第14話:灰色の空と断崖の底へ
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※ タイトル変更しました。(旧タイトル:宇宙商人の英雄譚)
夜が明けると、俺はすぐに行動を再開した。
ここ、グレイブ・ダイバーの縄張りである灰色の荒野では、夜明けも日没も、ただ空の色が黒から鉛色に変わるだけの、味気ない変化でしかない。生命の気配が希薄なこの大地では、時間の感覚さえもが曖昧になっていくようだった。
「アイ、現在地と目的地までの距離は?」
《現在、未踏査領域に進入後、およそ20キロ地点。目的地である盆地の外周までは、残り約30キロと推定されます。この地形では、さらに二日の行程を要するでしょう》
脳内に響くアイの冷静な声だけが、この殺風景な世界における、唯一の確かな道標だった。森では、常に何かの生命の気配があった。鳥のさえずり、虫の羽音、風が木々を揺らす音。だが、ここでは、乾いた風が岩を削る音以外、何も聞こえない。聴覚から得られる情報が極端に少ないせいで、視覚と、そして第六感とも言うべき危機察知能力を、常に最大レベルで稼働させなければならなかった。
俺は、フードを目深に被り、岩陰から岩陰へと、身を隠すようにして進んだ。精神が、じりじりとすり減っていくのが分かった。時折、上空を旋回するグレイブ・ダイバーの影が見える。奴らは、この荒野の絶対的な支配者だ。俺という侵入者を、常に監視している。
その夜、俺は小さな洞窟を見つけ、そこで野営することにした。焚き火の小さな炎が、唯一の慰めだった。
「なあ、アイ。この星の『庭師』は、どうしてこんな場所を造ったんだろうな。緑豊かな森の隣に、こんな死んだような大地を」
《断定はできません。それにマスター。マスターが言うところの『庭師』も仮定の一つに過ぎません。》
「まぁ、それはそうなんだけどさ。アイはどう思う?」
《考えられる可能性は複数あります。例えば、この場所が高気圧帯に位置しているなど、単なる気候の変動による結果かもしれません。また、地形が巨大なクレーター状であることから、 隕石の衝突による衝突クレーターであることも考えられます。他には、火山の巨大なカルデアラである可能性も捨てきれません。もしくは、マスターの言うように、過去に大規模な環境改変……テラフォーミングが行われ、この区画が何らかの理由で失敗、あるいは放棄された可能性。あるいは、意図的に異なる環境を区画ごとに再現し、生命の適応進化を観察していた可能性も否定できません。他にも……》
「わかった、わかった。俺も決めつけないようにするよ。まぁ、どちらにせよ、俺たちが招かれざる客だってことには、変わりないだろうけどな」
俺は、自嘲気味に笑い、燻製肉を口に放り込んだ。
五日目、俺たちの前に、巨大な亀裂――深い渓谷が立ちはだかった。対岸までは、およそ50メートル。ドローンならひとっ飛びだが、俺の足ではどうしようもない。
「アイ、斥力ワイヤーの出番だな」
俺は、腰のホルスターから、アンカー射出機を取り出した。対岸の頑丈そうな岩に照準を合わせ、引き金を引く。圧縮された魔素の力で、アンカーが轟音と共に射出され、見事、岩に深々と突き刺さった。
ワイヤーの強度を確認し、俺はベルトの斥力フィールド発生装置を起動した。体がふわりと軽くなる。俺は、ほとんど腕の力を使うことなく、命綱一本で、底知れない暗闇が広がる渓谷の上を、ゆっくりと渡りきった。これがなければ、ここで旅は終わっていただろう。
そして、旅立ちから六日目の昼過ぎ。ついに、俺は目的地の外縁に到達した。
そこは、天を衝くほどの、巨大な円形の断崖絶壁だった。ドローンが観測した、クレーター盆地の外周だ。俺は、崖の縁に立ち、眼下を見下ろした。
息を、呑んだ。
眼下には、雲海のように、濃厚な魔素の霧が渦巻いていた。その霧は、淡い青白い光を放ち、まるで巨大な生き物が、ゆっくりと呼吸しているかのようだ。神秘的で、同時に、底知れない恐怖を感じさせる光景だった。
「……ここを、降りるのか」
俺が、降下ルートを探ろうと、崖の縁を歩き始めた、その時だった。
《マスター、上空に複数の高速接近物体。 グレイブ・ダイバーです》
見上げると、灰色の空から、数体の黒い影が、俺めがけて一直線に降下してきていた。見張りだ。この聖域に近づく者を、排除するための。
「数は、4体! 以前より多いぞ!」
だが、俺の心に、以前のような焦りはなかった。むしろ、待ち構えていた、という高揚感さえあった。
「アイ、敵の予測軌道を割り出せ。俺は、最初の二体を、音速撃で叩き落とす」
一体目が、翼を切り離し、黒い刃を放ってくる。俺は、それを冷静に見極め、最小限の動きで回避。すれ違いざま、右腕に意識を集中させる。
形成される、エネルギーの銃身。圧縮される、斥力弾。
「撃て」
意思が、トリガーとなる。
バシュッ!……キィィィィィン…
ソニックブームが、荒野に響き渡る。不可視の弾丸が、一体目のグレイブ・ダイバーの胴体を、正確に貫いた。魔獣は、声もなく、爆散した。
間髪入れず、俺は二体目に狙いを定める。だが、奴らも学んでいた。直線的な攻撃が通用しないと見るや、不規則な軌道で、俺を翻弄し始める。
「ちっ、賢いじゃないか」
俺は、一度、崖の岩陰に身を隠した。
「アイ、残りの三体の動きを完全に予測しろ。神経同期のレベルを最大だ。奴らの次の動きを、俺に直接送り込め!」
《了解。神経同期、最大レベルに移行します》
脳内に、直接、膨大な情報が流れ込んでくる。三体のグレイブ・ダイバーの現在位置、予測移動ルート、翼を放つタイミング。その全てが、俺の感覚と一体化する。
俺は、岩陰から飛び出した。そして、あり得ない角度で飛来する翼を、まるで未来が見えているかのように、紙一重で躱していく。
そして、三体の軌道が、一瞬だけ、交差する瞬間が訪れた。
「――そこだ!」
俺は、その一点に向け、最大出力の『斥力キャノン』を放った。
空間が歪むほどの衝撃波が、三体の魔獣を、一瞬にして飲み込んだ。
「ぐ、ぅおおっ……!」
凄まじい魔素反動が、俺の全身を襲う。俺は、その場に片膝をつき、激しく喘いだ。だが、顔は、笑っていた。空の脅威は、完全に沈黙した。
俺は、再び崖の縁に立ち、眼下の盆地を見下ろした。そして、おもむろに、腰の斥力ワイヤーを構える。アンカーを、盆地の底へと向けて、撃ち込んだ。
数百メートルの垂直降下。斥力フィールドが、俺の落下速度を巧みに制御する。降下の途中、崖の中腹に、ぽっかりと空いた巨大な横穴が見えた。グレイブ・ダイバーの巣だ。中には、彼らが獲物として持ち帰ったであろう、様々な魔獣の巨大な骨が、山のように積まれていた。あのクエイク・ボアのものらしき、巨大な頭蓋骨さえ見える。
奴らが、この地域の生態系の頂点に君臨していたことは、間違いなかった。そんな連中を、俺は、たった一人で打ち破ったのだ。
やがて、俺の足は、ついに盆地の底、柔らかな苔の上に、静かに降り立った。
そこは、外の世界とは完全に隔絶された、静寂に満ちた空間だった。濃厚な魔素の霧が、俺の体を優しく包み込む。
そして、俺の目の前に、霧の中から、ゆっくりとその姿を現す。
大地から突き出すようにして存在する、見上げるほどの巨大な魔素結晶と、その根元に佇む、苔むした石垣。ドローンが最後に送ってきた、あの光景が、今、現実のものとして、そこにあった。
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