第152話:東への道、騎士の理
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夜明け前の紫紺の空気が、自由交易都市シエルの巨大な東門を静かに包んでいた。俺、カガヤ・コウは、一頭の馬の手綱を引き、一度だけ、しかし深く、背後を振り返る。そこには、俺がこの世界で初めて築き上げた「家」――『交易商会ミライ』の工房が、まだ静寂の中に佇んでいた。
ほんの少し前に門の前で交わした、仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。涙をこらえ、それでも俺の影であり共同経営者であろうとする強い意志を瞳に宿したセツナ。不安と寂しさを隠しながらも、精一杯の強がりで「兄ちゃんの土産話、期待してるからな!」と叫んだリコとレオ。そして、無言の内に、その屈強な背中で「我らの誇りは、あなたと共にある」と語ってくれたギド。彼らの想いを背負うこの旅は、決して孤独ではない。これは逃避行ではない。俺が、彼らが安心して暮らせる未来を、この手で掴み取るための布石なのだ。
朝日が地平線の彼方を黄金色に染め始め、東門が重々しい音を立てて開かれる。その光の中へと、俺は一人、足を踏み出した。
シエルでの目まぐるしい日々から一転、旅は物理的には孤独だった。乾いた平原を、ただひたすらに東へ。馬の蹄の音と、吹き抜ける風の音。その単調なリズムだけが続く。だが、俺の思考は常に、唯一の相棒との対話で満たされていた。懐に入れた、リコが作ってくれた不格好な革のお守りを、時折、指先で確かめる。その温もりが、俺が一人ではないことを教えてくれる。
「アイ。改めて、目的地までのルートと、周辺情報を整理してくれ」
俺は、意識を脳内の相棒へと向けた。
《了解しました、マスター。目的地、聖地ウル・神殿都市ソラリスまでの最短ルートは、これより進入する『ローディア騎士王国』を縦断する経路です。総距離はおよそ500キロメートル。森や山岳地帯を越えるため、休憩や野営を考慮すると、所要日数は半月と予測されます》
俺の網膜に、大陸の広域地図がホログラムとして投影される。シエルの東に広がる広大な領域が、赤くハイライトされていた。
《ローディア騎士王国。首都は城塞都市アイギス。その名の通り、国全体が巨大な軍事要塞として機能している、極めて尚武の気風が強い国家です。元々はフォルトゥナ王国と同様の王政国家でしたが、数十年前、南方の豊かな領土であったパーサズが、ガレリア帝国を後ろ盾に分離独立。その後の混乱の中、当時の王家が無力さを露呈する一方で、国を守り抜いた騎士団が民衆の支持を得て実権を掌握し、現在の『騎士団による選王制』という、特殊な政治形態を確立しました》
「騎士が王を選ぶ、か。徹底した実力主義、というわけだな」
《はい。騎士道が絶対の規範とされ、個人の武勇と名誉が何よりも重んじられます。裏を返せば、それ以外の価値観、特に、我々のような『商人』の論理は、軽んじられる傾向にあるとのデータも。この国では『信用』の尺度がシエルとは全く異なります。ここでは『武勲』と『家柄』がそれに代わるでしょう》
アイの冷静な分析に、俺は思わず苦笑した。シエルとは、まさに対極の価値観を持つ国らしい。
「厄介な場所を通り抜けることになりそうだな……」
《さらに、マスターが注意すべきは、彼らの信仰体系です》
アイは、地図の横に、二つの異なるシンボルを並べて表示した。一つは、見慣れた正教会(ソリス教)の太陽の紋章。そしてもう一つは、翼を持つ女性が剣を掲げる、勇壮な紋章だった。
《ローディア騎士王国では、フォルトゥナ王国と同じ正教会が広く信仰されています。しかし、それとは別に、古くからこの地に根付く、独自の『戦乙女信仰』が存在します》
「戦乙女……。また、ファンタジーの王道みたいな名前が出てきたな」
《戦乙女は、国を守護する女神として崇拝され、その教えは騎士道精神の根幹を成しています。『力とは、弱き者を守るために振われるべき盾である』『名誉とは、己の剣に懸けた誓いの重さである』――彼らの行動規範の多くは、この戦乙女信仰に由来します。ですが、その起源や、具体的な神話体系については、情報が極端に少なく、謎に包まれています》
俺は、その「戦乙女」の紋章を、注意深く見つめた。翼を持つ女性。掲げられた剣。それは、宗教的な象徴というよりも、もっと別の、何かを思い出させた。
「アイ。この戦乙女の紋章と、王都の地下遺跡で見た、『星の民』の壁画。照合できるか?」
《……一部に、類似したデザインパターンを検出。ですが、情報が断片的すぎて、現時点での断定は不可能です。しかし、マスターの仮説は、検討に値します》
やはり、か。この世界の根源的な謎は、俺が思っている以上に、深く、そして広範囲に、その根を張っているらしい。
シエルでの戦いを経て、俺は自らの「理術」の本当の恐ろしさと、その無限の可能性を自覚した。だが、このローディア騎士王国で、その力を無闇に振るうのは、あまりにも危険すぎる。俺の戦い方は、騎士道を重んじる彼らにとって、「卑劣な魔術」としか映らないだろう。
「アイ。ローディア騎士王国内では、理術の使用は、必要最低限に抑える。物理的な干渉は極力避け、あくまで情報収集と、自己防衛に徹するぞ」
《了解しました、マスター。リスク管理の観点から、賢明な判断です。》
俺は、馬上で背筋を伸ばし、気持ちを切り替えた。これからは、宇宙商人カガヤ・コウではない。ましてや、「交易商会ミライ」の商会長でもない。ただの一人の旅人として、この未知の国の文化に敬意を払い、慎重に行動しなければならない。
旅を始めて八日目のことだった。俺たちは、フォルトゥナ王国との国境にそびえる、巨大な城砦の前に立っていた。「嘆きの関」と呼ばれるその場所は、ローディア騎士王国の厳格さと排他性を象徴するような、威圧的な空気を放っていた。
分厚い鉄の門の前で、俺は馬を止められた。槍を交差させて行く手を阻むのは、鋼鉄の鎧に身を固めた、二人組の騎士だった。その鎧には、傷一つなく磨き上げられており、彼らの規律の高さを物語っている。
「何用だ、商人。この先はローディア騎士王国の領内。不審な者は通さん」
兜の奥から響く声は、冷たく、一切の感情が乗っていない。
「俺はカガヤ。ソラリスへ向かう旅の商人だ」
「身分を証明するものはあるか」
「生憎だが、持ち合わせていない」
俺の答えに、騎士たちの纏う空気が、さらに険しさを増した。だが、俺は慌てず、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。俺は、辺境伯から渡されていた、ヴェリディア家の紋章が刻まれた金属製の通行証を、黙って提示した。
騎士の一人が、それを受け取り、まじまじと検分する。やがて、彼はもう一人の騎士と顔を見合わせ、小さく頷いた。
「……フォルトゥナ王国辺境伯、ヴェリディア家の紋章。確かだ。うむ……通ってよし」
彼らは槍を収め、道を開けた。だが、俺がその横を通り過ぎる瞬間、一人の騎士が、低い声で呟いた。
「フォルトゥナの威を借るか。……所詮、商人は商人、ということか」
その言葉は、俺の耳に、確かに届いていた。
平原の風景は、次第に、険しい岩肌が剥き出しになった、荒涼とした山岳地帯へとその姿を変えていった。空気は乾燥し、風は鋭さを増している。やがて、地平線の先に、巨大な城壁が見えてきた。天然の岩山を削り出し、一体化させたかのような、圧倒的な威容を誇る城塞都市。あれが、ローディア騎士王国の首都、アイギスに違いない。
「ソラリスまで、やっと半分か。だが、ここを越えなければ、何も始まらない」
俺は、自らに言い聞かせるように、ぐっと手綱を握りしめた。尚武の国。騎士道の国。そして、戦乙女が眠る国。この国で、俺の『理術』と『商売』は通用するのか。あるいは、全く新しい戦い方を、見つけなければならないのか。
俺の新たな探究の旅が、今、鋼鉄の国の門前で、静かに始まろうとしていた。
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