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第125話:ギルドの陰湿な報復

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「炎の紋章」とおぼしき集団は、スラムでの地道な布教活動を続けるばかりで、表立った動きは見せない。俺は、彼らの不気味な沈黙を警戒しつつも、セツナやリコたちと共に、工房の経営基盤を固めることに集中していた。


鉄血傭兵団という強力な後ろ盾を得た今、錬金術ギルドも、以前のようなあからさまな妨害は仕掛けてこなくなった。シエルの市場は、まるで嵐の後の海のように、不気味なほどに静かだった。


だが、その静寂は、より狡猾で、悪意に満ちた次なる一手のための、準備期間に過ぎなかった。


異変は、まず、原材料の仕入れ価格の、じわじわとした高騰から始まった。


「カガヤ様。どうにも、おかしいのです」


執務室で帳簿を調べていたセツナが、険しい表情で俺に報告した。


「アクア・ヴィータの主原料である『太陽草』の市場価格が、この一週間で三割も上昇しています。不作や天候不順といった報告はありません。あまりにも、不自然な動きです」


《マスター。セツナの報告を裏付けるデータを捕捉しました。シエルの商業ギルド、及び錬金術ギルドに所属する複数の大口問屋が、過去七日間にわたり、『太陽草』の買い占めを行っていることを確認。その取引量は、通常の市場需要の五倍を超えています。これは、意図的な市場操作であり、我々のサプライチェーンを狙った経済的攻撃と判断します》


「……ギルドの連中が、動き出したか」


俺の呟きに、セツナは静かに頷いた。力で俺たちを潰せないと悟ったギルド長ザルムは、より商人らしい、陰湿なやり口で、俺たちの息の根を止めに来たのだ。市場経済を、裏から操作するというやり方で。


そして、その懸念は、最悪の形で現実となる。


「カガヤ! 大変だ!」


リコが、血相を変えて執務室に飛び込んできた。


「いつも取引してた薬草問屋の連中が、誰一人、あたしたちに薬草を売ってくれなくなったんだ! 『お前たちに売る薬草は、もうない』って、みんな、まるで示し合わせたように……!」


兵糧攻め。商人にとって、これほど堪える攻撃はない。原材料がなければ、商品は作れない。商品がなければ、信用も、金も、全てを失う。


さらに、追い打ちをかけるように、街には新たな噂が流れ始めていた。


「おい、聞いたか? カガヤ工房の薬草は、盗品らしいぜ」


「ああ、だからあんなに安く商品を売れるんだな。どおりで、真っ当な商売じゃねえと思ったよ」


錬金術ギルドと、シエルの物流を牛耳る『商業ギルド』が、裏で手を組んだのだ。彼らは、俺たちから仕入れルートを奪い、さらに「盗品」という汚名を着せることで、社会的信用を完全に失墜させようと画策していた。


「……やられたな」


俺は、静かに呟いた。鉄血傭兵団の庇護も、こと経済活動においては、万能の盾ではない。彼らは、決して表立っては俺たちを攻撃しない。ただ、静かに、そして確実に、俺たちの事業の根幹を、内側から腐らせていく。


工房の空気は、一気に重くなった。ギドたちも、リコたちも、先の見えない状況に、不安の色を隠せないでいた。


「……カガヤ様」


セツナが、俺の目を真っ直ぐに見つめる。その瞳には、揺るぎない信頼が宿っていた。


「まだ、手はあります。ですが……」 彼女は、広げた大陸地図の上で、わずかに逡巡する素振りを見せた。


「どうした、セツナ。どんな情報でも構わない」


「……シエルの東に広がる、『沈黙の森』。ご存知ですか?」 彼女が指し示したのは、地図上でも不吉な濃い緑で描かれた広大な森林地帯だった。


「噂に聞く程度だ。『魔の森』にも匹敵する危険地帯で、生きて帰った者はほとんどいない、と」


「はい。ですが、リコの情報網と、古い文献を照合したところ、その森の奥深くに、『太陽草』が自生している可能性が極めて高いのです。危険すぎるため、誰も手を付けておらず、まさに手つかずの宝の山である、と」


その場の空気が、緊張で張り詰める。ギドが、厳しい表情で口を開いた。


「セツナ殿、それは無謀だ。あの森に巣食う魔物は、街道筋のそれとは訳が違う。鉄血傭兵団の精鋭ですら、足を踏み入れるのを躊躇う場所だ」


彼の言う通りだ。普通の商人なら、検討にすら値しない、自殺行為にも等しい選択肢。 だが、俺の口元には、いつの間にか不敵な笑みが浮かんでいた。


「……面白い。誰も行けない場所にこそ、商機はある。それに、危険な場所の探索なら、俺の専門分野だ」


「カガヤ、まさか……!」


リコが、息を呑む。


「ああ。俺が行く。ギルドが太陽草を独占するなら、俺たちは、自分たちで新しい太陽草の生息地を『開拓』するまでだ」


誰かに頼るという選択肢は、俺の頭から消えていた。商人として、自らの力で、この窮地を乗り越える。それこそが、俺の流儀だった。



翌日、俺はセツナだけを伴い、シエルの東門から「沈黙の森」へと向かった。ギドやリコには、固く工房を守るようにとだけ伝えてある。


森に一歩足を踏み入れると、直ぐに空気が変わった。湿り気を帯びた、濃密な魔素。そして、まるで森そのものが息を殺しているかのような、不自然な静寂。鳥の声一つ、虫の音一つ聞こえないのは、弱い生き物たちが、より強大な捕食者の存在を恐れて、鳴りを潜めている証拠だ。


「……これは、尋常ではありませんね」


セツナが、小太刀に手をかけながら、周囲を警戒する。俺も腕の触媒に意識を集中させる。


その時だった。張り詰めた静寂を破り、巨大な影が、俺たちに襲いかかった。それは、蜘蛛の体に、巨大な鎌のような前足を持つ、おぞましい魔獣だった。


邪鎌蜘蛛(サイス・スパイダー)か!」


セツナが叫ぶ。腕利きの冒険者パーティーでも、苦戦は必至の相手だ。 だが、俺は冷静だった。


〈アイ、敵の甲殻の強度、関節の可動域を分析!〉


《分析完了。弱点は、六つの眼が集中する頭頂部、及び関節の付け根です》


俺は、大気中の魔素を、腕の触媒を介して収束させる。そして、頭の中で、明確なイメージを描いた。――超高圧で圧縮され、針のように細く、ただ一点を穿つための水流。


「――ウォータージェット!」


俺の手のひらから放たれた極細の水線が、音もなく空間を切り裂き、サイス・スパイダーの六つの眼を、正確に貫いた。巨大な魔獣は、悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちる。


「……今のは……?」


セツナが、信じられないといった目で、俺を見た。彼女の知るどんな魔法とも、その現象は異なっていた。


「理屈は単純だ。水の分子を高圧で射出する。それだけだよ」


だが、その戦闘の最中、俺の脳内で、アイが珍しく、興奮したようなトーンで報告を上げてきた。


《マスター。興味深い仮説が、高い確度で検証されつつあります。》


〈どういうことだ?〉


《先ほどの攻撃、マスターは『一点を穿つ高圧水流』をイメージしました。その結果、大気中の魔素は、マスターの腕にある触媒を介し、物理法則を一部無視して、その『イメージ』そのものを具現化する触媒として機能した可能性が極めて高いです。これまでの戦闘でも、マスターのイメージが明確なほど、理術の威力と精度が向上する傾向は観測されていました。今回の戦闘で、その仮説が、ほぼ確信へと変わりました》


つまり、魔素とは、術者の思考イメージを、現実世界に投影するための、万能のエネルギー媒体なのではないか、と言うことか?


「……なるほどな。道理で、イメージが明確な時ほど、威力が上がっていたわけだ。魔の森の時から、その兆候はあったというのに……」


その仮説が正しいのなら、俺の戦い方は、無限に広がる。炎、氷、風、雷……。俺が、その物理現象を、科学的に、そして明確に「イメージ」できる限り、俺は、この世界のどんな魔法使いよりも、強力で、多彩な「魔法」を、放つことができる。


その考えを証明するかのように、次々と現れる魔獣たちを、俺は、自らの知識と想像力を武器に、次々と屠っていった。 蛇のような魔獣には、体内の水分を瞬間的に凍結させる「急速冷凍」を。 硬い甲殻を持つ魔獣には、金属疲労を誘発させる「超低周波振動」を。 空中を飛び回る魔獣には、空気の密度を操作し、真空の刃を作り出す「ソニックブーム」を。


その光景を、セツナは、ただ呆然と見つめていた。カガヤの強さは知っていた。だが、これは、もはや次元が違う。魔法でも、剣技でもない、全く未知の、しかし圧倒的な「理」の力。彼女は、改めて、自分が仕える男の、その底知れなさに、畏怖と、そしてそれ以上の、強い信頼を感じていた。


森の奥深く、陽光が差し込む開けた場所に、俺たちはついに目的のものを発見した。黄金色に輝く、太陽草の群生地だ。


「……やったな、セツナ」


「はい……! これで、工房は……!」


俺たちが、安堵の息をついた、その時だった。 大地が揺れ、その群生地の中心から、森の主と思しき、巨大な魔獣が、その姿を現した。


「……どうやら、最後のボスのお出まし、らしいな」


大地から現れたのは、古びた大木のような、禍々しい魔獣だった。岩のように硬い樹皮、鋭い爪のような枝、そして、幹の洞から無数の茨の触手をうごめかせている。


「あれは……森の主、『魔骸樹(グレイヴン・トレント)』……! 伝説では、この森そのものが、この魔獣の体だとか……」


セツナが、息を呑んで呟く。


「面白い。相手にとって不足はないな」


俺は、不敵に笑うと、腕の触媒を構えた。俺の戦闘力は、今や、無限の可能性を秘めている。 セツナが小太刀を抜こうとするのを、俺は手で制した。


「セツナ、下がっていろ。こいつは、力で戦う相手じゃない」


俺は目を閉じ、思考を集中させる。相手は巨大な植物。その強靭な体は、セルロースの塊だ。ならば、力で破壊するのではなく、その構造自体を分解すればいい。俺の頭の中に、複雑な化学式が組み上がっていく。――セルロースの分子結合を、指数関数的に分解していく、自己増殖型の酵素。


「理術展開」


俺の手のひらから、ほとんど目に見えないほどの、小さな液体が一滴、放たれた。それは音もなく、グレイヴン・トレントの巨大な幹に付着する。 一瞬の静寂。魔獣が、嘲笑うかのように、その枝の爪を振り上げた。 だが、次の瞬間、異変が起きた。 液体が付着した一点から、灰色のもやが広がり、堅固だったはずの樹皮が、砂のように崩れ落ちていく。崩壊は、恐るべき速度で内部へと侵食し、魔獣の巨体を、内側から蝕んでいく。 グレイヴン・トレントは、苦痛の叫びを上げる間もなく、その巨体を維持できなくなり、まるで風化した砂の城のように、サラサラと、ただの塵の山へと変わっていった。


「…………」


セツナは、そのあまりにも静かで、あまりにも絶対的な結末に、言葉を失っていた。


「これで、心置きなく太陽草を採取できるな」


俺は、何でもないように言って、黄金色の群生地へと歩き出した。


こうして俺たちは、ギルドの策略を、自らの力で打ち破る、確かな活路を見出した。だが、それは同時に、この工房の生産活動が、俺かセツナという、極めて属人的なスキルに依存するという、新たな経営課題を生み出すことも意味していた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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