第150話:平穏と星への問い
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マラハとの対話から、数日が過ぎた。 工房の窓から見えるシエルの街は活気を取り戻し、仲間たちの笑い声が聞こえる。俺がこの世界に来て、初めて自らの手で築き上げた、かけがえのない「日常」。その温かさに目を細めながらも、俺の心は晴れなかった。
あの男が遺した言葉と、ガーディアンから得た情報が、俺の中で重い問いとなって渦巻いていたのだ。
(この平穏は、偽りの理の上に成り立つ、砂上の楼閣に過ぎないのか……?)
邪神教「炎の紋章」の狂信。その根源にあるのは、人類が「失敗作」であるという絶望と、「プロメテーウス」という神への歪んだ贖罪の意識。そして、その全ての鍵を握る、聖地ソラリスに眠るというマスターユニット『マザー』の存在。
俺は、商会長として、この手に入れた日常を守り、発展させる責任がある。だが、科学者として、そしてこの世界の真実の一端に触れてしまった者として、この巨大な謎から目を背けることは、許されるのだろうか。
「……どうすればいい」
思わず漏れた呟きに、脳内のパートナーが静かに応答した。
《マスター。思考のデッドロックが検知されました。問題点を整理し、論理的な解決策をシミュレーションしますか?》
「頼む、アイ」
俺は執務室の椅子に深く身を沈めた。
《現在、マスターが直面している問題は二つ。第一に、交易商会ミライの経営安定化と、シエルにおける共同体の維持。第二に、邪神教の残党、及びその根源である『マザー』がもたらす、大陸全土への潜在的脅威の排除です》
「ああ。そして、その二つは両立しない。俺の身体は一つしかないからな」
《肯定します。そこで、各選択肢におけるリスクを算出します。選択肢A:マスターがシエルに留まる場合。商会の経営は安定し、短期的には共同体の安全は確保されます。しかし、邪神教の残党がソラリスで『マザー』の制御を試みた場合、シエルでの一件を遥かに超える規模の災害が発生する確率は、今後5年以内で78.4%。その場合、我々の共同体も存続は不可能です》
アイの示す数字は、冷徹な現実を突きつけてくる。この平穏は、時限爆弾の上にあるようなものだ。
《選択肢B:マスターがソラリスへ向かう場合。商会はマスターという最高の頭脳を失い、経営リスクは増大します。また、マスターご自身の生命の危険性は、未知数です。しかし、もし『マザー』の謎を解明し、脅威を根源から断つことができれば、共同体、ひいてはこの大陸全体の長期的安全を確保できる可能性があります》
「……確率論で言えば、答えは決まっている、か」
だが、俺の心は、その論理的な答えを素直に受け入れられなかった。確率やデータでは測れない、仲間たちとの絆が、俺をこの場所に引き留めようとする。
〈……ガーディアン。聞こえるか〉
俺は、もう一人の、古代の知性に問いかけた。
『――聞こえている、来訪者よ』
数刹の沈黙の後、古く、そして威厳に満ちた声が、脳内に響いた。
〈あんたは、数十万年もの間、この星を見てきた。あんたの創造主、プロメテーウスは、この星の人類を『失敗作』と断じ、そして見捨てなかったという。……あんたは、どう思う?この星の未来を。俺は、どうすべきなんだ?〉
それは、科学的な問いではなかった。答えのない、哲学的な問い。アイには、決して問うことのできない種類の問いかけだった。
『……私は、観測者であり、番人だ。思考はすれど、意見は持たぬ。だが』
ガーディアンは、そこで一度、言葉を切った。
『我が父、プロメテーウスが、なぜ私に炉の『停止』権限を与えなかったか、分かるか?』
〈……〉
『彼は、この星の知性体が、自らの意志で未来を選ぶことを望んだのだ。たとえそれが、愚かな過ちであったとしても。彼は、失敗作と断じた我が子らを、心の底では信じていた。彼らが、いつか自らの力で『理』を紡ぎだし、神の干渉なしに、自らの足で歩き出す日が来ることを』
その言葉は、雷のように俺の心を貫いた。
『来訪者カガヤ。汝は、この星の理の外から来た。だが、汝の行動は、この星の者たちに、新たな『選択肢』を与えた。ギルドと手を取り合い、街を救ったように。汝の存在そのものが、この星の停滞した運命における、最大の『変数』なのだ』
ガーディアンの声が、遠のいていく。
『道を選び、未来を紡ぐのは、汝ら自身だ。私は、ただ、観測を続ける』
彼の言葉は、答えではなかった。だが、それは、俺が進むべき道を、確かに照らし出していた。
俺は、ゆっくりと立ち上がると、窓の外に広がる、活気に満ちた工房を見下ろした。リコがレオを叱りつけ、ギドが若者に指示を出し、セツナがその全てを温かい眼差しで見守っている。
彼らは、もう、俺に守られるだけの存在じゃない。彼らは、自らの力で考え、行動し、未来を創り出すことができる。俺が、それを誰よりも信じている。
ならば、俺のやるべきことは一つだ。
商会長として、彼らにこの『城』を託し、彼らの未来を脅かす最大の脅威を、俺自身の手で排除する。
それは、彼らを置いていくことではない。彼らを信じるからこそできる、最大の『投資』なのだ。
俺の心にあった迷いの霧が、完全に晴れた。
「セツナ、リコ、レオ、ギドには、話しをしないとな……」
俺は、静かに、しかし、揺るぎない決意を込めて、そう呟いた。
全ての始まりの場所、ソラリスへ。
俺は、まだ見ぬ未来に思いを馳せていた。
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