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幕間7-2:星々の導き、乙女のため息

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

コウが王都を去ってから、季節は静かに巡り、街路樹の葉は日に日にその色を深くしていました。

私の日常もまた、彼と出会う前とは大きくその姿を変えていました。朝の祈りを終えた後、私が向かうのは王城の一角に、ゼノン殿下のご厚意で与えられた、ささやかな温室。そこが、今の私の、秘密の「研究室」でした。


「……お願い。もう少しだけ、光を……」


私は、鉢植えの中で力なく萎れかけている一輪の白い花に、そっと指先をかざします。そして、彼から教わった「理」を、必死に思い描くのです。ただ癒しの力を注ぎ込むのではない。この花の細胞が、水を吸い上げ、光を糧とする、その生命の「仕組み」そのものに、私の力を同調させる。彼の言う『理術』の、ほんの僅かな模倣。


すると、私の指先から放たれた光の粒子は、これまでのような拡散する光ではなく、まるで細い糸のように、萎れた茎を駆け上り、花弁の一枚一枚へと、正確に届けられていくのが視えました。……ほんの少しだけ、花びらが上を向いた気がします。


「……まだ、駄目ですね」


ため息と共に、光が霧散する。彼のようには、いきません。彼の「理術」は、この世界の全ての事象を、美しい法則として理解し、再構築する力。私の「神託」と「癒しの光」は、理屈ではなく、魂で世界を感じ取る力。似ているようで、その根源はあまりにも違う。


それでも、私はこの探究をやめられませんでした。彼の遺してくれた知の欠片を拾い集め、その意味を考えることは、彼との距離を実感する寂しさであり、同時に、彼の思考の深淵に、ほんの少しでも触れられる喜びでもありました。


なにより、その意味を考えるたびに、胸の奥がきゅっと甘く痛むのです。


そんな穏やかな日々が、ある日、静かに終わりを告げました。

聖地ウルから、教皇テオフィロス様の直々の使者が、王都アウレリアを訪れたのです。その報せは、王宮と教会を、大きな緊張感で包みました。そして、その使者がもたらした神託は、私の運命を、再び大きく揺り動かすものでした。


「聖女セレスティア様。貴方様に、教皇聖下より、神聖なる勅令が下りました。」


荘厳な大聖堂で、教皇代理として典礼秘跡省から派遣された司教が、恭しく巻物を広げます。


「勅令!ひと月後、聖地ウル、神殿都市ソラリスに於いて、二十年に一度の『星迎えの儀』が執り行われる。時、満ちた。そなたを、その神聖なる儀式を司る『星の乙女』として、正式に招聘する。…正教会。教皇デオフィロス七世」


星迎えの儀。星の乙女。

その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、古い書物で読んだ、おとぎ話のような伝説が蘇りました。遥か天より来たりし神々を迎えるための、最も神聖で、壮大な祭典。そして、その神託を受け取るための、清らかなる器。


聖女である私にとって、今年が二十年に一度の『星迎えの儀』の年にあたることは、もちろん知っていました。そして、その儀式を司る『星の乙女』に、当代の聖女が選ばれる可能性があることも。ですが、儀式の年が明けても、聖地から何の音沙汰もなかったものですから、あるいは、今回は私ではないのだろうと、心のどこかで安堵していたのも、また事実でした。ですが、私のそんな淡い期待は、教皇聖下からの勅令によって、打ち砕かれます。それは、聖女として最高の栄誉であるはずの報せ。ですが、私の心を満たしたのは、喜びではなく、やはり、と諦観にも似た、静かな不安だったのです。神託の力が、この儀式の裏に隠された、世界の真実の影を、私に告げていましたから。


(これは……導きなのでしょうか。それとも……)


数日間、私は祈りの中で、揺れ動いていました。この要請を受けるべきか、否か。だが、そんな私の迷いを振り払ったのは、ほんのささやかな、しかし、私にとっては、何よりも強い希望の光でした。


(ソラリスへ行けば……。もしかしたら、あの方に……コウに、会えるかもしれない)


彼もまた、世界の真実を求め、東へ向かったはず。その道が、どこかで繋がっているかもしれない。そして何より、この儀式そのものが、世界の真実へと繋がる道であるのなら、私が行かないという選択肢はない。これは、私がこのフォルトゥナ王国という鳥籠から、公的に飛び立つための、唯一の口実でした。


「……謹んで、お受けいたします」


私は、神の前で、自らの運命を受け入れる覚悟を決めました。

そんな、私の新たな旅立ちが決まった、数日後のことです。祈りの最中、私の脳裏に、新たなビジョンが流れ込んできました。


―――秋風に黒髪をなびかせ、背に大剣を負った、一人の女剣士。その鳶色の瞳には、強い意志の光と、そして、コウを追い求める、切ないまでの焦燥が宿っている。


(……来ますのね、クゼルファ・ンゾ・ゼラフィム様)


私の心に、また、あのちくりとした小さな棘が刺さったのを、感じました。



彼女との邂逅は、私が民衆のための「癒しの儀式」を終えた、その直後でした。人知れず、彼女の元へと向かった私を、彼女は、驚きに見開かれた鳶色の瞳で見つめていました。


「――お待ちしておりましたわ、クゼルファ・ンゾ・ゼラフィム様」


「私の……名を……?」


「ええ。ゼノン殿下より、あなたが王都に向かっていると伺っておりましたので。それに、私の『目』も、あなたがここに来られることを、おぼろげながらに視ておりましたから」


私は、努めて穏やかに、聖女としての微笑みを浮かべました。


「コウをお探しなのでしょう? 残念ですが、あの方なら、もうここにはいらっしゃいません。遥か東の、自由交易都市シエルへと、旅立たれました」


その言葉に、彼女の瞳が、分かりやすく動揺の色に染まります。そして、それ以上に、彼女の心をかき乱すための、次の一手を、私は静かに放ちました。


「……コウ?」


「あら。……カガヤ様、と申し上げた方が、あなたにはお分かりになりますかしら?」


彼女の顔が、カッと熱くなるのが、手に取るように分かりました。その、あまりにも素直な反応を見て、私の胸の奥にあった小さな棘が、すっと溶けていくのを感じました。


「あなたも、大変でしたのね。魔の森で、あの方に命を救われたとか。……お察ししますわ。あの方の力は、あまりにも強く、そして、人の心を惹きつけてやまない。抗うことなど、できませんものね」


私の言葉は、労っているようで、しかし、その裏には、明確な棘があったのでしょう。我ながら、少し意地が悪いと、そう思いました。ですが、彼女は、戦士でした。


「ええ。私は、あの方に命を救われました。だからこそ、誓ったのです。この剣のすべてを懸けて、あの方の盾となると。聖女様、あなたのそのお力は、確かに素晴らしいものなのでしょう。ですが、戦場において、その細腕で、あの方をお守りすることができますか?」


見事な反撃でした。その言葉に、今度は私が、ハッとさせられました。


「……ふふ。あなた、面白い方ですのね。ええ、あなたの言う通りです。私には、剣も、盾もありません。ですが、私には、祈りがあります。あの方の心が、道に迷い、闇に囚われそうになった時、その魂を照らし、導くための光が」


そうだ。私たちは、同じ男を、ただ、想っている。その形が、違うだけなのだ。


「私は、剣で、彼の背中を守る」

「私は、光で、彼の進む道を照らす」


彼女の力強い言葉が、私の心に響きます。二人の瞳が、初めて、真っ直ぐに交わりました。そこには、もはや敵意はなく、同じ目的を持つ者同士の、確かな共感と、敬意が宿っていました。


「……クゼルファ様。どうか、お気をつけて」

「あなたも、聖女様。……ソラリスへの道中、お気をつけて」


それが、今後カガヤを共に支えることとなる二人の、短く、しかし、確かな覚悟を確かめ合った、最初の邂逅であった。


彼女が王都を去った日の夜。私は一人、私室のバルコニーから、東の空を見上げていました。二つの月が、静かに地上を照らしています。その光の向こう、遥か遠いシエルの街に、彼の姿を想いました。


コウ。あなたは今、どうしていますか?

私にも、あなたへと続く道が、開かれました。それが、どんなに険しい道であろうとも、私は行きます。あなたに、再び会うために。そして、この世界の、本当の真実を、あなたと共に、この目で確かめるために。


私は、そっと胸の前で手を組み、彼との再会と、自らの新たな旅路に、静かに祈りを捧げるのでした。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

次回、第8章スタートです。

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