第146話:解放される力
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シエルの地下に広がる古代遺跡。その、湿った石畳と、カビの匂いが混じり合う回廊は、今や、鉄と血、そして狂信が渦巻く、地獄の戦場と化していた。
マラハが掲げた『沈黙の聖印』から放たれる禍々しい光が、鉄血傭兵団の屈強な戦士たちを蝕む。
「ぐっ……体が、鉛のように重い……!」
「動きが……鈍る……!」
最前線で分厚い壁を形成していた傭兵たちの動きが、目に見えて緩慢になっていた。アイが広域神経毒と断定した古代遺物の力は、屈強な彼らの肉体を内側から蝕み、戦線をじわじわと後退させていく。
「――崩すな!隊列を維持しろ!盾を構えろ!」
ダガンの雷鳴のような怒号が響き渡るが、狂信者たちの波状攻撃は、その鋼の壁をこじ開けようと激しさを増すばかりだった。
「我らが主に、この身を捧げん!」
「浄化の炎を、異邦人に!」
彼らの目には、恐怖も、痛みもない。あるのは、ただ、盲目的な信仰と、自らの命さえも消耗品と見なす、常軌を逸した狂気だけだ。彼らは、仲間が目の前で斬り伏せられても、一切怯むことなく、その屍を乗り越えて、なおも突撃を繰り返す。
(……きりがない)
俺は、戦線の後方から、その凄惨な光景を、冷静に、しかし、腹の底で燃え盛る、冷たい怒りとともに見つめていた。ジンとダガン率いる鉄血傭兵団は、間違いなくこの世界で最強の武力集団の一つだ。だが、敵は、兵士ではない。死を恐れぬ、狂信者の群れだ。このままでは、いかに屈強な傭兵団とて、いずれは消耗し、押し切られる。事実、すでに何人もの傭兵が、敵の凶刃に倒れ、あるいは、呪詛が込められたと思しき、黒い炎に焼かれていた。
彼らが、命を賭して守っているのは、俺であり、そして、地上で待つ、セツナやリコたちがいる、俺たちの『家』だ。
『これは、お前の言う『理術』とやらを試す実験場ではない。生きるか死ぬか、ただそれだけの、戦場だ。お前のやり方は、甘すぎる。その感傷が、俺たち二人を殺すことになる』
ふいに、セツナに言われた言葉が蘇る。そうだ、セツナの言う通りだ。これまで俺は、この世界での余計な軋轢を恐れ、力の使い方をためらってきた。だが、その甘さが、今、目の前で仲間を傷つけている。俺が守ると決めた『家族』を、危険に晒している。……優先順位を、間違えるな、カガヤ・コウ。守るべきものを、守る。そのためならば――。
――敵を、殲滅する。
俺は、静かに、一歩、前へと踏み出した。
「カガヤ殿!無茶だ、下がれ!」
俺の動きに気づいたジンが、鋭く制止の声を上げる。だが、その声は、もはや俺の耳には届いていなかった。
視界が、変わる。アイから送られてきた戦場の全ての情報が、無数の光のデータとなってリアルタイムで網膜に投影される。敵の数、距離、武器の軌道、傭兵たちの疲労度。その全てが、最適化された行動予測として、高速でシミュレートされていく。
俺は身体強化された身体を強くイメージする。この惑星に満ちる魔素を呼吸と共に自身の身体へと取り込み、そのエネルギーを筋繊維へと集中的に送る。魔素によって俺の身体が強化されるのを感じる。
世界が、スローモーションになった。
信者の一人が、傭兵の盾の隙間をすり抜け、俺に向かって、汚らしい笑みを浮かべながら、錆びた剣を振りかざす。その、あまりにも緩慢な動き。俺は、その男の横を、まるで散歩でもするように通り過ぎた。
すれ違い様、俺は、その男の首筋に、指先で、軽く触れただけだった。
次の瞬間。男は、何が起こったのかさえ理解できないまま、その場に崩れ落ちた。指先から放たれた、極小の衝撃波が、彼の頸動脈と神経系を、内側から、完全に破壊していた。
「――なっ!?」
その、あまりにも異様な光景に、ジンも、ダガンも、そして敵である狂信者たちさえも、一瞬、動きを止めた。
だが、俺の攻撃は、終わらない。俺は、もはや「歩く」という概念さえ捨て去り、床を、壁を、天井を、三次元に跳躍しながら、戦場を駆け巡った。それは、まるで舞を舞うような……しかし、舞などではない。効率的で、無慈悲で、そして、圧倒的に速い、ただの「殺戮」の連続だった。
俺の腕の触媒が、周囲のエーテロン・スウォームに干渉する。俺は、呪文も、詠唱も、魔法陣も、一切必要としない。ただ、思考するだけで、「現象」を、この場に顕現させる。
「斥力ブレード」
俺が指先を振るうと、何もない空間が歪み、不可視の、極薄の真空の刃が、薙ぎ払うように信者たちの列を切り裂いた。鎧も、盾も、肉体も、まるで熱したナイフでバターを切るように、抵抗なく、両断される。
「音速撃」
突進してくる信者の一団。俺は、彼らの前方の空間のエーテロンを操作し、大気を瞬間的に圧縮・解放する。不可視の衝撃波が、轟音と共に信者たちを打ち据え、彼らはまるで巨人に張り飛ばされたかのように、壁に叩きつけられていった。
「う、嘘だろ……」
「あれは、魔法なのか……?」
「いや、違う!あんな魔法、見たことも聞いたこともねえ!」
傭兵たちの間から、畏怖と、混乱の声が上がる。
「カガヤ殿……。あんた、一体……」
ジンの声が、震えていた。無理もない。彼らが知っているカガヤ・コウは、温厚な商会長であり、頼れる頭脳だったはずだ。だが、今、彼らの目の前で繰り広げられているのは、人の姿をした、圧倒的な「災害」そのものだった。その戦いぶりには、戦士が持つべき高揚も、武人の誇りも、一切感じられない。ただ、邪魔な障害物を、効率的に、そして冷徹に「排除」していく、恐ろしいほどの気迫だけが、そこにあった。
俺は、もはや、誰の声も聞こえていなかった。ただ、目の前の、赤い脅威判定マーカーを、一つ、また一つと、消していく。その作業に、没頭していた。
◇
やがて、狂信者たちの最後の悲鳴が、湿った回廊に吸い込まれ、戦場に、死と血の匂いに満ちた、静寂が訪れた。二百人近くいたはずの邪神教の狂信者たちは、そのほとんどが戦う力を完全に奪われ、ただ呻き声を上げるだけの無力な体となって、通路を埋め尽くしていた。
そして、鉄血傭兵団の傭兵たちは、皆、言葉を失い、目の前の光景と、そして、その中心に、静かに佇む俺の姿を、呆然と見つめていた。
その、静寂を破ったのは、一人の男だった。
「――素晴らしい。実に、素晴らしい!」
通路の奥の暗がりから、乾いた拍手の音と共に、あの禍々しい仮面の男、マラハが、ゆっくりと姿を現した。彼の周りだけ、まるで空間が歪んでいるかのように、空気が揺らめいている。
「噂には聞いていたが、これほどとはな。異邦人。貴様のその力、まさに神の領域。だが、それ故に、許されざる『異物』よ」
彼は、足元に転がる、かつての仲間たちの骸を、まるで道端の石ころでも見るかのように、一瞥しただけだった。
「雑兵は、片付いた。……さて、始めようか。異邦の神と、真の神に仕える者との、最後の問答を」
マラハの仮面の奥で、二つの瞳が、赤く、そして禍々しく、輝いた。その体から放たれるエーテロンの圧力は、これまで対峙した、どの相手とも、比較にならないほど、強大で、そして邪悪だった。
俺は、ゆっくりと、彼に向き直った。俺の本能が、最大級の脅威警告を発している。だが、俺の心は、不思議なほど、静かだった。
シエルの未来を賭けた戦いは、今、個人と個人の、異星の者と神を僭称する者同士の、最終決戦へと、その舞台を移そうとしていた。
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