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第17話:理屈なき選択

お読みいただき、ありがとうございます。

しばらくの間は、朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

※ タイトル変更しました。(旧タイトル:宇宙商人の英雄譚)

新たな『目』である多次元複合センサーアレイ『ヘイムダル』の起動実験は、俺に、この星の広大さと、そして、孤独の終わりを予感させる、あまりにも大きな発見をもたらした。南南東200キロ先に広がる、文明の灯。その光景に、俺が感慨に浸っていた、まさにその時だ。


《マスター。》


アイの声が、今度は、紛れもない、切迫した警告となって、俺の脳内に響き渡った。


《12時の方向、距離およそ3キロの地点から、生命体反応が複数。非定形。移動速度、規模から判断して、魔獣の群れです。》


モニターの表示が、即座に切り替わる。森の中を、数十体はいるであろう、狼に似た魔獣の群れが、何かに向かって突進していくのが見えた。


《同時に、別の生命体反応が……。定形。移動速度、スティンガーからの微弱な情報で判断すると、おそらくこの惑星の知的生命体……人間、と推定されます。》


「人間だと!?」


俺は驚きを隠せなかった。つい先ほど、ヘイムダルが200キロ先に文明の灯を発見したばかりだ。だが、こんなにも近くに……アルカディア号からわずか3キロの地点に……。安堵と同時に、得体のしれない不安が胸をよぎる。


《反応は交錯しています。魔獣の群れと人間が、戦闘状態に陥っている可能性が極めて高いと予測されます。》


その時だった。森の奥から、風に乗って、はっきりと悲鳴にも似た声が聞こえてきた。それは、恐怖と絶望に満ちた、紛れもない人間の声だった。助けを求める、切羽詰まった叫びが、木々の間を縫って俺の耳に届く。その声は、地球連邦で暮らしていた頃の、平和な日常では決して聞くことのなかった、生の感情が剥き出しになった音だった。俺の胸に、かつてないほどの不快感が広がる。


俺は、躊躇した。未知の異星人との接触。それが友好的なものになるのか、あるいは敵対的なものになるのか、全く予測がつかなかった。宇宙船の残骸に住み、奇妙な力を使う俺は、異物として扱われるかもしれない。


それに、どのような文化を持ち、どのような言葉を話すのかも全く未知数だ。意思の疎通ができるとも限らない。何より、俺は星間輸送業を営む一介の元研究員の宇宙商人だ。戦闘のプロではない。むしろ、トラブルを避け、平和的な取引を旨とする人間だ。そんな俺が、魔獣に襲われている人間を助けられるかどうか、そんな自信は微塵もない。


体は竦み、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。脳裏では、助けない方が賢明だという理性が警鐘を鳴らし続けていた。


《マスター。このままでは、対象が助かる見込みはありません。生存確率は、魔獣の規模から判断して、5パーセント未満です。》


アイが冷徹に告げる。その言葉は、俺の耳には届いているが、心に響かない。それでも、彼女の冷静な分析が、まるで凍り付いた水面に波紋を広げるかのように、俺の思考を揺り動かした。その時、俺の脳裏を過ったのは、不時着の際、自分を助けるために、僅かな可能性に賭けたアイの言葉だった。


── マスター、私……諦め……


あの時、アイは諦めなかった。絶望的な状況に陥った俺を、彼女は最後まで見捨てなかった。俺の生存を最優先し、結果、俺の命を繋ぎ止めてくれた。俺とアイは、この未知の惑星で、運命を共にすることになった、たった一人の、唯一の相棒。そんな彼女の前で人間を見殺しにするなんてことを、俺は本当に選べるのか?


「見殺しにする」という選択肢が脳裏に浮かんだとき、俺の中で明確な拒絶反応を感じた。理屈では説明できない、胸の奥底から込み上げてくる強い拒否感。宇宙商人としての損得勘定や、研究者としての冷静な判断よりも、もっと根源的な「人としてどうあるべきか」という問いが、俺の心を突き動かした。


たとえ、それがどんな危険を伴うとしても、たとえ、この先、この地の人類と関わることで予測不能な事態に巻き込まれるとしても、だ。


「くそっ、助けに行くぞ、アイ!一番有利に戦える場所を教えてくれ!」


一度決意すると、躊躇いは消え去った。俺は大きく息を吸い込み、魔獣の群れがいる方向へと駆け出した。アドレナリンが全身を駆け巡り、体が軽くなるような錯覚に陥る。腕に巻いた触媒ブレスレットが、微かに蒼い光を放っていた。


《マスター、目標地点から30メートル、左手に低木の茂みがあります。そこからであれば、死角から接近可能です。》


アイの指示通りに、身をかがめて森の中を進む。


森の木々を縫うように、全速力で駆け抜ける。次第に、魔獣の唸り声と、剣が肉を断つ生々しい音が、耳を劈くように近づいてきた。草木の根が絡まる足元、顔に当たる湿った枝葉。そして、木々の間から、土と獣、そして血の混じった匂いが漂ってくる。


血の匂いは、俺の嗅覚を刺激し、本能的な恐怖を呼び起こす。が、同時に、助けなければならないという衝動を掻き立てる。


視界が開けた瞬間、俺は息をのんだ。


そこには、まさに地獄絵図が広がっていた。モニターに映っていた、狼に似た魔獣の群れが、たった一人の人間に襲いかかっていた。


黒髪を後ろに一つに束ねた、一人の女戦士。


ぼろぼろの革鎧を身につけ、全身に深い傷を負いながらも、大剣を構え、決して諦めないという強い意志を宿した鳶色の瞳で、魔獣の群れを睨みつけている。


魔獣の猛攻を紙一重で受け流し、時に鋭いカウンターを繰り出す。その動きは洗練されており、並の戦士ではないことが一目で分かった。だが、多勢に無勢。


彼女自身も左肩から血を流し、深手を負っているようだった。大剣を握る手が、微かに震えているのが見える。もはや、彼女が倒れるのも時間の問題だった。


「クッ、ヴァル・グリード……!」


彼女が、血を吐きながらも大剣を構え直した時、一際大きな狼型の魔獣が、その鋭い牙を彼女目掛けて突き立てようとした。その一撃は、まともに当たれば確実に命を奪うだろう。避けようとした彼女の身体が、まるで紙切れのように吹き飛ばされるのが見えた。同時に、別の魔獣が、倒れた彼女へと狙いを定める。


《マスター、あの個体は危険です。すぐに介入を!》


アイの警告が、俺の脳内に鋭く響く。躊躇している暇など、もうどこにもない。


「行くぞ、アイ!」


俺は腕の触媒ブレスレットに意識を集中した。脳内にアイからの信号が奔流のように流れ込む。俺の全身に常駐するナノマシンが活性化し、魔素と俺の意図を完璧に同期させる。意識の集中が高まり、時の流れがスローモーションのように感じられた。目の前の狼型魔獣が、地面に倒れた女戦士にとどめを刺そうと、再びその鋭い牙を剥き出しにした、その刹那。


俺の姿が、その場から弾かれたように消えた。


いや、消えたのではない。常人には目で追うことすら不可能な、爆発的な加速。


それは、俺が全身の魔素を足元に集中させ、斥力フィールドを瞬間的に逆噴射させることで生み出した、究極の高速移動だった。


空間が歪んだかと錯覚するほどの速度で、俺は狼型魔獣と女戦士の間に割り込んだ。


「はあっ!」


全身の力を一点に集中させ、魔獣の突進を「結界」で受け止める。目に見えない壁が、凄まじい衝撃を吸収し、轟音と共に、魔獣の巨体を押し戻す。地面が軋み、周囲の木々が大きく揺れる。獣の唸り声が、まるで絶叫のように響き渡った。


「ナッ……!?」


魔獣も、そして地面に倒れていた女戦士も、突如現れた俺の姿と、その不思議な力に、呆然と立ち尽くしていた。その瞳には、先ほどの絶望とは異なる、驚愕と、そして微かな希望の光が宿る。


俺とこの惑星の人類との、邂逅の瞬間だった。


呼吸を整えながら、俺は初めて、この惑星の知的生命体と正面から向き合う。


彼女の古代戦士風な装備とは対照的に、俺の腕に巻かれた蒼く輝く触媒ブレスレットが、この場の異質さを際立たせていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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