幕間6-3:辺境の剣、王都への道
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カガヤが王都アウレリアへと旅立ってから、二つの月が満ち欠けを繰り返した。
辺境の街ヴェリディアには、穏やかな、しかしどこか物足りない時間が流れていた。
冒険者クゼルファ・ンゾ・ゼラフィムは、あの日以来、自らを鍛え直すかのように、以前にも増してギルドの依頼に明け暮れていた。魔獣討伐、薬草採取、隊商の護衛。かつての仲間であるゼノン、グスタフ、シファたちと再びパーティーを組み、危険な任務も次々とこなしていく。
「それにしても、クゼルファ。最近、ますます腕を上げたな。まるで鬼神のようだぜ」
戦闘後、豪快に笑うグスタフの言葉に、仲間たちも頷く。彼女の振るう大剣は、以前よりもずっと鋭く、重く、そして迷いがなかった。まるで、守るべき何かを見つけた獣のように、その剣筋は洗練されていった。
「そうよ!この間なんて、砕巌獣のあの岩みたいな拳を、大剣で真っ向から受け止めてさ、逆に腕ごと砕いたんだから!信じられる!?」
シファが興奮気味に身振り手振りを交えて語る。その言葉に、パーティーの頭脳であるゼノンが、やれやれと肩をすくめた。
「まあ、確かに最近のクゼルファは、少し人間離れしているな。何か、憑き物が落ちたというか、寧ろ逆に取り憑かれたというか……。まるで、お前の体がお前自身を勝手に鍛え上げているみたいだ」
仲間たちの言葉に、クゼルファはただ、静かに微笑むだけだった。彼らの言う通り、彼女自身の身体能力が、この二ヶ月で飛躍的に向上していることは、本人が一番感じていた。以前は膂力の限りを尽くしてようやく受け止めるのが精一杯だった砕巌獣の一撃を、今では技で受け流し、逆にその剛腕を砕くことさえできる。それは血の滲むような鍛錬の成果だと、彼女は固く信じていた。だが、その飛躍の真実が、かつて魔の森でカガヤに与えられた見えざる超科学の恩恵――彼女の体内で活動を続ける医療用ナノマシンによるものだとは、クゼルファ自身も気づいていなかった。
彼らとの冒険は、確かに充実していた。気の置けない仲間たちと背中を預け合い、困難な任務を達成する。その達成感は、冒険者としての彼女を満たしてくれた。
そして、ギルドでの務めを終えた後の、エラルと過ごす時間。
「クゼルファ!見て見て!このお菓子、王都で今、一番流行っているんですって!」
辺境伯邸の中庭で、完全に健康を取り戻したエラルは、以前の儚さが嘘のように、太陽のような笑顔でクゼルファを迎える。二人は、他愛もない話に花を咲かせ、街で買った焼き菓子に舌鼓を打つ。その穏やかな時間は、クゼルファにとって、何物にも代えがたい、温かいものだった。
仲間がいる。親友がいる。冒険者としての居場所もある。これ以上、何を望むというのか。
だが、クゼルファの心の片隅には、常に、埋めようのない隙間があった。
夜、一人で宿屋のベッドに横たわる時。ふと、夜空に浮かぶ二つの月を見上げる時。彼女の脳裏に浮かぶのは、あの異邦人の、少しぶっきらぼうで、それでいて誰よりも優しい横顔だった。
(カガヤ様……。今頃、王都で、どうなさっているのかしら)
彼と共にいた、あの魔の森での数日間。それは、危険と隣り合わせの、過酷な日々だったはずだ。それなのに、今思い返すと、不思議と、きらきらとした輝きに満ちている。彼の隣にいるだけで、世界の全てが新鮮で、驚きに満ちて見えた。自分の知らない理で、次々と奇跡を起こしていく彼の背中を、ただ追いかけているだけで、心が満たされた。
(私は、ただ、守られていただけ……?それでも……)
物足りない。今のこの平穏な日々に、彼の存在という、決定的なピースが欠けている。その事実が、彼女の心を、じわじわと締め付けていた。
そんなある日のことだった。
ギルドでの依頼を終え、宿屋に戻ったクゼルファの元に、一通の手紙が届けられた。そこに押されていたのは、彼女が捨てたはずの過去の象徴――南の公爵家、ゼラフィム家の紋章だった。
彼女の心臓が、とくん、と嫌な音を立てて跳ねた。震える手で封を切ると、中には、父であるアディル・アディ・ゼラフィム公爵からの、簡潔で、しかし有無を言わせぬ命令が記されていた。
『――クゼルファへ。長らく好きにさせてきたが、昨今の王都の情勢を見るに、もはや、お前を辺境の地に遊ばせておくわけにはいかぬ。ゼラフィム家の者として、果たすべき責務がある。直ちに、領都ラフィムへ帰還せよ。詳細は、戻り次第、直接話す』
「……今さら、何を」
クゼルファは、羊皮紙を握りしめた。貴族社会の虚飾と欺瞞、そして、家の利益のためだけに娘を政略の道具としか見なさない父の冷たい瞳。その全てが嫌で、自らの意志で飛び出した家だ。今さら、公爵家の娘としての役割を押し付けられるなど、冗談ではない。一瞬、強い拒絶感が、彼女の全身を駆け巡った。
(お断りします、と。そう、返事を書こう)
だが、彼女がペンを取ろうと机に向かい、壁に貼られたフォルトゥナ王国の地図に目をやった、まさにその時だった。
彼女の視線が、一点に、釘付けになった。
ヴェリディアから、南の領都ラフィムへ。その街道は、大きく南下する前に、必ず、一つの巨大な都市を経由する。
――王都、アウレリア。
カガヤ様がいる、場所。
その事実に気づいた瞬間、クゼルファの中で、拒絶の感情が、全く別の、熱い何かに変わっていくのを、彼女自身、感じていた。
(……これは、義務ではない。好機だ)
父の命令で、仕方なく帰るのではない。自らの意志で、あの人のいる場所へと向かうのだ。彼が王都で何をしているのか、どんな困難に直面しているのか。それを、この目で確かめることができる。そして、もし、彼が助けを必要としているのなら。
(今度こそ、私が、あなたの力になる)
もう、ただ守られるだけの自分ではない。この二ヶ月で、私の剣は、さらに鋭さを増した。今の私なら、きっと、彼の隣で、対等に戦えるはずだ。
彼女の瞳に、再び、強い光が宿った。
翌日、クゼルファは、父への返信をしたためていた。そこには、ただ一言、「御心のままに」とだけ記されていた。
◇
「みんな、今まで、本当にありがとう」
冒険者ギルドの談話室。クゼルファは、ゼノン、グスタフ、シファに、深々と頭を下げた。陽気な酒場の喧騒が、一瞬だけ、遠のいたように感じられた。
「実家に戻ることになったの。もう、ここには戻れないかもしれない」
「……そうか。お前が決めたことなら、俺たちは何も言わん」
ゼノンが、寂しそうに、しかし、優しく微笑んだ。
「だが、いつでも戻ってこい。ここが、お前の居場所であることに、変わりはないんだからな」
グスタフが大きな手でわしわしとクゼルファの頭を撫で、シファが目に涙を浮かべて彼女に抱きついた。仲間たちの温かい言葉に送られ、クゼルファはギルドを後にした。
◇
最後に会っておかなければならない人がいる。彼女は、もう一つの大切な別れを告げるため、辺境伯邸へと向かった。
辺境伯邸の中庭。秋風が、黄金色の葉を舞わせている。エラルは、全てを知っていたかのように、静かに彼女を待っていた。
「エラル。……元気でね」
彼女は、親友の手を固く握りしめた。
「ええ。クゼルファも。……大丈夫。きっと、また会えるわ。あなたが、本当に会いたい人に、きっと」
エラルは、全てを見透かしたような、優しい笑顔で、彼女の背中を押した。
そして、カガヤがヴェリディアを旅立ってから、ちょうど二ヶ月が過ぎた、秋風の吹く朝。
クゼルファは、一頭の馬に乗り、ヴェリディアの南門を後にした。目指すは、故郷である領都ラフィム。だが、彼女の心は、その道中にある、一つの光――王都アウレリアへと、確かに、そして力強く、向かっていた。
(待っていてください、カガヤ様。今から、私が、あなたの元へ――)
戦士の瞳をした公女の、新たな旅が、今、始まろうとしていた。
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