第145話:理術の戦場
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シエルの街は、巨大な一つの生命体と化していた。
俺が提示した「ハーモナイザー計画」。それは、この混沌の都市に生きる、あらゆる人々を巻き込む、壮大な共同事業へと発展していた。シエルの街全体が、一つの目的のために、心を一つにする。それは、俺がこの世界に来てから、初めて目にする、奇跡のような光景だった。
その頃、俺の意識は、全く別の戦場にいた。
「交易商会ミライ」の執務室。俺は、目を閉じ、意識を深く集中させることで、アイと、そして地下聖域に眠るガーディアンとの、思考のリンクを維持していた。
『……来訪者よ。敵のプロテクトは、想定以上に強固だ』
ガーディアンの、冷静な分析が脳内に響く。
『奴らは、中継塔の制御システムに対し、外部から、極めて原始的だが強力な、論理汚染を仕掛けている。正規のアクセス経路を破壊し、我々の介入を阻んでいるのだ』
〈アイ、突破口は見つかるか?〉
《マスター。ガーディアンの補助を受け、現在、汚染されていないバックドア経路をスキャン中です。ですが、敵の干渉がシステムの自動防衛機構を無差別に起動させており、経路そのものが予測不能な形で絶えず変異しています。まるで、意思を持った迷路の中で、出口を探しているようです》
〈時間が、ない。地上のハーモナイザーが完成する前に、中継塔の制御を、少しでもこちらに取り戻さなければ……〉
地上の仲間たちが、物理的な「器」を創り上げる。そして、俺とアイ、ガーディアンが、その器に魂を吹き込むための、「道」を切り拓く。二つの戦いが、今、同時並行で、シエルの運命を賭けて、進んでいた。
◇
「――カガヤ様!」
突如、セツナの、緊迫した声が、俺の意識を現実へと引き戻した。俺がゆっくりと目を開けると、彼女は、血相を変えて、一枚の羊皮紙を俺の前に差し出した。それは、盗賊ギルドからもたらされた、緊急報告だった。
「スラム街の、地下水路……。例の古い井戸の周辺に、武装した集団が出現。その数、およそ二百。全員が、あの『炎の紋章』を刻んだ、黒いローブを身につけている、と」
「……ついに、来たか」
俺は、静かに立ち上がった。奴らも、馬鹿ではない。俺たちの計画が、最終段階に近づいていることを察知し、それを物理的に破壊するために、実力行使に出てきたのだ。
「目的は、地下に眠る『中継塔』の、直接破壊。あるいは、完全なる掌握……」
「どうしますか、カガヤ様。工房の防衛を……」
「いや」
俺は、セツナの言葉を遮った。
「敵の狙いは、ここじゃない。地下だ。……セツナ、鉄血傭兵団の精鋭部隊を、直ちに招集しろ。ジン団長とダガンにも、緊急出動を要請だ」
俺の迅速で迷いのない指示に、セツナは一瞬目を見開いたが、すぐに、その瞳に戦士としての鋭い光を宿した。
「私も、行きます」
彼女の言葉は、疑問ではなく、決定だった。
「あなたの背中は、私が守る。それが、今の私の、唯一の任務です」
「……そうだな」
俺は、彼女の目を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。
「……分かっている。だが、お前の本当の任務は、俺の護衛じゃない。この商会の最高執行責任者として、この街の『ミライ』を、守ることだ。……リコや、レオ、ギドたちを、頼んだぞ」
俺の言葉に、セツナは一瞬、唇を噛み締めた。その瞳には、行きたいという想いと、残らなければならないという責任感が、激しくせめぎ合っているのが分かった。やがて、彼女は一つの覚悟を決めたように、深く、そして強く頷いた。
「……御意に。カガヤ様こそ、ご武運を。必ず、ご無事で」
俺は、工房の防衛と、ハーモナイザー計画の最終指揮を、最高のパートナーに託した。そして、俺自身は、ジン、ダガンと共に、地下へと向かう。
「ようやく、体を動かす時が来たな」
報告を受けたジンは、その口元に、好戦的な笑みを浮かべていた。
「カガヤ殿。あんたは、頭脳だ。戦闘は、我ら『筋肉』の仕事だ。あんたは、地下の安全な場所で、指揮に専念してくれ」
ダガンのその言葉に、俺は首を横に振った。
「いや、俺も行く。この戦いは、ただの殴り合いじゃない。敵が使ってくるのは、この世界の常識では計れない古代の遺物だ。その『理』を現場で見極め、即座に対策を立てなければ、俺たちの犠牲が増えるだけだ。それこそが、俺の仕事だ」
シエルの地下深くに広がる、古代の遺跡。再び、俺たちはあの忌まわしき迷宮へと足を踏み入れる。そこが、シエルの運命を決する、最終決戦の舞台となるのだ。
俺は、セツナに工房の全てを託し、ジン、ダガン率いる鉄血傭兵団の精鋭と共に古代遺跡へと、急いだ。
地下へと続く、湿った階段を下りていく。ひやりとした空気が、肌を撫でる。その先には、邪神教の狂信者たちが、松明の明かりに照らされ、不気味な隊列を組んで、待ち構えていた。
「――来たか、異邦人よ」
隊列の中から、一人の男がゆっくりと前に進み出る。禍々しい鳥の嘴を模した仮面。以前、地下遺跡で対峙した、あの男。確か名は、マラハ。その声は、まるで地獄の底から響いてくるかのように、冷たく、そして歪んだ喜びに満ちていた。
「貴様の、その忌まわしき知恵も、ここで終わりだ。このシエルは、我らが主の御業によって、『浄化』されるのだからな」
その言葉を合図に、邪神教の信者たちが、一斉に、雄叫びを上げて、こちらへと殺到した。
「――行くぞ、野郎ども!一人たりとも通すな!俺たちの後ろには、シエルの未来がかかってるぞ!」
ジンの号令一下、鉄血傭兵団の屈強な戦士たちが、分厚い壁となって狂信者たちの前に立ちはだかる。ジンの振るう巨大な戦斧は、まさに「戦鬼」の名の通り、敵の陣形を紙屑のように薙ぎ払い、ダガンは巨大な盾で敵の攻撃を受け止めながら、的確に戦線を維持する。
だが、マラハは不気味に笑うだけだった。
「無駄な抵抗を。――喰らえ、『沈黙の聖印』を」
彼が掲げた禍々しい紋章が刻まれた石板が淡い光を放つと、最前線で戦っていた傭兵たちの動きが、目に見えて鈍くなったのだ。
「ぐっ……体が、重い……!」
〈アイ、解析を!〉
《了解!……対象の遺物は、周辺空間のエーテロンに干渉し、対象の生体電気信号の伝達速度を強制的に低下させています!一種の広域神経毒です!》
「ジン団長!敵の仮面の男が持つ石板が原因です!あれが、兵士たちの動きを鈍らせている!」
俺の叫びに、ジンは敵を薙ぎ払いながら、獰猛な笑みを浮かべた。
「面白い!ならば、奴の首を掻き切るまで!」
剣と剣がぶつかり合う甲高い金属音。怒号と悲鳴。狭い地下通路で、シエルの未来を賭けた、科学と暴力、そして思想がぶつかり合う激しい白兵戦の火蓋が、今、切って落とされた。
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