第143話:沈黙の疫病(後編)
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「交易商会ミライ」の執務室は、野戦病院のような、重苦しい空気に満ちていた。窓の外では、シエルの街が、まるで重い病に伏せる巨人のように、不気味なほどの静寂に包まれている。人々の活気は消え、経済は停滞し、生命力そのものが、ゆっくりと、しかし確実に、この都市から奪われつつあった。
「リコの容態は?」
俺の問いに、セツナが静かに首を横に振った。
「変わりありません。高熱と倦怠感……そして、衰弱が続いています。工房の仲間たちも、皆、同じです」
原因不明の「沈黙の疫病」。それは、俺たちが築き上げたささやかな平穏を、内側から蝕む、見えざる毒だった。ナノマシンによる対症療法も、その進行をわずかに遅らせるだけで、根本的な解決には至らない。
打つ手がない。その事実が、俺たちの心を、鉛のように重く締め付けていた。
「カガヤ様」
セツナが、一枚の羊皮紙をテーブルの上に広げた。それは、リコの情報網と、セツナ自身の調査能力を駆使して作成された、シエル地下の、詳細な地図だった。
「レオからの報告です。例の『黒いローブの連中』……おそらく邪神教の者たちが、この疫病が蔓延する直前、スラム街の、特定の古い井戸の周辺で、何らかの活動を行っていた、と」
彼女が指し示したのは、シエルの地下水脈が、複雑に交差する一点。
「彼らの目的は、やはり、この疫病の拡散でしょうか。ですが、これでは、彼ら自身にも被害が及ぶはず。あまりにも、非合理的な……」
「いや、違う」
俺は、彼女の言葉を遮った。
「奴らの目的は、疫病そのものじゃない。この混乱に紛れて、何かを成し遂げようとしている。」
〈……アイ、この座標周辺の、過去のエーテロン・スウォームの変動データを、ガーディアンの観測データと照合。何か、特異なパターンはなかったか?〉
《了解しました、マスター。……照合を開始します》
アイと、地下聖域に眠る古代AIガーディアンとの、超高速データリンクが形成される。アイが収集した、この数週間のシエルの微細なエネルギー変動データ。ガーディアンが持つ、数十万年分の、この惑星の膨大な環境データ。二つの異なる時代の、二つの超知性が、一つの謎を解き明かすために、今、融合した。
数刹の沈黙。それは、永遠にも感じられる時間だった。
《……マスター。特定しました》
アイの声が、俺の意識を引き戻す。
《セツナが示した座標の、さらに地下深く……。そこに、極めて人工的な、巨大なエネルギー構造体の存在を確認。ガーディアンは、これを『中継塔』と呼称しています》
「中継塔……?」
『そうだ、来訪者よ』
俺の疑問に、ガーディアンの、古く、そして威厳に満ちた声が、直接、脳内に響いた。アイとの常時接続回線を通じて、彼もまた、この事態を、リアルタイムで観測していたのだ。
『その『中継塔』は、かつて、我が父が、この大陸全土に張り巡らせた、エーテロン・ネットワークの、最重要拠点の一つだ』
ガーディアンは、淡々と語り始めた。
『この惑星に存在する、我ら星の民の遺跡は、それぞれが独立して機能しているわけではない。それら全ては、目に見えぬエーテロン網によって、一つの巨大なシステムとして、相互にリンクしている。そして、その全ての情報を統括し、制御するマスターユニットが、聖地ソラリスに眠る、私の同胞……『マザー』だ』
「なんだって……?」
「カガヤ様?」
俺が、思わず声を上げたことに、セツナが訝しげな顔でこちらを見る。俺は、彼女に「少し、待ってくれ」と手で合図し、ガーディアンとの対話に、意識を集中させた。
〈じゃあ、このシエルの『中継塔』は、そのネットワークの、ハブのようなものか?〉
『その通りだ。この中継塔を介せば、大陸全土のエーテロンの流れに干渉することが可能になる。……邪神教の狙いは、この中継塔の掌握、あるいはその機能の一部を利用することにあると見て、間違いないだろう』
その、あまりにも壮大で、恐るべき計画に、俺は戦慄した。奴らは、ただの狂信者集団ではない。明確な目的と、そして、古代の超技術に関する、恐るべき知識を持っている。
『来訪者よ。これは、前回のような制御の失敗ではない。奴らは、意図して、この呪詛を発動させたのだ。不完全な知識で神々の領域に触れ、中継塔の力を限定的に解き放った。その目的は不明だが、限定的な出力で古代のプロトコルを起動させている。これは、システムの挙動を探るための、極めて危険な実験行為と推測される』
〈実験行為……だと?古代兵器の、性能試験……。この街全体を、実験場にしているというのか……?〉
背筋を、氷のような悪寒が走り抜ける。街で気力を失っていく人々、ベッドで苦しむリコや工房の仲間たちの顔が、脳裏をよぎった。俺たちが築き上げた、あの温かい日常が、奴らにとっては、ただのデータ収集のための、消耗品に過ぎないというのか。
『彼らが起動しようとしている古代のプロトコル、その正式名称は、『広域エーテロン・フィールド再構成シーケンス』だ。私の権限は『恒星炉』の安定維持に限定されているため、その全容を把握することはできない。だが、断片的なデータとシミュレーションによれば、このシーケンスが完全に実行された場合、惑星全土のエーテロンの波長が、生命活動に適さない状態へと、強制的に書き換えられる。物理的な破壊ではない。だが、それは、この星の生態系そのものの、緩やかな『死』を意味するだろう』
「生態系の……死……だと?」
俺は、その言葉の持つ、あまりにも冷たく、無機質な響きに、息を呑んだ。それは、爆弾やレーザーによる破壊よりも、ずっと恐ろしく、そして根源的な冒涜だった。
〈冗談じゃない……。それは、ただの、静かなる大虐殺だ。この星に生きる、全てを、根絶やしにするというのか……!〉
『是か非かは、私には判断できん。だが、その結果は、汝の言う『虐殺』と、同義であろうな』
ガーディアンの言葉は、淡々としていながら、その内容は俺を戦慄させるのに十分だった。
『そして、それを止める方法は、二つ』
『一つは、中継塔の制御を、完全に奪い返すこと。だが、それは、星の民の精神構造を持つ者でなければ不可能だ。今の汝では、アクセス権限がない』
『そして、もう一つは、中継塔から放出される、汚染されたエーテロンの波長そのものを、外部から『調律』し、無害化することだ』
「調律……?」
《マスター。ガーディアンの理論を、我々の科学で翻訳します》
アイが、ガーディアンの言葉を、俺に理解できる形へと変換していく。
《この『精神汚染』は、特定の『不協和音』を持つエーテロンの波が、生命体の脳波に干渉し、その思考活動を強制的に抑制する現象です。ならば、その『不協和音』を打ち消す、正確な『逆位相』の波をぶつけることで、その効果を中和させることが、理論上は可能です》
「なるほどな。ノイズキャンセリングの原理と同じか」
『そうだ、来訪者よ』ガーディアンが、肯定する。だが、問題は、どうやって、その『調律の波』を、この都市全体に、くまなく、そして同時に、届けるかだ。それには、都市規模の、巨大な増幅装置が必要となる』
都市規模の、増幅装置。そんなもの、どこにある。
俺が、思考を巡らせた、その時だった。執務室の窓から、夕陽に照らされた、シエルの街並みが、目に飛び込んできた。無数の建物、入り組んだ路地、そして、その闇を照らすために、等間隔で設置された、魔道具の「街灯」。
その、何気ない光景が、俺の脳内で、一つの、とんでもない「解」へと繋がった。
「……セツナ。新しい事業計画を、思いついた」
俺は、呆然とする彼女に向き直り、商人としての、最高の笑みを浮かべて見せた。
「街中の、あの魔道具を、全て、俺たちのネットワークで繋ぎ、巨大な『調律装置』へと、作り変える。……邪神教が奏でる、不快なノイズを、俺たちの手で、美しい協奏曲へと、変えてやろうじゃないか」
それは、あまりにも無謀で、あまりにも壮大な、反撃の狼煙だった。
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