第148話:コーダ
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湿った土と、鉄錆の匂いが混じり合う地下迷宮。その深淵から、俺は生還した。
マラハとの死闘、そして古代AI「ガーディアン」との邂逅。あまりにも濃密な時間の後、俺の身体は鉛のように重く、意識は熱に浮かされたように朦朧としていた。もし、ジン団長やダガン、そして鉄血傭兵団の屈強な傭兵たちが肩を貸してくれなければ、地上へと続く最後の階段を上りきることもできなかっただろう。
「カガヤ様!」
俺の姿を認め、地上で待機していたギドが駆け寄ってくる。その顔には、安堵と、俺の消耗しきった様子への気遣いが滲んでいた。
「ギド……。すまない、少し、消耗しただけだ……。地上の様子は?」
「はっ。セツナ様の指揮の下、皆、それぞれの持ち場で……」
ギドに支えられ、地上へと続く最後の階段を上りきると、眼前に広がる光景に、俺は息を呑んだ。
俺たちの工房「交易商会ミライ」を中心に、街の主要な広場や大通りには、巨大な蜘蛛の巣のように、無数のケーブルが張り巡らされている。その先には、街の至る所に設置された魔道具の街灯が接続されていた。
屈強な職人ギルドの男たちが、頑固な顔つきで知られるギルド長のドルガン自らの指揮の下、汗だくでケーブルの敷設作業を進めている。錬金術ギルドの白衣の者たちは、ザルムに指示され、ケーブルの接続部分に特殊な魔力伝導性の軟膏を塗りつけている。商業ギルドの者たちは、その広範な情報網を駆使して、各作業班の進捗状況をリアルタイムで司令塔へと報告している。
かつては互いにいがみ合い、利権を争っていた者たちが、「シエルを救う」という、ただ一つの目的のために、今、手を取り合っている。疲労困憊の俺の目に、その光景は、あまりにも非現実的で、しかし、確かな希望の光を放っていた。
「カガヤ様!」
その声に、俺は司令塔となっている工房の二階へと視線を向けた。バルコニーに、セツナが立っていた。彼女は俺の無事な姿を認めると、一瞬だけ、その瞳を安堵に潤ませたが、すぐに最高執行責任者としての厳しい表情に戻り、こちらへと駆け寄ってきた。
「ご無事でしたか……。本当に……」
「ああ。こっちはどうだ?」
「順調です。皆が、協力してくれましたので」
セツナの言葉には、誇らしげな響きがあった。彼女は、俺が不在の間、この巨大で複雑なプロジェクトを、たった一人で、完璧に指揮していたのだ。彼女の隣にはレオが立ち、各所から集まってくる伝令の羊皮紙を、休む間もなく捌いている。その顔つきは、もはやスラムの悪ガキのものではなかった。
俺たちが言葉を交わしている、まさにその時だった。
「――できたぞ! カガヤ殿! 全ての共振器の設置、及び、伝導ケーブルの接続が、たった今、完了した!」
職人ギルド長ドルガンが、油と汗にまみれた顔を、満足げに歪ませながら叫んだ。その声に、作業をしていた全ての者たちが、一斉に動きを止め、こちらに注目する。
街を覆う、重苦しい沈黙。その中で、数千、数万の人々の、期待と、不安と、そして最後の祈りが、俺という一点に、突き刺さるように集中するのを感じた。
「……よし、稼働させよう」
俺は、セツナに頷き返すと、工房の屋上に設置された、この計画の心臓部――巨大な増幅装置へと向かった。そこには、俺が設計し、ギドたちが作り上げた、特殊な「共振器」が、静かにその時を待っている。
俺は、腕の触媒を増幅装置の制御盤にかざし、最後の精神力を振り絞った。
〈アイ、最終シークエンス、開始。地下で解析した、汚染魔素の『不協和音』のパターンデータを入力。それを完全に打ち消す、逆位相の『調律の波』を生成する〉
《了解、マスター。ハーモナイザー・システム、起動します》
俺が震える指で制御盤のスイッチに触れると、増幅装置から、キーン、という清浄な起動音が響き渡った。それは、最初、ごく小さな音だった。だが、その音は、張り巡らされたケーブルを伝い、街中の街灯へと、瞬く間に伝播していく。
一つ、また一つと、街灯に埋め込まれた魔石が、増幅装置と同じ、穏やかで、清らかな青い光を灯し始める。そして、それぞれの街灯が、同じ周波数の、心地よいハミング音を発し始めた。
シエルの街全体が、一つの巨大な楽器と化した瞬間だった。
その青い光の波紋は、同心円状に、ゆっくりと、しかし確実に、街の隅々にまで広がっていく。黒い霧に覆われていた空が、その光に触れた場所から、まるで浄化されるように、本来の青さを取り戻していく。計算され尽くした物理法則が、目の前の現実を書き換えていく。
「……霧が、晴れたようだ……」
「ああ、頭が……はっきりする……。今まで、何をしていたんだ……?」
「力が……体の奥から、力が湧いてくる……!」
街の其処彼処で、生気を失った抜け殻のように座り込んでいた人々が、一人、また一人と、ゆっくりと顔を上げたのだ。その瞳には、長く続いた悪夢から覚めたかのような戸惑いと、そして、失われていた生命の輝きが、確かな熱量を持って蘇っていた。彼らは、互いに顔を見合わせ、自らの手足を確かめ、この現実の感覚を、涙ながらに分か-ち合っている。
憎悪と暴力の渦は消え、街は、安堵と感謝の歌に包まれていった。
「リコ!」
工房の二階、病室で寝ずの看病を続けていたレオの、絶叫にも似た声が響いた。
俺とセツナが駆けつけると、そこには、ベッドの上で、ゆっくりと身を起こそうとしているリコの姿があった。その顔からは、苦悶の色は消え、ただ、寝ぼけたような、きょとんとした表情だけが浮かんでいる。
「……あれ? みんな、集まって、どうしたの……?」
その、あまりにも普段通りの彼女の言葉に、レオの堪えていた涙腺が、ついに決壊した。
「ど、どうしたも、こうもあるかよ、この馬鹿野郎っ!」
彼は、リコの小さな体に泣きつきながら、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「心配、させやがって……! よかった……。本当によかった……!」
その、心の内をありのままにぶつけるような愛情表現に、その場にいた誰もが、つられて目頭を熱くする。セツナが、そっとレオの背中を撫で、ギドは、壁に寄りかかり、その大きな体で顔を隠すように俯いていた。
俺は、そんな仲間たちの姿を、ただ、静かに、そして、心の底から湧き上がる温かい感情と共に、見つめていた。
英雄としての功績など、どうでもよかった。ただ、自らの大切な「家族」と、その「家」を、守り抜くことができた。その何物にも代えがたい、確かな手応えだけが、そこにあった。
シエルの空に、久方ぶりの、雲一つない青空が広がっていた。
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