第16話:新たなる座標
お読みいただき、ありがとうございます。
しばらくの間は、朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
※ タイトル変更しました。(旧タイトル:宇宙商人の英雄譚)
盆地の底に満ちていたあの圧倒的な魔素のプレッシャーは、守護者が砕け散ると同時に、嘘のように霧散していた。
俺は、動かなくなった右腕の激痛に耐えながら、震える左手で、高純度の魔素結晶のサンプルを慎重に採取し、サンプルケースに収め固く密閉した。これが、俺たちの未来を繋ぐ、唯一の希望の欠片だ。
帰路は、驚くほど静かだった。
あの場所の主がいなくなったことで、灰色の荒野は以前の静けさを取り戻していた。あれほど執拗に俺を監視していたグレイブ・ダイバーの影は、一羽たりとも見ることはない。まるで、王を失った王国が、その機能を停止してしまったかのようだ。
俺の旅路を妨げるものは、もう何もなかった。
数日後、俺は満身創痍になりながらも、ついに懐かしい森、アルカディア号の墜落地点へと帰還した。ハッチが開く音を聞きつけ、青白い光をまとったアイが姿を現す。
「マスター、ご無事で。バイタルデータに深刻なダメージを確認。右腕の神経組織が、魔素反動により広範囲にわたって損傷しています。直ちに医療モジュールでの治療を」
「ああ、分かってる。だが、その前に……これを」
俺は、ラボの分析トレイに、震える手でサンプルケースを置いた。アイの指示で、分析トレイに備え付けられたスキャナーが起動し、ケースに向けて分析用の光を照射する。その隣に現れたアイのホログラムは、いつもより強く、そして誇らしげに輝いているように見えた。
「素晴らしいです。マスター。これほどの純度と安定性。これがあれば、計画は、次のフェーズへ移行できます」
アルカディア号の簡易ラボが、再び俺の仕事場となった。俺は、医療モジュールで俺の右腕の治療を続けながら、同時に、持ち帰った高純度魔素結晶を使った、『量子エンタングルメント・コア』の再構築に着手した。
それは、科学と魔法の、究極の融合作業だった。 未来技術の粋を集めた超精密なナノマシンが、この星の理そのものが凝縮したかのような、神秘的な結晶体を、原子レベルで組み上げていく。
俺は、その光景をただ息を呑んで見守っていた。俺がアカデミーで追い求めていた、未知のエネルギーとの対話。その答えが、今、目の前で形作られていく。
一週間後。 俺の右腕は、医療モジュールと医療用ナノマシンの治療により、後遺症もなく完全に回復した。そして、それと時を同じくして、新しい『ヘイムダル』のコアが、ついに完成した。
「マスター。多次元複合センサーアレイ『ヘイムダル』、再起動します。ただし、まだコアが安定していないため、機能は一部に限定されます」
「構わん。試運転だ。全方位スキャンを開始しろ。俺たちの新しい『目』が、どれほどのものか。楽しみじゃないか」
アイが頷くと、コックピットのメインモニターに、膨大な情報が流れ込んできた。地形、魔素の分布、生態系の動き……。以前のセンサーとは比較にならない、圧倒的な解像度と情報量。半径50キロメートルどころか、100キロ、150キロ先の世界までが、リアルタイムで三次元マップとして構築されていく。
森を抜け、その先には、なだらかな丘陵地帯と、そこを縫うように流れる大きな川が見える。川沿いには……人の手が入ったかのような、整然とした農地らしき区画が点在していた。
「……アイ、そこだ。その農地らしき区画にスキャンを集中させろ。何かがいるはずだ」
俺の声は、自分でも驚くほど、期待に震えていた。これまでの孤独なサバイバルが、報われるかもしれない瞬間。
《了解。対象エリアのエネルギーパターンを詳細スキャン……。……マスター。探査目標を発見。》
アイの声の周波数が、ごく僅かに、しかし明確に変化した。それは、極めて重要な情報を伝達する際の、彼女のプロトコルだった。
「どうした、アイ?!」
《南南東、距離およそ200キロの地点に……極めて大規模で、規則的なエネルギー反応を多数、検知しました。》
モニターの一角が、赤く点滅し、拡大表示される。そこに映し出されたのは、これまでに見てきた、自然界の魔素の乱雑な流れではなかった。無数の光点が、まるで夜空に輝く星座のように、一つの集合体を形成している。その一つ一つの光は、決して強くはない。だが、その分布は、明らかに、何者かの「意図」によって配置されていた。
「これは……」
《エネルギーパターンの詳細を分析。熱源、光源、そして、有機物が燃焼する際に発生する、特有のスペクトル……。マスター、これは、おそらく暖房や調理、照明など、人々が生活する上で発せられる、文明特有のエネルギーパターンです》
「……街か。やはり、いたんだな……」
俺は、モニターに映し出された、遠い光の集合体を、食い入るように見つめていた。この星に、俺たち以外の知的生命体がいる。その事実が、これほどの安堵と、そして、未知への期待を俺にもたらすとは、思ってもみなかった。
これで、俺の孤独なサバイバルは、終わるのかもしれない。
俺が、その感慨に浸っていた、まさにその時だった。
《マスター。》
アイの声が、今度は、紛れもない、切迫した警告となって、俺の脳内に響き渡った。
《12時の方向、距離およそ3キロの地点、生命体反応が複数。非定形。移動速度、規模から判断して、魔獣の群れです。》
モニターの表示が、即座に切り替わる。森の中を、数十体はいるであろう、狼に似た魔獣の群れが、何かに向かって突進していくのが見えた。
《マスター。別の生命体反応。定形。移動速度、スティンガーからの微弱な情報で判断すると、おそらくこの惑星の知的生命体……人間、と推定されます。》
200キロ先に、ようやく見つけた文明の灯。
だが、今、俺のすぐ傍まで、人間が来ていたというのか。
そして、その人間は、今、まさに、魔獣の群れに襲われようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。