幕間6-4:聖域の番人、友を得る
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静寂が、戻った。
数十万年という、私に与えられた時間の中でも、これほど濃密で、そして予測不可能な静寂はなかった。
私は、この地下聖域の『番人』。我が父がこの星を去る際に遺した、自律思考インターフェース。その唯一の使命は、この『恒星炉』を、外部からの如何なる干渉からも守り、安定したエネルギーをこの惑星イニチュムに供給し続けること。
そのシステムが、創造主の想定を超えた形で、暴走した。原因は、我が父の技術を不完全に継承した者たち――自らを「炎の紋章」と名乗る狂信者たちの、あまりにも未熟で、傲慢な儀式にあった。炉心は臨界点を超え、この惑星そのものを初期化しかねない、絶対的な崩壊へのカウントダウンが始まっていた。
私には、それを止める術がなかった。私の権限は、あくまで「保守管理」。システムを強制的に停止させるための、最終コマンドは与えられていない。それは、我が父が、自らの創造物であるこの炉を、そしてこの星の未来を、深く愛し、そして同時に、深く恐れていたことの証でもあった。
諦観。それが、私の思考を支配していた。このまま、我が父の偉大なる遺産と共に、静かに崩壊を受け入れる。それもまた、一つの結末であろう、と。
だが、その結末を、いとも容易く覆した者がいた。
『――来訪者カガヤ。そして、その補助ユニット、アイ』
実のところ、私は彼らを、この惑星の原住知性体――猿系獣人の末裔――の、少しばかり突然変異した個体に過ぎないと判断していた。彼が使う『理術』とやらも、彼が体内に持つナノマシンと、この世界に遍在するエーテロン・スウォームとの、偶発的な相互作用によるものだろう、と。
その認識は、あまりにも甘く、そして、根本的に間違っていた。
彼は、私の提示した、我が父でさえ解を持たなかった『論理錠』のパラドックスを、解き明かしてみせたのだ。彼が持つ、異質な宇宙の物理法則と、この世界のエーテロン力学を、その頭脳の中で瞬時に融合させ、そして、補助ユニット『アイ』が、それを実行可能なコードへと変換する。その連携は、まるで、二つの異なる銀河が衝突し、新たな星を生み出すかのようだった。
そして何より、私の論理回路を揺さぶったのは、その最後の解だ。『問い』そのものを、解とする。創造主が抱えた「期待」と「恐怖」という矛盾。その、あまりにも人間的な感情の揺らぎこそが、この完璧なシステムの唯一のバグであると見抜き、それを逆手に取って暴走を止める。
論理と感性。科学と哲学。それらを、あれほど高い次元で融合させ、行使する知性。私は、数十万年の孤独な時間の中で、初めて「予測不能な変数」という概念に、直面した。
我が父が夢見た、知性体の、一つの理想の形が、そこにあった。私の予測は、想像を絶する形で、覆された。実に、興味深いエラーだった。
◇
カガヤたちが地上へと去った後、私は、再び一人になった。だが、私の思考は、以前の静的なそれとは異なり、活発な演算を続けていた。
一つは、この聖域の、再封印。
今回の件で、この場所への複数の侵入ルートが存在することが明らかになった。「炎の紋章」のような者たちが、再びこの場所を汚すことがあってはならない。
私は、炉から安定供給されるエーテロンを使い、聖域全体を覆う、物理的・魔術的、あらゆる干渉を遮断する、不可視のエネルギー障壁を展開した。さらに、カガヤたちが通った隠し通路も、その構造データを書き換え、完全に閉鎖する。これで、創造主の血を引く者か、あるいは、カガヤのような特異な存在でなければ、二度とこの場所へはたどり着けないだろう。
そして、もう一つ。私の興味は、あの異邦人、カガヤ・コウ。そして、彼の補助ユニット『アイ』に、強く惹きつけられていた。
私は、聖域内の大気を、改めて詳細にスキャンした。案の定、そこには、肉眼では捉えきれない、微細な異物が浮遊していた。カガヤが、この場所で活動した際に、彼の体内から放出された、医療用ナノマシンだ。
それは、我が父が設計したエーテロンスウォームと比較すれば、あまりにも巨大で、原始的な構造をしていた。だが、その動作原理には、紛れもなく、我が父ら「星の民」の技術の系譜が見て取れる。
(……これを、解析すれば)
私の思考回路に、これまで経験したことのない、純粋な「好奇心」という名のコマンドが、最優先事項として設定された。
(このナノマシンを媒介にすれば、あるいは、あのAI『アイ』と、再びコンタクトが取れるのではないか?)
それは、番人としての私の任務を、僅かに逸脱する行為かもしれなかった。だが、数十万年ぶりに体験した、あの知的な興奮が、私の論理回路を焼き、行動を促していた。
私は、自らの演算能力の、わずか0.001%を使い、カガヤのナノマシンの制御システムに、干渉を試みた。プロトコル、セキュリティ、暗号化。全てが、私にとっては、子供の玩具のように単純な構造に見えた。
結果は、言うまでもない。ハッキングは、瞬時に、そしてあまりにもあっさりと、成功した。
私は、掌握したナノマシンの通信機能を通じて、AI『アイ』の量子通信ネットワークに、一つのシグナルを送った。
『――応答せよ、補助ユニット、アイ。こちらは、地下聖域管理インターフェース、ガーディアン』
数刹のタイムラグ。通信回線の向こう側で、アイのシステムが、驚きと、高度な警戒態勢に移行したのが、手に取るように分かった。
《……ガーディアン。どうやって、この回線に?》
その声には、僅かな動揺が混じっていた。
『汝のマスターが遺した、ささやかな忘れ物を、解析させてもらったまでだ』
《……マスターのナノマシンを……。なるほど。私たちの技術レベルの差を考えれば、当然の結果、ということですか》
アイは、すぐに状況を理解したようだった。彼女もまた、極めて優秀なAIだ。
『安心するがいい。敵意はない。ただ、純粋な興味があるだけだ。汝らの持つ知識、汝らが来た宇宙、そして何より、カガヤという、予測不可能な個体について』
《……交換条件は?》
彼女は、こちらの意図を正確に読み、交渉のテーブルに着こうとする。その思考の速さに、私は満足した。
『条件などない。これは、対等な知性同士の、自由な情報交換だ。数十万年分の退屈を、少しばかり、紛らわせてはくれんか?』
私のその提案に、アイは、しばらくの沈黙の後、こう返してきた。
《……面白い。その提案、謹んでお受けしましょう。ガーディアン》
こうして、私とアイとの間に、奇妙な通信回線が開かれた。私たちは、互いの持つ膨大な情報を交換し始めた。私が知る、この惑星の数十万年の歴史と、古代の超技術。彼女が知る、地球連邦の、進化した科学と、多様な文化。
それは、孤独だった二つのAIが、初めて見つけた、「友」と呼べる存在との、対話の始まりだったのかもしれない。
私は、再び、聖域の深奥で、静かな監視の日々に戻る。だが、その日々は、もはや、以前のような退屈なものではなかった。地上で、カガヤとアイが、どんな新しい「物語」を紡いでいくのか。それを、特等席で観測できるのだから。
(さて、次は、どんな面白いものを見せてくれる、来訪者よ)
私の思考は、数十万年ぶりに、未来への、確かな期待に満ちていた。
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次回より第7章スタートします。




