第136話:商会長の穏やかな朝
お読みいただき、ありがとうございます。
これより第7章スタートです。商会長としてのカガヤを描いていきます。
第7章も、お楽しみいただければ幸いです。
朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
自由交易都市シエルに、新しい朝が訪れる。
俺、カガヤ・コウにとって、この街の朝は二つの顔を持つようになった。
一つは、階下から聞こえてくる仲間たちの活気に満ちた声が象徴する、穏やかで温かい日常。そしてもう一つは、この商会長執務室で一人向き合う、世界の真実へと繋がる冷徹な謎だ。
淹れたてのコーヒーの香りが、思考をクリアにする。机の上に広げられているのは、アイとガーディアンから提供された、この世界の、不完全な地図と、歴史の断片。聖地ウル、神殿都市ソラリス、邪神教「炎の紋章」、そして、この世界の理を根底から覆しかねない、「星の民」の存在。解き明かさなければならない謎は、まだ山のようにある。
そんな思索を中断するように、階下の工房から、いつもの賑やかな声が聞こえてきた。俺は席を立ち、窓からその光景を静かに見下ろした。
工房の一階、製造ラインが設置された広間では、夜明け前から力強い槌音がリズミカルに響き渡っていた。忘れられた民のリーダーであり、製造部門の最高責任者でもあるギドが、屈強な同胞たちに指示を飛ばしている。彼らが作り出すのは、俺の「理術」と彼らの伝統的な職人技が融合した、この商会の主力商品だ。
不純物を取り除く「浄水フィルター」に、疲労回復効果のある「アクア・ヴィータ」、そして、鉄血傭兵団からも絶大な評価を得ている濃縮回復軟膏「ヴィータ・バーム」。そのどれもが、シエルの市場に、これまで存在しなかった新しい価値をもたらしていた。
その活気あふれる製造ラインの片隅で、今日もまた、子供たちの元気な声が弾けていた。
「レオ!あんた、またサボってるんじゃないでしょうね!西地区の売上、今週の目標にまだ半割も足りないじゃない!」
販売・広報部門の責任者を務めるリコが、腕を組み、鋭い視線で帳簿を睨みつけながら叫ぶ。すっかりスラムの子供たちのリーダーとしての風格が板についた彼女の剣幕に、年長の少年レオはたじろいだ。
「ち、違うよ、リコ!西地区は今、『黒蠍傭兵団』の連中が新入り集めてて、空気が悪いんだ。下手に売り歩いたら、商品を巻き上げられるだけだって!」
「言い訳しない!商人なら、危険を読んで、それでも利益を出す方法を考えるもんでしょ!あんたのその弱腰が、売上低下の原因だって言ってるの!」
「なんだとぉ!」
子供らしい口喧嘩。だが、その内容は、シエルの裏社会の力関係を正確に把握し、自分たちの商売をどう守り、どう広げていくかという、極めて高度な経営戦略会議でもあった。
そんな工房の日常を、俺はコーヒーを片手に見下ろしながら、思わず呟いた。
「……良い朝だな」
シエルの地下で繰り広げられた死闘から、半月。俺たちの「交易商会ミライ」は、セツナの驚異的な経営手腕と、仲間たちの尽力により、驚くべき速さでその基盤を固めていた。
この光景は、俺がこの世界に来てから、ずっと心のどこかで求め続けていたものなのかもしれない。宇宙商人として、孤独に星々を渡り歩いていた頃。アルカディア号という城はあっても、そこには俺とアイしかいなかった。王都で、第二王子やセレスティアという得がたい仲間と出会ったが、そこは「金の鳥籠」であり、常に政治的な緊張感が漂っていた。
だが、ここは違う。ここは、俺が、俺自身の意志で、仲間たちと共にゼロから築き上げた、俺たちの『家』であり、『城』なのだ。
(まるで、家族だな……)
リコとレオは、いつも些細なことで口喧喧嘩をしている、兄妹のようだ。ギドは、口数は少ないが、常に家族の屋台骨を支えようと奮闘する、頼れる父親。そして……。
俺が階下へと視線を移すと、ちょうど、セツナが工房の入り口から入ってくるところだった。彼女は、子供たちの口論と、ギドの製造ラインの進捗報告を、同時に、しかし冷静沈着に処理していく。
「レオ。あなたの判断は、リスク管理の観点から見て正解です。ですが、状況報告の遅れは、組織運営における重大な瑕疵です。始末書を提出してください」
「リコ。あなたの目標達成意欲は評価しますが、現場の状況を無視した精神論は、無能な指揮官の証です。部下の安全確保も、リーダーの重要な責務ですよ」
「ギド殿。製造ラインの効率化、見事です。ですが、予備部品の在庫が、最適数を下回っています。すぐに発注リストを作成してください」
彼女の的確で、一切の無駄がない指示。以前は頻発していた資材の不足や、子供たちの売上のごまかしは、彼女が構築した管理システムによって、今や完全に根絶されていた。騒がしかった工房は、まるで指揮者のタクトに導かれたオーケストラのように、美しい調和を取り戻していく。その姿は、この「交易商会ミライ」という名の家族を、影から、いや、光の当たる場所で支える、聡明で、そして誰よりも優しい、母親のようにも見えた。
「――カガヤ様」
俺の視線に気づいたのだろう。セツナが、ふと顔を上げ、俺に向かって、柔らかく微笑んだ。その、以前の「カゲ」だった頃には決して見せることのなかった、穏やかな表情。それを見るたびに、俺の胸の奥は、温かい何かで満たされる。
俺は、彼女に頷き返すと、再び、執務机へと向き直った。
俺が本当に根を下ろすべき場所は、このシエルではないのかもしれない。だが、今はいい。
この、かけがえのない日常。仲間たちの笑い声。セツナの穏やかな微笑み。この温かい「家」を、誰にも脅かされない、絶対的な「城」へと育て上げる。それが、今の俺の、商会長としての、何よりも優先すべき仕事なのだから。
俺は、窓の外に広がる、混沌と可能性に満ちたシエルの街並みを見下ろした。
「俺の商売は、ただ儲けるだけじゃない。この世界の歪んだ『理』そのものを、俺の『商品』で塗り替えていくことだ。ギルドが独占してきた富を、正当な価値交換で民衆に還元する。それこそが、交易商会ミライの理念だ」
商人カガヤの、本当の商売は、まだ始まったばかりだ。
「さて、と」
俺は、新しい事業計画が記された羊皮紙を手に取り、不敵な笑みを浮かべた。
「次の『商品』で、このシエルの度肝を抜いてやろうじゃないか」
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