を酌み交わしながら、昨日の訓練の成果や、次の遠征の噂話に花を咲かせていた。
俺は、目立たぬよう、カウンターの隅に席を取り、一杯のエールを注文した。そして、アイと共に、この国の「騎士道」とやらを、肌で感じようと、周囲の会話に耳を澄ませる。
その時だった。酒場の一角が、やけに盛り上がっているのに気づいた。人垣の中心で、数人の騎士たちが、一つのテーブルを囲んで、下品な笑い声を上げながら賭け事に興じている。
「だから言っただろうが、アルフォンス!お前のその生真面目さが命取りなんだよ!」
「さあ、張った張った! 次はどっちに転ぶか!」
中心にいる、一際体格の良い騎士が、革のカップを振りながら、下卑た笑い声を上げる。テーブルの上には、数枚の銀貨と銅貨が散らばっていた。特殊な紋様が刻まれた木札を使った、単純な当て物のようだ。
〈どこにでもこう言うのはあるもんなんだな……〉
俺は何気なくその手元に目をやった。だが、何度か繰り返される男の動きの中に、俺は奇妙な規則性を見出す。カップを振る手首の僅かな角度、木札がカップの内壁を叩く微かな音のリズム。それは、見る者をごまかすための、巧妙に隠された不自然さだった。
《マスター。対象の騎士がカップを振る際の、手首の微細な角度、及び、木札がカップの内壁に当たる音の反響パターンを分析。彼が、特定の紋様を意図的に出している確率は、98.3%です》
〈……イカサマ、か〉
俺は、静かにエールを呷った。その騎士の相手をさせられているのは、まだ若い、新米らしき騎士だった。彼は、すでに有り金のほとんどを巻き上げられたのか、悔しそうに唇を噛み締め、なけなしの銅貨をテーブルに置いている。周りの騎士たちは、それを囃し立て、面白がっているだけだった。
騎士道が絶対の規範。個人の武勇と名誉が何よりも重んじられる。アイから聞いた、この国の姿とは、あまりにもかけ離れた光景だった。
(面倒事はごめんだ。見て見ぬふりをして、このまま立ち去るのが賢明か……)
一度はそう考えた。だが、俺の視線の先で、若い騎士が、なけなしの銅貨を握りしめ、屈辱に耐えるように俯いている。その姿が、かつて権力者の理不尽に声を上げることさえできなかった、アカデミー時代の自分と重なった。
俺は、そっと席を立った。
「旦那。俺も一口、乗らせてもらっても?」
俺が声をかけると、イカサマ騎士――リーダー格の男は、値踏みするような目で、俺の身なりを一瞥した。
「なんだお前。見ねえ顔だな。まあいい、旅の者か? 騎士様のお遊びに混ざりてえってんなら、止めはしねえ。だが、有り金全部、置いてくことになっても知らねえぞ?」
「面白い。で、どうすりゃ良いんだ?」
俺の問いに、男は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「なんだお前、ルールも知らずにやろうってのか? まあいい、教えてやる。この二つの木札をカップで隠して振る。出た紋様が同じか違うか、それを当てるだけだ。単純だろう?」
「なるほど。では、銀貨一枚、『違う』方にいかせてもらう」
男がカップを振る。その、ほんの一瞬。
〈アイ。彼のカップの振り方の角速度、木札の材質と重心位置から、最適な干渉パターンを算出。テーブルの分子構造に共振する、極低周波振動を……〉
俺は、理術を使い、テーブルの表面に、誰にも知覚できない、ごく微細な振動を与えた。木札が、ほんのわずかに、その回転を変える。
「さて、どうかな?……へへっ、『同じ』だ。わりぃな。旦那の負けだ」
俺の銀貨が、無情にも男の懐へと消える。周りの騎士たちから、嘲笑が漏れた。
「もう一勝負、いかがですかな?」
「ええ、もちろん。今度も『違う』方で」
結果は、同じだった。三度目も、四度目も。俺は、まるでカモにされた新人のように、次々と銀貨を失っていく。イカサマ騎士の表情は、みるみるうちに得意満面になっていった。
だが、俺は内心、冷静にデータを収集していた。彼のイカサマの癖、木札の重心の偏り、そして、彼の油断しきった心の隙。
そして、五度目の勝負。俺は、これまで賭けた倍の銀貨を、テーブルに置いた。
「これで最後だ。今度こそ、『違う』紋様が出る」
男は、完全に俺を侮りきった顔で、笑いながらカップを振るった。
その瞬間。俺は、これまでの全てのデータを基に、完璧なタイミングと、完璧な強さで、テーブルに「逆の」振動を与えた。
カップが開けられる。中の二つの木札は、見事なまでに、『違う』紋様を示していた。
「なっ……!?」
男の顔から、血の気が引く。周りの騎士たちも、信じられないといった顔で、テーブルの上を凝視している。
「……どうやら、流れが来たようですね。次はその倍、賭けさせてもらおうか」
俺は、悪魔のような笑みを浮かべて言った。その後、俺は立て続けに勝利を収め、男が巻き上げた全ての銀貨を、そっくりそのまま取り返してしまった。
「ば、馬鹿な……!貴様、何かイカサマをしやがったな!」
ついに、男は逆上し、テーブルを蹴り倒して立ち上がった。その手は、腰の剣の柄にかかっている。酒場全体が、一瞬にして静まり返った。
俺は、ゆっくりと立ち上がると、彼の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「イカサマ? カップを振っているあなたがそれを言いますか?」
俺は、テーブルから零れ落ちた木札の一つを拾い上げ、指先で弾いて見せた。
「それに……この木札、ほんの少しだけ、重心が偏っていますね。 これを、こうやって……カップの特定の角度で振れば……ほら。面白いように、『同じ』紋様が出続ける。実に、単純な『理屈』だ。あなたの手際は見事でしたけどね。残念ながら、俺の目はごまかせませんよ」
俺の冷静な指摘に、男は言葉を失い、顔を真っ赤にして震えるだけだった。周りの騎士たちも、今、目の前で何が起こったのかを理解し、リーダー格の男に、侮蔑と非難の視線を向け始めた。
男は、その場にいることが耐えられなくなったのだろう。「覚えてやがれ!」という、陳腐な捨て台詞を残して、仲間たちと共に、逃げるように酒場を去っていった。
後に残されたのは、静寂と、そして、俺に向けられる、畏怖と、戸惑いが入り混じった、数多の視線だけだった。
「…………」
俺は、誰に聞かせるともなく、静かに呟いた。
「みんながみんな、本当の騎士って言うわけじゃないんだな」
その、あまりにも冷静で、どこか達観したような呟きを、酒場の隅で、アルフォンスと呼ばれていた若い騎士が、厳しい、そして探るような目で見つめていた。
(あれは、魔法ではない。だが、騎士の誇りよりも、遥かに鋭く、そして正しい『理』の剣だった……)
彼の心に刻まれたその光景が、やがてこの鋼鉄の国の、凝り固まった秩序に、小さな、しかし確かな亀裂を入れていくことになるのを、この時の俺は、まだ知る由もなかった。
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