第151話:それぞれの道、一つの約束
お読みいただき、ありがとうございます。
朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
「――もう少し右だ! いや、右すぎだっての、レオ!」
「うるせえな、リコ! こっちから見ると、これがど真ん中なんだよ!」
工房の前に、聞き慣れた、しかし以前よりもずっと頼もしくなった二人の声が響き渡る。ギドが率いる忘れられた民たちが、数人がかりで、巨大な木製の看板を掲げようとしていた。磨き上げられた黒檀の板に、俺がデザインした『未来を示す日の出』の紋章と、『交易商会ミライ』という名が、誇らしげに刻まれている。
それは、俺たちがこの混沌の都市シエルに、確かに根を下ろしたという何よりの証だった。工房の周りには、俺たちの製品を求める商人たちの馬車が長い列を作り、活気に満ちた喧騒は、もはやシエルの日常の風景の一部となっていた。
俺は工房の二階、執務室の窓からその光景を眺めていた。子供たちの責任感に満ちた口論、ギドの静かな誇り、そして、それら全てを穏やかな微笑みで見守るセツナの横顔。俺がこの世界に来て、初めて自らの手で築き上げた、かけがえのない「日常」がそこにはあった。
邪神教「炎の紋章」との戦いは、俺たちの勝利に終わった。リーダーのマラハをはじめ、幹部たちのほとんどは捕らえられ、組織は壊滅。彼らがシエルの地下で進めていた「精神汚染」の計画は、完全に阻止された。シエルの街は、救われたのだ。
だが、俺の心は晴れなかった。マラハが遺した言葉が、晴れ渡る空の下でも、重い雲のように心にのしかかっている。
『いずれ来る浄化の前に、汝らは我が望んだ人の姿へと至れ。安易な奇跡をその手でこの星から排し、自らの力で理を紡ぎだす者となるのだ。それこそが、唯一の贖罪である』
彼らの歪んだ理想、その根源にあるのは、聖地ソラリスに眠るというマスターユニット『マザー』の存在。今回のシエルでの一件が失敗に終わった今、彼らの残党が、次なる手としてソラリスを直接狙うことは、火を見るよりも明らかだった。
この大陸全体の危機を根源から断つためには、行くしかないのだ。全ての始まりの場所、ソラリスへ。
その夜、俺は工房の主要メンバーを、改装されたばかりの会議室に集めた。セツナ、リコ、レオ、そしてギド。俺が最も信頼する、この「家」の家族たちだ。
俺が、ソラリスへの単独での旅立ちの決意を告げると、部屋は一瞬にして静まり返った。
「……馬鹿なこと、言わないでおくれよ、カガヤ!」
最初に沈黙を破ったのは、リコだった。その勝ち気な瞳には、怒りと、そして隠しきれない不安の色が浮かんでいる。
「やっと、みんなで安心して暮らせるようになったばかりじゃないか! なんで、また一人で危険な場所へ行こうとするんだい!?」
「リコの言う通りだぜ、カガヤ兄ちゃん。今度は、俺たちだっている。みんなで行けば……!」
レオもまた、食い下がる。彼らにとって、俺の決断は、ようやく手に入れた家族を、再び危険に晒す裏切り行為のように思えたのかもしれない。
俺は、彼らの顔を一人一人見回すと、静かに、しかし力強く語り始めた。
「俺たちの戦いは、まだ終わっていない。マラハは倒したが、『炎の紋章』の残党は、今もどこかで息を潜めている。そして、奴らの歪んだ理想の根源……聖地ソラリスに眠るという『マザー』の謎を解き明かさない限り、この大陸に、本当の平穏は訪れない。だから、俺は行く。全ての始まりの場所、ソラリスへ。これは、俺にしかできない、俺が終わらせなければならない戦いだ」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
「だが、もう一つ、俺にはやらなければならないことがある。それは、この『交易商会ミライ』を、誰にも脅かされない、大陸一の『城』に育て上げることだ」
俺は、セツナに向き直った。
「セツナ。俺がいない間、この商会のすべてを、君に託したい。最高執行責任者として、いや、商会長代理として、この家を守ってほしい」
「……っ!」
セツナの肩が、微かに震えた。彼女の瞳が、俺の真意を問うように、真っ直ぐに俺を見つめている。
「リコは、その明晰な頭脳と度胸で、販売と広報のすべてを。レオは、その冷静な判断力で、物流と在庫管理のすべてを。そして、ギドは、その卓越した技術とリーダーシップで、全ての製品の製造ラインを。それぞれが、それぞれの持ち場で、この商会を支える柱となってくれ」
それは、俺がこの世界で始めた、最大の事業計画だった。俺の帰るべき「家」を守ること。そして、彼らが自らの力で未来を切り拓いていくことへの、最大の「投資」だった。
「俺は、必ずここへ帰ってくる。だから、俺が帰ってきた時、胸を張って『おかえりなさい』と言えるような、最高の商会を創り上げておいてくれ。……頼んだぞ、みんな」
俺の言葉に、誰もが言葉を失い、ただ、その瞳に宿る覚悟の光を見つめ返していた。リコとレオは、唇を噛みしめ、ギドは、固く拳を握りしめている。彼らは、これが別れではなく、新たな始まりのための約束であることを、理解してくれたのだ。
◇
会議室を後にし、俺とセツナは二人、工房の屋上にいた。シエルの夜景が、宝石のようにきらめいている。
「……私も、お供します」
セツナが、静かに、しかし、心の底からの願いを込めて言った。
「あなたの剣として、あなたの盾として、どんな危険な場所へも。それが、私の役目ですから」
「ありがとう、セツナ。その気持ちは、痛いほど分かる。だが、駄目だ」
俺は、彼女の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「俺の盾は、今、ここにこそ必要なんだ。俺が創り上げたこの家を、この仲間たちを、そして俺たちの未来を、お前以外の誰に任せられる?俺が安心して世界の謎を追いかけられるのは、お前という、最高のパートナーがこの帰るべき場所を守っていてくれるからだ。分かるか?」
俺は、初めて彼女の前で、自らの弱さを見せたのかもしれない。
「……俺は、この場所が、心の底から大切なんだ。だから、頼む。俺の帰る場所を、守っていてくれないか」
セツナの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。彼女は、俺が行ってしまうことへの寂しさよりも、俺が彼女をどれほど信頼し、必要としているかを、その言葉から感じ取ってくれていた。
彼女は、流れ落ちる涙を手の甲で拭うと、凛とした、強い光をその瞳に宿した。
「……はい。それが、カガヤ様の、新しい『任務』なのですね」
彼女は、自分自身に言い聞かせるように、そう呟いた。
「承知いたしました、商会長代理として、この『城』は、私が命に代えても、お守りいたします。……ですから、どうか、ご無事で。そして、必ず……」
「ああ。必ず、帰ってくる。約束だ」
俺たちは、言葉ではなく、ただ、固い握手で、互いの想いを確かめ合った。
◇
翌日の夜明け前。シエルの東門に、俺は一人、立っていた。簡素な旅装束に、背には必要最低限の荷物。腰には、ずっと共に戦ってきた小刀だけが、静かに光っている。
見送りは、セツナ、リコ、レオ、そしてギドの四人だけだった。誰も、多くの言葉は交わさない。
「カガヤ、これ、持ってけよ」
リコが、少し照れくさそうに、小さな革のお守りを差し出した。
「……サンキュ」
俺は、その不器用な贈り物を受け取り、懐にしまった。
仲間たちの顔を、一人一人、目に焼き付ける。そして、最後にセツナと視線を交わした。彼女は、涙をこらえ、ただ、力強く頷いてみせた。
もう、振り返らない。
俺は、まだ薄暗い地平線の先、聖地ウル、そして神殿都市ソラリスへと続く道を、一人、歩き始めた。
― 第7章 完 ―
これにて第7章、完結となります。
幕間を挟み、第8章へと物語は続きます。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。
感想やレビューも、心からお待ちしています!




