第144話:シエル協奏曲
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「――街中の、あの魔道具を、全て、俺たちのネットワークで繋ぎ、巨大な『調律装置』へと、作り変える」
俺の、あまりにも突拍子もない提案に、「交易商会ミライ」の執務室は、一瞬、水を打ったように静まり返った。セツナも、リコも、そして報告を聞きに集まっていたギドや鉄血傭兵団のダガンさえも、ただ、呆然と俺の顔を見つめている。
無理もない。それは、個人の力で、都市そのもののインフラをハッキングし、全く別の機能を持つシステムへと変貌させるという、荒唐無稽にも思える計画だったのだから。
最初に沈黙を破ったのは、セツナだった。
「……カガヤ様。そのお考えは……常軌を逸しています。街に点在する無数の街灯、その一つ一つの魔石に込められた魔力の流れを、遠隔で、しかも寸分の狂いなく同時に制御するなど……。たとえ一個だけであれば可能だとしても、それを都市全域で行うなど、神の御業でも不可能です」
彼女は、驚愕の表情を浮かべながらも、その計画の非現実的な側面を、冷静に分析していた。
「その通りだ。どうやって、街中に数千とある街灯を、全て繋げるんだ?」
ダガンが、現実的な疑問を口にする。
「それに、そんなことをすれば、街の機能を管理する他のギルドが、黙っちゃいねえだろうぜ」
「これはただの小競り合いじゃないんだ」
俺は、テーブルの上に広げられたシエルの地図を、強く指さした。
「それに、俺たちだけの戦いじゃない。このシエルという都市に生きる、全ての人間のための戦い……、そう……邪神教に対する『防衛戦争』なんだ。……セツナ、五大ギルドの全ての長に、緊急会合の招集をかけてくれ。『シエルの存亡を賭けた、共同事業の提案がある』、とな」
俺の瞳には、もはや、一介の商人のそれではない、この都市の未来を背負う者のひとりとしての、確かな覚悟が宿っていた。
◇
翌日。商業ギルドの本部、その最も大きな会議室には、シエルの権力を象徴する顔ぶれが、一堂に会していた。
商業ギルド長ロスタムを議長席に、錬金術ギルド長ザルム、傭兵ギルド長のバルガス、職人ギルド長のドルガン、そして部屋の隅の暗がりにその姿を半ば隠すようにして座る盗賊ギルドの長サイラス。シエルを牛耳る五大ギルドの長たちが、顔を揃えていた。先の経済戦争で俺に敗れた三大商会の長――ベオル、エレオノーラ、ギムレットの三人も、末席に座らされ、苦虫を噛み潰したような顔で俺を見ている。
「……さて、カガヤ殿。我ら全員を、こうして集めたからには、よほどの重要案件なのであろうな」
ロスタムの言葉に、俺は静かに頷いた。
俺は、単刀直入に、本題を切り出した。「沈黙の疫病」の正体が、邪神教による、古代の呪詛兵器を用いた「精神汚染」であること。彼らの真の目的が、シエルの地下に眠る「中継塔」を掌握し、大陸全体の魔力の流れを支配することにあること。そして、このままでは、シエルの全ての民が、思考することをやめ、生ける屍と化してしまうこと。
俺が語る、あまりにも荒唐無稽な「真実」に、ギルド長たちの間には、動揺と、そして明確な不信感が広がっていく。
「馬鹿な!」
「精神汚染だと?」
「何を寝ぼけたことを……」
だが、俺は構わず、続けた。
「この精神汚染を止める方法は、一つしかない。汚染された魔力の波長を、逆位相の波で『調律』し、無害化することだ。そのために、俺は、このシエルの全ての街灯を、巨大な『調律装置』へと作り変える計画を立てた」
俺は、テーブルの上に広げられた巨大なシエルの地図を指し示した。そして、ギドに作らせておいた、街灯の位置を示す無数の小さな木の駒を、地図の上に一つ一つ置いていく。さらに、それらの駒を、赤い糸で丹念に結びつけていった。やがて、地図の上には、都市全体を覆う、巨大な蜘蛛の巣のようなネットワークが姿を現した。その緻密さと、計画の壮大さは、ギルド長たちに、ある種の畏怖の念を抱かせるには、十分だった。
「この計画の実行には、シエルの全ての機能、すなわち、あなたたち五大ギルドの、全面的な協力が、不可欠となる」
「……我らに、協力しろ、だと?」
ベオルが、嘲るように言った。
「貴様に散々、煮え湯を飲まされた、この我らが、なぜ、お前のような若造の、戯言に付き合わねばならんのだ」
その言葉を皮切りに、他のギルド長たちからも、反対の声が上がる。だが、その時、会議室の扉が、重々しい音を立てて開かれた。
そこに立っていたのは、鉄血傭兵団団長、ジン。そして、彼の背後には、完全武装した、屈強な傭兵たちが、壁のようにずらりと並んでいた。
「……話は、聞かせてもらった」
ジンは、その鋭い視線で、ギルド長たちを一人一人、射抜くように見据えた。
「カガヤ殿の言葉が、戯言かどうか。あんたたちにはそれを確かめる時間があるのか?街では、お前たちのギルドの人間も、次々と倒れているはずだ。このまま、指をくわえて、この街が死んでいくのを、黙って見ているつもりか?」
彼の言葉は、何よりも雄弁だった。シエル最強の武力集団が、全面的に俺の計画を支持している。その事実は、ギルド長たちに、選択の余地がほとんどないことを、無言のうちに告げていた。
最後に、ロスタムが、深いため息と共に、口を開いた。
「……よかろう。この街が滅んでは、元も子もない。商業ギルドは、全面的に、カガヤ殿に協力しよう。他の者たちに、異論はあるかな?」
ロスタムのその一言は、シエルの歴史が、新たな局面へと動いた瞬間だった。
◇
その日から、シエルの街は、巨大な一つの「工房」と化した。
かつては、互いにいがみ合い、利権を争っていた者たちが、「シエルを救う」という、ただ一つの目的のために、手を取り合ったのだ。
俺たち「交易商会ミライ」は、計画の司令塔となり、ハーモナイザーの心臓部となる、特殊な「共振器」の製造を担当。ギド率いる忘れられた民の職人たちが、寝る間も惜しんで、その驚異的な技術力を発揮した。
錬金術ギルドは、ザルムの指揮の下、共振器に必要な特殊合金の精錬を一手に引き受けた。職人ギルドは、ドルガン自らが槌を振り、街中に張り巡らせるための、膨大な数の伝導ケーブルを鍛え上げた。
そして、商業ギルド。ロスタムの号令の下、彼らはその巨大な流通網を駆使し、大陸中から必要な資材をかき集め、計画全体のロジスティクスを支えた。ベオルたち三大商会の長も、不満を押し殺し、この共同事業に参加せざるを得なかった。
傭兵ギルドと鉄血傭兵団は、街の警備を強化し、作業員たちを、邪神教の妨害から守る。
そして、孤児たちと盗賊ギルドは、縦横無尽に街を駆け回り、各ギルド間の連絡役として、この巨大なプロジェクトの、神経網の役割を果たしていた。
「東地区、第三セクターのケーブル敷設、完了!」
「西の職人街、共振器の設置、終わったよ!」
彼らの元気な声が、沈みかけていた街に、再び、活気という名の光を灯していく。
俺は、セツナと共に、設置された街灯を改造した制御タワーの屋上から、その光景を見下ろしていた。
眼下には、無数の職人たちが、それぞれの持ち場で、汗を流している。かつての敵も、味方もない。そこにあるのは、ただ、自分たちの街を、自分たちの手で守ろうとする、人々の、ひたむきな姿だけだった。
「……壮観、ですね」
セツナが、隣で、ぽつりと呟いた。
「ああ。本当に、な」
俺は、彼女の肩を、そっと抱いた。
この光景が見たかった。科学の力は、人を傷つけるためだけにあるんじゃない。こうして、人々を繋ぎ、絶望を希望へと変えるためにこそ、あるべきなのだ。
シエルの街は、今、巨大な一つの生命体のように、脈動を始めていた。邪神教が奏でる、不協和音を打ち消すための、壮大なシンフォニー。その、指揮棒を振るうのは、俺たちミライだ。
「……最終調整、急ぐぞ。セツナ」
「はい、カガヤ様」
俺たちは、最後の戦いに備え、再び、制御盤へと向き直った。シエルの運命を賭けた、協奏曲の、第一楽章が、今、終わろうとしていた。
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