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第127話:凪と嵐の境界線

お読みいただき、ありがとうございます。

今回は、第三者視点でお送りします。


朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

カガヤたちが「沈黙の森」から帰還し、太陽草の市場価格を暴落させてから、およそ一週間が過ぎた。自由交易都市シエルは、まるで巨大な生き物のように、その変化にゆっくりと、しかし確実に対応しようともがいていた。


そして、その渦の中心にある「カガヤ工房」は、奇妙なほどの平穏を享受していた。



『錬金術ギルド』


ギルド長ザルムの執務室には、連日、配下たちの悲鳴に近い報告が届けられていた。


「ギルド長! 我らが抱えていた太陽草の在庫が、市場価格の暴落により、全て不良債権と化しました! このままでは、ギルドの財政が……!」


「黙れ! 分かっておるわ!」


ザルムは、机を叩きつけ、怒りに震えた。カガヤ工房を兵糧攻めにするための買い占め戦略。それが、まさか、自分たちの首を絞めるだけの最悪の一手になろうとは。あの異邦人は、「沈黙の森」の主を討伐するという、常識ではありえない方法で、市場の相場を、根底から破壊してしまったのだ。


「カガヤ工房の妨害をしている余裕など、もはや我々にはない……。今は、ギルドの立て直しが最優先だ。被害を最小限に抑え、損失を補填するための新たな商材を探せ!」


ギルドの内部は、かつてない混乱に陥っていた。カガヤへの憎悪は消えずとも、彼らは、自分たちの足元に燃え移った火を消すことで、手一杯だった。



『商業ギルド』


商業ギルドの幹部たちもまた、頭を抱えていた。


「どうなっている! カガヤ工房の商品は、我々の流通網を一切通さず、街の隅々にまで浸透しているぞ!」


「奴らは、スラムの孤児どもを使い、独自の販売ネットワークを構築しているようです。我々の息のかかった大店舗ではなく、露店や、個人への直接販売を主としているため、我々の圧力も、思うように届きません……」


リコを中心とした孤児たちの販売網は、まるで毛細血管のようにシエルの下層社会に張り巡らされ、ギルドという巨大な動脈を介さずとも、工房に富と情報をもたらし続けていた。彼らが築き上げた、正規のルートを通さないゲリラ的な市場は、商業ギルドの支配を、静かに、しかし確実に蝕んでいた。



『傭兵ギルド』


シエルの酒場では、傭兵たちの間で、一つの噂が、まことしやかに囁かれていた。


「おい、聞いたか? カガヤ工房のセツナの話だ」


「ああ、あの小柄な嬢ちゃんだろ? なんでも、黒蠍傭兵団の精鋭部隊を、たった一人で、しかも誰一人殺さずに、無力化したって話じゃねえか」


「それだけじゃねえ。工房の主、カガヤって商人も、ただもんじゃねえらしい。あの『沈黙の森』の主を、たった二人で討伐したってんだからな。魔法使いだって噂だが、誰も、その魔法を見たことがねえ」


その噂は、尾ひれがつき、やがて一つの結論へと収束していく。


――カガヤとセツナのコンビは、ヤバい。


何より、あのシエル最強の武力集団「鉄血傭兵団」が、彼らを公式に「庇護する」と宣言しているのだ。下手に手を出せば、自分たちの首が飛ぶ、そう、文字通りに……。傭兵ギルドに所属する者たちは、賢明にも、カガヤ工房とは関わらない、という暗黙の了解を共有していた。



『職人ギルド』


職人ギルドの空気は、他のギルドとは少し、異なっていた。


「これが、カガヤ工房の『浄水フィルター』か……。なるほど、面白い構造だ。魔力を使わず、ただ、素材の組み合わせと形状だけで、ここまで水を浄化するとは……」


老いたドワーフの職人が、カガヤ工房から流れてきた製品を分解し、その構造を食い入るように見つめている。彼らにとって、カガヤ工房は、既得権益を脅かす敵であると同時に、未知の技術を生み出す、興味の尽きない競争相手でもあった。


「アクア・ヴィータの容器もそうだ。あのガラス瓶の均質性と、密閉性の高さ。我々の技術でも、ここまでのものは、そう簡単には作れん。……あの工房、一体、どんな職人を抱えているんだ……?」


彼らの関心は、商売敵としての憎しみよりも、純粋な、職人としての探究心へと、向かっていた。



そして、シエルの闇を支配する**『盗賊ギルド』**。彼らは、終始、奇妙なほどの沈黙を保っていた。


ギルドマスターの執務室。そこに、一人の密偵が、血相を変えて駆け込んできた。


かしら! 例の工房の件ですが……」


「騒ぐな。何か分かったか」


「はっ。工房の経営責任者のセツナと名乗る女。あれの正体が……。王都の、第二王子ゼノン殿下直属の、『影』である可能性が、極めて高い、と」


その報告に、ギルドマスターの額に、冷たい汗が伝った。『影』。王家の闇に潜み、あらゆる情報を収集し、敵を抹殺する、伝説の諜報組織。その構成員が、なぜ、こんな商業都市に?


「……さらに、そのセツナを、別の『影』が、常に監視している、との情報も……」


ギルドマスターは、天を仰いだ。王家の内偵に、二重三重の監視。自分たちが手を出していい相手ではない。下手に首を突っ込めば、ギルドそのものが、一夜にして、闇へと消え去るだろう。


「……カガヤ工房には、今後一切、手を出すな。ギルドの者たちにも、徹底させろ。あの工房は、我々が触れてはならん、『聖域』だ」


盗賊ギルドは、最も早く、そして最も賢明に、この争いから完全に手を引くことを決定した。



こうして、各ギルドが、それぞれの思惑で手出しできなくなったことで、「カガヤ工房」には、束の間の、しかし確かな平穏が訪れた。生産は順調に拡大し、利益は安定し、工房に集う仲間たちの顔にも、笑顔が溢れている。


それは、まるで、嵐が過ぎ去った後の、穏やかな凪のようだった。


だが、光が強ければ、その傍らには、必ず、濃い影が生まれる。


スラム街の、埃っぽい裏路地。陽の光さえ届かぬその場所で、黒いローブに身を包んだ者たちが、飢えた子供たちに温かいスープとパンを無償で配っていた。その光景は、一見すると慈愛に満ちた善行そのものだ。


「さあ、お食べなさい。これは、我らが『真の理』からの、ささやかな贈り物ですよ」


ローブの男は、しゃがみ込み、痩せた少年の頭を優しく撫でた。


「あなた方は、決して見捨てられてはいない。偽りの救済ではなく、本当の安らぎが、ここにはあります」


その言葉は甘く、その微笑みは穏やかだ。だが、その瞳の奥には、一切の感情が宿っていない。少年が、こくりとスープを飲み干すと、男は少年の耳元で、囁くように言った。


「……ところで坊や。君たちが毎日水を買いに行くという『カガヤ工房』。あそこの主人は、どんな顔をしているのかね? 君たちに、優しい言葉をかけてくれるのか?」


少年は、空腹を満たしてくれた目の前の男に、無邪気に、そして知っている限りのことを話し始める。工房の様子、カガヤの顔つき、セツナの優しさ、リコの口癖。その一つ一つが、静かに、しかし確実に、闇の中へと吸い込まれていく。


彼らは力で支配するのではない。善意を装い、救済を囁くことで、最も弱く、脆い者たちの心を、静かに、しかし確実に、掌握しようとしていた。


ギルドとの経済戦争がほぼ終結した今、カガヤたちは、より厄介で、そして根源的な敵と向き合っていることを自覚せざるを得なかった。思想と救済を武器とする彼らとの戦いは、これまでとは全く次元の違う、静かで、しかし熾烈なものになるだろう。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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