第149話:狂信の理、商人の理
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シエルの空は、街を覆っていた悪夢のような閉塞感が嘘だったかのように、どこまでも青く澄み渡っていた。
街は奇跡的な速度で日常を取り戻し、俺たちの「交易商会ミライ」は、その復興の中心で力強く脈打ち始めていた。
五大ギルドとの提携は、俺たちの製品を街の隅々にまで届け、工房の前には再び活気が戻ってきた。子供たちの笑い声、ギドたちの力強い槌音、そして、それら全てを完璧なハーモニーとしてまとめ上げる、セツナの静かで的確な指示。
その光景は、俺がこの世界で手に入れた、何物にも代えがたい「平穏」そのものだった。
だが、その平穏のすぐ足元、地下深くの暗がりには、未だ燻り続ける火種が残っている。俺は、その火種の存在を、決して忘れることはできなかった。
あの日、俺が捕らえた邪神教「炎の紋章」の幹部、マラハ。彼は五大ギルドと鉄血傭兵団の共同管理の下、街の留置場に拘束されていた。
「……本当に行かれるのですか、カガヤ様」
地下へと続く階段の前で、セツナが心配そうな、しかし俺の決意を理解している瞳で問いかけてきた。彼女は、俺がマラハと単独で対話することに、最後まで反対していた。
「危険すぎます。あの男は、力を失ったとはいえ、その思想は猛毒です。彼の言葉は、論理の形をした呪いのようなもの。あなたの心に、何を植え付けるか……」
「分かっている。だが、セツナ。これほど価値のある情報源を見過ごすわけにはいかないんだ。彼の言う『真の理』の正体を、俺は知る必要がある」
俺は、彼女を安心させるように、穏やかに微笑んでみせた。
「それに、俺はもう一人じゃない。君がいるからな」
その言葉に、セツナは一瞬だけ目を伏せ、頬を微かに染めたが、すぐに覚悟を決めた表情で頷いた。
「……御意に。ですが、私も同行させていただきます。あなたの盾として、いかなる『毒』からもお守りします」
その揺るぎない忠誠心に苦笑しつつ、俺たちは二人、薄暗い地下留置場へと足を踏み入れた。
◇
ひやりとした石の壁に囲まれた、簡素な独房。その中央に、マラハは静かに座っていた。右腕を失い、力の源であった「調律の篭手」も砕かれた彼は、もはや以前のような圧倒的な威圧感を放ってはいなかった。だが、仮面の奥からこちらを射抜く瞳の光だけは、少しも衰えてはいなかった。それは、敗者のそれではなく、真理の探求を続ける者の、執念の光だった。
「……何の用だ、異邦人。敗者への憐れみか?それとも、勝利の誇示か?」
マラハの声は、乾いていたが、その響きに卑屈さはない。
「どちらでもない。あんたに、取引を持ちかけに来た」
俺は、鉄格子を挟んで彼の前に立つと、単刀直入に切り出した。
「あんたが信じる『真実』とやらを、俺に話せ。その見返りとして、俺はあんたに生きて王都へ帰る道を用意してやる。断れば、この場でジン団長に引き渡し、傭兵の流儀で『処理』してもらうまでだ」
商人としての、冷徹な交渉。マラハは、俺の言葉に仮面の奥で鼻を鳴らした。
「面白い。命乞いをしろ、と。だが、我らにとって死は恐怖ではない。唯一神プロメテーウス様の御許へ還る、栄光に過ぎん」
「プロメテーウス……。それが、あんたたちの神の名か」
俺は、その聞き覚えのある名に、内心で眉をひそめた。ガーディアンが語った、彼の創造主の名。そして、俺の故郷の神話で、人類に火を与えた神の名。偶然にしては、出来すぎている。
「そのプロメテーウスとやらが、本当にあんたたちの声を聞いているという保証は、どこにある?」
俺の問いに、マラハは一瞬、言葉を詰まらせた。俺は、その心の隙間を見逃さない。
「俺は、あんたをただの狂信者だとは思っていない。あんたもまた、俺と同じ、この世界の『理』を探究する者だ。違うか?」
その言葉は、マラハの心の奥深くに突き刺さったようだった。彼はしばらく黙り込んだ後、重々しく、そしてどこか誇らしげに、自らの信じる歪んだ「真実」を語り始めた。
「……良いだろう、異邦人。教えてやる。我らが、なぜ、世界を『浄化』せねばならぬのかを」
彼の言葉によれば、彼ら「炎の紋章」は、代々、正教会によって封印された古代の記録を、密かに解読し、受け継いできたのだという。
「我らが解読した古文書によれば、この世界の生命は、遥か昔、天より降り立った『星の民』によって創造された。だが、我ら人類は、彼らにとって、望まぬ形で生まれてしまった『失敗作』に過ぎなかったのだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。それは、俺がガーディアンから得た情報と、奇妙に一致していた。
「星の民は、自らが創り出したこの世界を、いずれ『浄化』、すなわち、全てを無に還す計画を持っていた。我ら失敗作が、これ以上、彼らの創造した美しい庭を汚さぬように、とな。その絶望的な未来を知りながら、我らの祖先は、ただ滅びを待つことしかできなかった」
マラハの声に、初めて熱がこもる。
「だが、その星の民の中に、ただ一人、我らを見捨てなかった神がいた。それが、我らが信仰する唯一神、プロメテーウス様だ。天主様は、我らに、自らの『理』の一部を与え、星の民に抗うための、ささやかな力を授けてくださった。我らが使う古代遺物の力は、その名残だ。そして、天主様は我らに最後の神託を遺された。『いずれ来る浄化の前に、汝らは我が望んだ人の姿へと至れ。安易な奇跡をその手でこの星から排し、自らの力で理を紡ぎだす者となるのだ。それこそが、唯一の贖罪である』と」
彼らの言う「浄化」とは、滅びではない。それは、人類が「失敗作」という原罪を乗り越え、魔素という安易な奇跡に頼るのではなく、自らの力で科学文明を築き上げる「理を紡ぎだす者」へと至るための、歪んだ贖罪の儀式だったのだ。彼らの狂信は、絶望から生まれた、あまりにも性急で、独善的な進化への渇望だった。
「……それが、あんたたちの『真実』か」
俺は、彼の話を黙って聞き終えると、静かに言った。
「馬鹿げている。あまりにも、非論理的で、そして……悲しすぎる」
「何だと!?」
「もし、この世界が、星の民に完全に見捨てられた、ただの失敗作の世界だったとしたら、なぜ、セレスティア様のような『希望』が生まれる?なぜ、腐敗した教会の中からでさえ、サルディウスの非道に異を唱えようとする者が現れる?そして……」
俺は、マラハの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「なぜ、あんたのように、方法は間違っていても、必死で世界の理を求めようとする『探求者』が、生まれてくるんだ?」
俺の言葉は、彼の揺るぎない狂信の土台を、根底から揺さぶった。
「……黙れ」
「あんたは、ただ怖かっただけじゃないのか?自分たちの知らない、多様で、混沌とした未来が来るのが。だから、星の民の言葉を言い訳に、世界を単純な『善』と『悪』に分けたかった。違うか?」
カガヤの言葉と、その圧倒的な器の大きさに、マラハの狂信は初めて揺らいだ。彼は、自らが信じてきた「絶望」が、ただの「無知」だったのかもしれないという可能性に、生まれて初めて、直面させられたのだ。彼の仮面の奥の瞳が、激しく揺れている。
俺は、それ以上何も言わず、セツナと共に独房を後にした。
◇
数日後、マラハは第二王子ゼノンが差し向けた、王家の紋章が刻まれた護送用の特別馬車によって、王都へと移送されることになった。彼は、王都の地下深くで、「重要情報源」として、余生を送ることになるだろう。
ゆっくりと動き出す馬車を、俺とセツナは工房の屋上から見送っていた。彼の心に、俺が蒔いた「理」の種が、いつか芽吹く日が来るのだろうか。それは、誰にも分からない。
「……カガヤ様」
隣に立つセツナが、静かに口を開いた。
「……カガヤ様は、どこまでも、お甘い方ですね」
その声には、かすかな呆れと、しかし、それを包み込むような温かい響きがあった。かつて彼女が非合理的だと切り捨てたであろう俺の選択を、今の彼女は、ただ静かに受け入れてくれている。その事実が、何よりも雄弁に、俺たちの間に築かれた絆の深さを物語っていた。
俺は、青く澄み渡ったシエルの空を見上げた。
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