第130話:松明の夜、黒い太陽
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工房の外で渦巻く怒号は、夜が更けても、その勢いを衰えさせることはなかった。数千の松明が、俺たちのささやかな砦を不気味に照らし出し、窓ガラスをガタガタと震わせる。
「カガヤを出せ!」
「あいつは禍つ者だ(まがつもの)! あの工房を、焼き払え!」
恐怖と憎悪に煽られた民衆の声は、もはや個々の言葉の意味を失い、ただの巨大な、暴力的な感情の塊となって、俺たちに押し寄せていた。
工房の入り口では、鉄血傭兵団の傭兵たちが、巨大な盾を並べ、不動の壁を築いている。彼らの顔に、恐怖の色はない。ただ、契約に従い、自らの任務を、鋼の意志で遂行しているだけだ。その壁一枚を隔てて、世界は、秩序と混沌に、完全に分かたれていた。
「……ジン団長に、最大の感謝を、だな」
俺は、窓の外の光景を見下ろしながら、静かに呟いた。もし、彼らという「盾」がなければ、この工房は、とっくの昔に、怒りの炎に飲み込まれていたことだろう。
だが、その盾も、万能ではない。
一人の男が、狂乱したように、傭兵の壁に突進し、その剣を振り上げた。
「どけぇ! 禍つ者の手先め!」
ガキン!と、甲高い金属音が響き渡る。傭兵は、その剣を盾で受け止めると、柄で男の鳩尾を突き、昏倒させた。
「これ以上近づく者は、容赦せん!」
傭兵隊長のダガンの、凄まじい声が響く。だが、その声も、民衆の怒りの熱波の前では、かき消されそうだった。
「カガヤ様。このままでは……」
セツナが、俺の隣で、厳しい表情を崩さない。彼女の右手は、常に小太刀の柄にかかっている。
「分かっている。鉄血傭兵団も、市民相手に、本気で剣を振るうわけにはいかない。これは、時間稼ぎにしかならん」
リコの容態は、ナノマシンによる対症療法で、小康状態を保っている。だが、それは、あくまで一時しのぎに過ぎない。この街全体が、今、リコと同じ病に侵されているのだ。
俺は、執務室に戻ると、再び思考の海に沈んだ。
〈アイ。地下で発見した『炎の紋章』の信者たちの生体データと、リコのデータを比較分析。汚染物質の、より詳細な情報を引き出せ。特に、そのエネルギー源と、伝播のメカニズムだ〉
《了解しました、マスター。両者の生体データをクロスリファレンスし、汚染物質のプロファイリングを再構築します》
アイの思考速度が、加速していく。俺の脳内に、無数の数式と、分子構造モデルが、凄まじい勢いで流れ込んできた。その時間は僅か数脈だったかもしれない。しかし、それは、俺には、数刻にも感じられた。
《……マスター。結論に達しました》
アイの声が、俺の意識を引き戻す。
《汚染物質の発生源は、生命体の魔素とは異なる、シエルの地下深部から供給される極めて高純度で強力なエネルギーによって、汚染物質を継続的に生成・放出しているようです》
「別のエネルギーだと……?」
《はい。スティンガーの地下探査データと、今回の分析結果を統合した結果、シエルの地下には、直径数キロに及ぶ、巨大な空洞が存在します。そして、その中心に、今回の汚染源である、何らかの施設が、今もエネルギーを放出し続けている可能性が、99.8%》
〈何らかの施設?そんな地下に?〉
《はい、マスター。スティンガーのスキャン結果によれば、施設の構造体にはこの惑星では自然生成されない同位体が含まれています。これは、高度な冶金技術を持つ、先史文明の遺構である可能性が極めて高いことを示唆しています》
〈高度な先史文明の遺跡……古代エルフか?〉
《文明の特定には更なるデータが必要です。しかし、観測される高エネルギー粒子の放出パターンと熱力学的プロファイルから、対象は自己完結型のエネルギー生成プラント…我々の知識体系で言うならば、推論カテゴリーとしては、恒星のエネルギー生成原理を模した『恒星炉』とでも呼ぶべき代物でしょう》
『恒星炉』。おそらくは古代文明の遺産。そして、セレスティアの神託にあった「黒い太陽」。
全てのピースが、最悪の形で、一つに繋がった。
「奴らは、あの祭壇で、その『恒星炉』を再起動させようとしたのか。だが、その制御に失敗し、暴走したエネルギーが、汚染物質となって、地下水脈に漏れ出している……」
「カガヤ様。……何か、分かったのですか?」
セツナが、俺のただならぬ気配を察し、問いかけてくる。
俺は、彼女と、いつの間にか部屋に集まっていたギド、そして、心配そうにこちらを見つめるレオに、顔を向けた。
「ああ。この街を蝕む、病の正体が、な」
俺は、アイの分析結果を、彼らに、分かりやすく説明した。この災厄が、天災ではなく、人為的に引き起こされた「事故」であること。そして、その根源が、今も、この街の地下深くで、毒を吐き出し続けていること。
「そんな……。じゃあ、街の水が全部、毒になっちまったってことかよ……」
レオが、青ざめた顔で呟く。
「そうだ。そして、このままでは、水が飲めないだけでは済まない。汚染は、いずれ大地を侵し、このシエルから、全ての生命を奪い去るだろう。……セレスティアの神託通り、沈黙の灰に覆われることになる」
部屋を、重い沈黙が支配する。それは、あまりにも、絶望的な未来だった。
「……だが、希望は、ある」
俺は、静かに、しかし、力強く言った。
「原因が分かったのなら、解決策もある。汚染物質そのものは、構造的に不安定だ。大本のエネルギー供給を断ちさえすれば、毒性は、自然に消滅していくはずだ」
「しかし、カガヤ様」
ギドが、厳しい表情で口を挟む。
「その『恒星炉』とやらは、地下深くの、古代遺跡にあるのでしょう? 我々には、そこへたどり着く術も、それを止める術もない……」
「いや、ある」
俺は、工房の仲間たちの顔を、一人一人、見回した。
「俺が行く。俺が、その『恒星炉』を止めに行く」
俺の宣言に、その場にいた全員が、息を呑んだ。
「無茶です、カガヤ様!」
セツナが、悲痛な声を上げる。
「あなた一人で、何ができると……!」
「一人じゃないさ」
俺は、静かに首を横に振った。
「俺には、君たちがいる」
俺は、シエルの地下地図を広げた。
「これは、この街を救い、俺たちの無実を証明するための、唯一の作戦だ。俺が地下の脅威を断つ。その間、君たちには、地上の戦いを任せたい」
俺は、セツナに、リコと工房の仲間たちを守るよう、指示した。ギドには、忘れられた民の伝承を精査させ、アイが特定した遺跡座標へと続く、古の隠し通路や安全なルートがないかを探ってもらう。そして、レオには、リコの代わりに、孤児たちの情報網を使い、街の暴徒の動きや、「炎の紋章」の残党の情報を、収集し続けるよう、命じた。
それは、あまりにも無謀で、あまりにも危険な作戦だった。だが、俺たちの目には、もはや、恐怖も、絶望もなかった。
「……御意に」
セツナが、最初に、深く、頭を下げた。
「カガヤ様のご武運を」
ギドもまた、その屈強な体を折り曲げた。
「……分かったよ、カガヤ兄ちゃん。リコのことは、俺たちが、必ず守る!」
レオも、涙をこらえ、力強く頷いた。
俺は、仲間たちの顔を見渡し、満足げに頷いた。
商人として、最大のピンチは、最大のチャンスだ。この街を救い、民衆の信頼を勝ち取ることができれば、俺たちの未来は、確固たるものになる。
「さあ、始めようか。シエルの街と俺たちの命運を賭けた、俺たちの一世一代の大博打を」
俺は、自らの腕にある触媒に、静かに、そして力強く、意識を集中させた。
シエルの運命は、今、この瞬間に、俺たちの手に委ねられたのだ。
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