第147話:理の代償、神の黄昏
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二百人近くいたはずの邪神教の信者たちが沈黙し、死と血の匂いだけが満ちる回廊の静寂を破ったのは、通路の奥の暗がりから響く、乾いた拍手の音だった。
「――素晴らしい。実に、素晴らしい!」
禍々しい鳥の嘴を模した仮面の男、マラハが、ゆっくりと姿を現した。彼の周りだけ、まるで空間が歪んでいるかのように、空気が揺らめいている。
「噂には聞いていたが、これほどとはな。異邦人。貴様のその力、まさに神の領域。だが、それ故に、許されざる『異物』よ」
彼の言葉には、嘲りと、そして純粋なまでの殺意が込められていた。
「雑兵は、片付いた。……さて、始めようか。異邦の神と、真の神に仕える者との、最後の問答を」
マラハが右手を掲げると、その腕に装着された古代遺物「調律の篭手」が、禍々しい紫電を迸らせた。それは、遺跡の壁面と同じ、未知の素材で作られており、周囲の空間から魔素を、まるで重力特異点が顕現したかのように凄まじい勢いで吸収し始める。
「その穢れた理術、我が神の御前で塵と化すがいい!」
マラハの篭手から、空間そのものを切り裂くような、紫色の魔素の刃が放たれた。それは、これまで俺が対峙してきたどんな攻撃とも次元が違う。物理的な刃ではない。空間そのものを振動させ、因果律に直接干渉するような、異質な力の奔流だった。
「ジンさん! ダガンさん!下手に近づくな!」
俺が叫ぶより早く、鉄血傭兵団の団長ジンと、その右腕であるダガンが、巨大な盾を構えて俺の前に立ちはだかった。
「退がってな、カガヤ殿! こいつは、俺たちの獲物だ!」
ダガンの雄叫びと共に、二人の屈強な傭兵がマラハへと突進する。だが、彼らの歴戦の技と鋼の肉体は、マラハの異質な力の前に、あまりにも無力だった。
魔素の刃は、鋼鉄の盾をバターのように切り裂き、二人の鎧を容易く貫いた。
「ぐ……っ!?」
「がはっ……!」
ジンとダガンは、まるで巨人に殴りつけられたかのように吹き飛ばされ、血反吐を吐きながら石の壁に叩きつけられた。その姿を見て、俺の中の何かが、静かに、そして確実にはじけ飛んだ。
『お前のやり方は、甘すぎる。その感傷が、俺たちを殺すことになる』
俺の甘さが、今、目の前で仲間を傷つけている。俺が守ると決めた者たちを、死の淵へと追いやっている。
優先順位を、間違えるな、カガヤ・コウ。
守るべきものを、守る。そのためならば――
――敵を、殲滅する。
俺の瞳から、迷いの色が消えた。
「アイ、感傷モードは終わりだ。ここからは殲滅を目的とする。敵の行動パターン、エネルギーの揺らぎ、0.1刹先の未来まで、全てのデータを予測・提示しろ!」
《了解、マスター。戦闘モードをフェーズ2に移行。敵の魔素放射パターンに、0.5マイクロ秒の周期的な『揺らぎ』を特定。これを打ち消す逆位相エネルギーの生成パターンを算出します》
アイの思考速度が加速する。同時に、俺は意識の片隅で、地下聖域の古代AIに呼びかけた。
「ガーディアン!聞こえるか!奴が使っている『調律の篭手』の情報を寄越せ!」
『――来訪者カガヤ。それは我が父の技術の劣化コピー。正規の認証キーを持たぬため、常に過剰なエネルギーを外部から取り込み続けることでしかその形を維持できん。弱点は、制御不能なほどのエネルギー流入による自己崩壊だ』
二つのAIからの情報が、俺の脳内で一つの結論へと収束する。
「マラハ!」
俺は、負傷したジンたちを庇うように立ちながら、叫んだ。
「お前の信じる神は、そんな借り物の力に振り回される姿を見て、本当に喜んでいるのか?遺物の操り人形め!」
「黙れ、異邦人が!神の御業を知らぬお前に、何が分かる!」
激昂したマラハが、さらに強大な魔素の刃を放つ。だが、その攻撃は、もはや俺には届かない。
「理術展開――位相相殺」
俺の腕の触媒から、アイが算出した逆位相のエネルギー波が放たれる。二つの波が空中で衝突し、マラハの必殺の刃は、音もなく、ただの光の粒子となって霧散した。
「なっ……!?」
マラハの仮面の奥で、驚愕の光が揺れる。俺はその隙を逃さない。
「誘導魔素奔流」
ガーディアンの情報に基づき、俺は遺跡の壁や床に流れる、エネルギー伝導率が最も高いラインを視覚化する。そして、そのラインをなぞるように、周囲の魔素の流れを強制的に捻じ曲げ、マラハの足元へと誘導した。
「ぐ、おおっ!?」
マラハは、自らの意思とは無関係に、「調律の篭手」が周囲のエネルギーを暴走するように吸収し始めるのを感じ、狼狽した。彼の力の源であったはずの篭手が、今や、彼の制御を離れ、ただのエネルギー吸収装置と化している。
「これほどの力を、なぜお前が……!」
「言ったはずだ。俺は、物事の理を探究する者だ、と。お前が『神秘』と呼ぶその力も、俺にとっては解析可能な『現象』に過ぎない」
篭手が、許容量を超えるエネルギーを吸収し、悲鳴のような甲高い音を立てて明滅を始めた。今だ。
俺は、これまで自重していた、最後の理術を解放する。明確な殺意と、仲間を守るという絶対的な意志を込めて、その現象をイメージした。
運動エネルギーを、針の先端の、そのさらに先端の一点にまで収束させ、光速で射出する。
「無響破!」
それは、音も、光も、衝撃波さえも伴わない、絶対的な「貫通」の理。
俺の指先から放たれた不可視の弾丸が、暴走寸前の「調律の篭手」の中心を、寸分の狂いもなく正確に穿った。
キィィィィン―――ッ!
篭手は、水晶が砕けるような甲高い断末魔を上げ、その内部で圧縮されていた膨大なエネルギーが、制御を失って逆流した。
「がああああああああっ!!」
マラハの絶叫が、地下遺跡に響き渡る。彼の右腕は、自らの力によって内側から破壊され、炭化しながら弾け飛んだ。衝撃で壁に叩きつけられた彼は、血反吐を吐きながらも、憎悪に満ちた目で、こちらを睨みつけていた。
「愚かな……我らの悲願は……ソラリスの、『門』が開かれる時に、成就する……。真の、浄化は……これから、だ……」
それが、彼の最後の言葉だった。仮面の奥の光が消え、彼の身体は、力なく地面に崩れ落ちた。
後に残されたのは、圧倒的な静寂と、息を呑んで立ち尽くす傭兵たちだけだった。
「カガヤ殿……。あんた、とんでもねえな」
ジンが、負傷した体を起こしながら、呆然と呟いた。その目には、感謝だけではない。人知を超えた力への、原始的な畏怖の色が浮かんでいた。
「カガヤ殿! とどめを刺せ! そいつを生かしておいては、後々必ず災いの元になる!」
ダガンが、脇腹の傷を押さえながら叫ぶ。その声には、傭兵としての確かな実感がこもっていた。俺は、意識を失ったマラハを見下ろしたまま、動けずにいた。
「……何をしている、カガヤ殿。こいつが何をしたか、あんたが一番よく分かっているはずだ。情けは無用だぜ」
俺の躊躇を見抜いたジンが、自ら剣を手に、マラハへと歩み寄る。その一歩を、俺は手で制した。
「待ってください、ジンさん」
「なぜだ?」
ジンのいぶかしむような視線が、俺に突き刺さる。俺は、静かに、しかしきっぱりと答えた。
「ええ、分かっています。ですが、商人として、貴重な情報源を見すみす殺す手はありません」
その言葉に、ジンは一瞬きょとんとし、やがて、その口元に呆れたような笑みを浮かべた。
「……はっ。あめぇな、お前さん」
彼はそう吐き捨てると、手にしていた剣を鞘に納めた。
「やっぱり、甘いですかね。でも、これが、俺が選んだ戦い方なんです」
セツナの「甘さが、俺たちを殺す」という言葉が脳裏をよぎる。殲滅すると決めたはずが、結局、俺は非情になりきれなかった。戦いの中でならともかく、無抵抗の相手となると……。そのどうしようもない甘さに、胸の奥で自嘲の笑みが浮かぶ。だが、今の彼女なら、きっとこの選択を分かってくれるだろう。そんな妄想にも似た想いが、かすかな慰めとなっていた。
俺のその言葉に、ジンは腹の底から、豪快に笑い出した。
「はっ! そう言う奴が一人くらいいても良いだろうよ。……俺は、気に入ったぜ」
その笑い声に、張り詰めていた意識が、ようやく現実へと引き戻される。俺もまた、つられて、ふっと笑みを漏らした。だが、すぐに真剣な表情に戻ると、本来の目的を思い出す。
俺は、いまだ不安定な光を放つ遺跡の中枢――中継塔の制御盤へと歩み寄った。
「アイ、ガーディアン、やるぞ。中継塔の制御を、少しでもこちらに取り戻す!」
俺が腕の触媒を制御盤にかざすと、アイが俺の意図を古代のシステム言語へと変換し、ガーディアンが内部からロックを解除していく。膨大な情報が流れ込み、制御盤の光が一度強く輝いた後、穏やかで安定した青い光へと変わった。
「やったか……?」
俺の呟きに、アイが即座に状況を報告する。
《マスター。中継塔の制御権、3%を奪還しました》
「たった、3%……だと?」
そのあまりに少ない数字に、俺は思わず眉をひそめた。これだけの死闘を繰り広げた結果が、これだけだというのか。
『無理もない、来訪者よ』
ガーディアンの、古く、威厳のある声が脳内に響く。
『汝が今いるこの「中継塔」は、大陸全土に広がるエーテロン・ネットワークの、あくまで一つの「中継拠点」に過ぎん。全てのシステムを統括しているのは、聖地ソラリスに眠る、私の同胞……「マスターユニット『マザー』」だ。ここからネットワーク全体を掌握することは、原理的に不可能なのだ』
《ですがマスター、この3%という数字は、量こそわずかですが、質的には極めて重要な意味を持ちます》
アイが、ガーディアンの言葉を補足する。
《今回我々が掌握したのは、この中継塔のセキュリティと外部アクセスに関する核心部分です。これにより、邪神教が外部から行っていた不正な干渉は、ほぼ完全にブロックできます。都市の汚染を食い止めるという、今回の第一目標は達成されています》
『そうだ。汝は、この拠点の、固く閉ざされた「門」を、再び閉じることに成功したのだ。見事であった』
ガーディアンからの賞賛を聞きながら、俺は確かな手応えを感じていた。これで、当面の危機は去った。
俺たちは仲間たちに肩を貸されながら、捕虜を確保し、そして未来への扉を開く確かな鍵を手に、地上への帰還を開始した。
マラハが最期に遺した「ソラリス」という言葉、そしてガーディアンが語った「マザー」の存在。二つの情報が、俺の心の中で一つの確信へと変わっていった。
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