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第141話:翳りゆく旧き権威

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「交易商会ミライ」が仕掛けた逆襲は、商業ギルドの重鎮たちに、痛烈な一撃を浴びせた。俺たちが、彼らが価値なしと断じた素材から、より優れた新商品を創り出したこと。そして何より、その「物語」が民衆の心を掴み、ギルドの重鎮たちによる買い占め戦略が、ただの「民衆を虐げる横暴な金持ちの悪あがき」として、シエルの市場に認識されてしまったこと。


この二つの事実は、彼らのプライドを、そして商売の根幹である「信用」を、深く傷つけた。


だが、数百年もの間、この混沌の都市の市場を支配してきた旧き権力者たちは、このまま黙って引き下がるほど、潔くはなかった。彼らは、次の、より悪質で、そして商人らしい報復へと打って出た。



「見たか、最近出回り始めた『ガルガン印のソープ』を」

「ああ、ミライの石鹸の、半値で売ってるっていう、あれだろ?」


シエルの市場の片隅で、主婦たちが井戸端会議に興じている。その話題の中心は、ここ数日で、急速に市場に出回り始めた、謎の新商品だった。


「安いのはいいけどよ、泡立ちは悪いし、なんだか妙な匂いがするし……。あれで洗ったら、うちの亭主の肌、逆に荒れちまったよ」

「うちもだよ!やっぱり、安物買いの銭失い、ってやつかねぇ。高くても、カガヤさんのところの石鹸が、一番安心だわ」


商業ギルドの重鎮、ベオルが率いる『ガルガン商会』が市場に投入したのは、カガヤ印の石鹸の、粗悪な「模倣品」だった。彼らは、その強大な資本力を使い、見た目だけを似せた石鹸を大量生産し、ミライの半値以下という破格の値段で、市場にばら撒いたのだ。


調味料も、同様だった。『アラクネ商会』は、発酵の過程を無視し、ただ黒豆の煮汁に香草を混ぜただけの、ショーユとは似ても似つかぬ液体を、「アラクネ印の万能ソース」と銘打って売り出した。当然、味は最悪で、一度買った者は、二度と手を出すことはなかった。


彼らの狙いは、明確だった。品質の悪い模倣品を安価で大量に流通させることで、「石鹸」や「発酵調味料」という、俺たちが創り出した新しいカテゴリーの商品そのものの価値を、市場全体で下落させる。そして、「ミライの商品は、実はあの程度のものだった」という印象操作を行い、俺たちのブランドイメージを毀損させる。実に、陰湿で、そして大企業らしい、物量に任せた攻撃だった。


「――面白い。そこまで、やるか」


「交易商会ミライ」の執務室。リコたちが集めてきた市場の情報を聞きながら、俺は、感心したように呟いた。


「どうするんだい、カガヤ!このままじゃ、あたしたちの『本物』まで、インチキだと思われちまうよ!」


リコが、悔しそうにテーブルを叩く。彼女にとって、自分たちが誇りを持って売っている商品が、偽物と混同されることは、我慢ならない屈辱なのだろう。


「カガヤ様」


セツナが、厳しい表情で一歩前に出た。


「すでに初期分析は完了しています。敵の狙いは、短期的な利益ではなく、我々が築き上げた『ブランド価値』そのものの破壊です。このままでは、品質の差を理解しない層から、徐々に顧客が離れていく危険性があります。」


セツナが俺を視る。


「いい。続けてみろ。」


「はい。そこで、対策として三つの案を提案します。第一に、我々の製品の優位性を訴える大規模な宣伝活動。第二に、価格を一時的に引き下げ、模倣品との価格差をなくす対抗策。第三に、ギルドの流通網に頼らない、新たな販路の開拓です」


最高執行責任者としての、的確で迅速な状況分析と対策案。だが、俺は静かに首を横に振った。


「どれも正攻法だが、それでは奴らの土俵に乗るだけだ。資本力で劣る俺たちが同じ戦い方をすれば、いずれ消耗戦で負ける」


俺は、静かに頷くと、一枚の羊皮紙の上に、ペンを走らせた。そこには、一つの、見慣れない意匠が描かれていく。――中央に、未来を示す日の出。それを、仲間との絆を象徴する、固く握り合った二つの手が支え、全体を、無限の可能性を示す円が囲んでいる。


「これは……?」


セツナが、不思議そうにそれを覗き込む。


「商会の、『紋章』だ。いわば、俺たちの顔だな」


俺は、不敵に笑った。


「奴らが、土俵そのものを泥で汚すなら、俺たちは、その土俵の上で、誰にも真似できない、美しい舞を舞ってやればいい。……セツナ、ギドを呼んでくれ。職人としての、腕の見せ所だ」



数日後。シエルの市場は、再び、新たな驚きに包まれた。


「交易商会ミライ」が売り出した、新しい石鹸と調味料。その全てに、二つの、これまでにない「魔法」がかけられていたのだ。


一つは、「パッケージデザイン」。


これまで、剥き出しのまま売られていた石鹸は、撥水加工を施した、美しい絵柄の紙で、一つ一つ丁寧に包装されていた。その紙には、例の「ミライの紋章」が、鮮やかに印刷されている。調味料の壺にも、同じ紋章が描かれた、美しいラベルが貼られ、紐で固く封がされていた。


それは、ただの商品を、「贈り物」にさえしたくなるような、付加価値を生み出していた。


そして、もう一つが、決定的な違いだった。


石鹸の一つ一つに、そして、調味料の壺の蓋の蝋封に、熱した鉄ごてで、あの「ミライの紋章」が、くっきりと刻印されていたのだ。


「――品質保証の、刻印だ」


リコは、市場の中央で、声を張り上げた。


「この紋章こそが、俺たちの誇り!カガヤと、あたしたちが、本気で創り出した『本物』の証だ!ギルドの売る、安物の偽物には、この輝きは真似できねえよ!」


民衆は、その違いに、熱狂した。


美しい包装、そして、揺ぎない品質の証である刻印。それは、ギルドの模倣品との差を、誰の目にも明らかにした。人々は、ミライの商品を手に取り、その紋章を、まるで宝物のように眺めた。商品を買うという行為が、ギルドの横暴に立ち向かうミライを「応援する」という、一つの意思表示へと変わっていった。


「ミライのマークが、入ってるやつをくれ!」

「偽物なんざ、もうごめんだ!」


市場の流れは、完全に、変わった。ギルドの模倣品は、山のように売れ残り、彼らの戦略は、自らの首を絞めるだけの、莫大な負債を生み出す結果となった。



「……まだ、だ。まだ、手はある」


商業ギルド本部の一室。ギムレットは、苦虫を噛み潰したような顔で、低く唸った。模倣品作戦の失敗は、彼らのプライドをズタズタにした。だが、老獪な彼は、まだ諦めてはいなかった。


「奴の技術の根幹は、あの工房にある。そして、それを支えているのは、ギドとかいう、あの獣人の職人どもだ。……奴らを引き抜け。金でも、地位でも、何でもいい。ありったけの札束で、奴らの横っ面を張ってやれ。職人など、所詮は金で動く、卑しい生き物よ」


彼の最後の切り札。それは、技術者の引き抜きという、最も直接的で、そして古典的な策略だった。


その夜。ギムレットの密使が、工房にいるギドの元を、密かに訪れた。密使が提示したのは、ギドが、そして彼の一族が、一生遊んで暮らせるほどの、莫大な金貨が詰まった革袋。そして、商業ギルドの、名誉ある「筆頭職人」の地位だった。


「……お前たちの腕は、素晴らしい。だが、あんな異邦人の下で、いつまでもドブさらいのような仕事をしていて、満足か?我らに付けば、お前たちを、このシエルの、光の当たる場所へと導いてやろう」


密使の言葉は、甘く、そして魅力的だった。ギドは、しばらく、その金貨の輝きを、無言で見つめていた。彼の周りでは、他の忘れられた民たちも、固唾を飲んで、そのやり取りを見守っている。


やがて、ギドは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、山の岩肌のように、静かで、そして、一切の揺らぎもなかった。


「……お断りする」


彼の、低く、しかし、はっきりとした声が、夜の工房に響いた。


「我らは、確かに、忘れられた民。だが、誇りまで忘れたわけではない。カガヤ様は、我らに、金では買えぬものを与えてくださった。それは、『仕事』であり、『誇り』であり、そして、何よりも、共に未来を目指す『仲間』だ。……我らの魂は、金貨数枚で、売り渡せるほど、安くはない」


ギドは、金貨の袋を密使の足元に投げ返すと、静かに、しかし有無を言わせぬ迫力で、続けた。


「それに……。お前たちのやり方は、美しくない。我らの仕事は、人を幸せにするためのものだ。誰かを貶めるためのものではない。……二度と、我らの前に、その汚れた顔を見せるな」


密使は、顔を真っ青にして、逃げるように工房を去っていった。



「……だから、言ったのだ。あの男は、化け物だと」


商業ギルド長ロスタムの執務室。ギムレットたち三人の、惨めな敗北の報告を聞きながら、ロスタムは、心底うんざりしたように、かぶりを振った。


「お前たちは、何も分かっていない。あの男の本当の恐ろしさは、その『理術』ではない。人の心を掴み、動かし、そして、金では買えぬ『忠誠』を、いとも容易く手に入れてしまう、その『器』の大きさなのだ。……もはや、我らに、勝ち目はない」


彼の言葉に、三人の重鎮たちは、言葉もなく、項垂れるしかなかった。彼らの権威は、信用と共に、完全に失墜した。その噂は瞬く間にシエル中に広がり、彼らの商会からは、客だけでなく、長年仕えてきた従業員たちまでもが、次々と離れていった。旧き権力は、新しい時代の波の前に、音を立てて崩れ去ったのだ。


その日も、「交易商会ミライ」の工房には、仲間たちの、明るい笑い声が響き渡っていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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