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第124話:秩序と混沌の協奏曲

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

その日の午後、工房の販売スペースで、一つの騒ぎが持ち上がっていた。


「どういうことだ、リコ! 今月の納品数が、契約の半分にも満たないではないか!」


工房に響き渡る怒声の主は、鉄血傭兵団の補給担当官、ダガンだった。彼は、俺たちの最大の顧客であり、そして守護者でもある。その彼が、鬼のような形相でカウンターを叩き、リコを詰問していた。


「申し訳ねぇ! けどよ、原材料の薬草の入荷が、急に……」


リコは、十歳そこそこの少女とは思えぬほど気丈に、しかし悔しそうに唇を噛む。俺たちの成功を快く思わない錬金術ギルドが、裏で手を回し、我々の仕入れルートに圧力をかけているのだ。表立った妨害ができないと見るや、より陰湿で、商人としての信用を根底から揺らぶるやり口に切り替えてきたらしい。


だが、ダガンは聞く耳を持たない。


「理由などどうでもいい。契約は契約だ。これが履行できぬとなれば、我々の団長も、お前たちとの関係を考え直さざるを得まい」


その冷たい言葉に、リコと周りの子供たちの顔に、絶望の色が浮かぶ。このままでは、やっと手に入れた後ろ盾を失ってしまう。俺が仲裁に入ろうと一歩踏み出した、その時だった。


「――お待ちください」


静かだが、凛とした声が、その場を制した。セツナだった。彼女は、数枚の羊皮紙を手に、ゆっくりとダガンの前に進み出た。


「今回の納品遅延、全面的にこちらの責任です。つきましては、契約不履行の違約金として、今回の損失額の三倍を、現金でお支払いいたします」


彼女は、そう言うと、金貨がずしりと詰まった革袋を、カウンターに置いた。その額に、ダガンだけでなく、リコたちも息を呑む。


「さらに、こちらを。これは、今回お納めできなかった『アクア・ヴィータ・フォルテ』の代替品として、カガヤ様が新たに開発した、濃縮回復軟膏です。効果は、フォルテの倍以上。これを、違約金とは別に、無償で提供させていただきます」


彼女の淀みない提案と、圧倒的な行動力。それは、ただの謝罪ではない。損失を補って余りある利益を提示し、相手の不満を期待へと転化させる、見事な交渉術だった。


「……面白い」


ダガンは、軟膏の品質を確かめると、初めてその口元を緩ませた。


「よかろう。団長には、私から上手く伝えておこう。……だが、次はないぞ、嬢ちゃん」


彼が去った後、工房は安堵のため息に包まれた。


「セツナ姉ちゃん、すげえ……」


「あたし、あんな金、見たことねえよ……」


子供たちが、尊敬の眼差しでセツナを見つめる。俺は、彼女の隣に立ち、静かに尋ねた。


「いつの間に、あんなものを。軟膏のことも、違約金の準備も、俺は聞いていなかったが」


「カガヤ様なら、必ずこの状況を予測していると思いましたので」


彼女は、少しはにかみながら答えた。


「そして、これは『投資』です。短期的な損失よりも、鉄血傭兵団という最大の『信用』を維持する方が、長期的には大きな利益となります」


暗殺者として培われた先を読む力と、状況を最適化する能力。それが、経営という分野で、恐るべき才能として開花していた。俺は、改めて、最高のパートナーを得たことを実感していた。


だが、このシエルという街は、そんな甘い夢が、永く続くことを許してはくれない。


その日の夕方、リコが、珍しく深刻な顔で、俺に報告をもたらした。


「なあ、カガヤ。最近、変なんだ」


「あたしたちのシマで、見たことのない連中が、うろついてる。ギルドのチンピラじゃない。もっと、こう……目が、笑ってない奴らだ」


彼女の情報網は、スラムの隅々にまで張り巡されている。その彼女が「変だ」と言うのなら、それは間違いなく、何かの前兆だった。


「そいつら、子供たちに、タダで飯を食わせたり、甘い菓子を配ったりしてるんだ。そして、あたしたちの工房のことや、カガヤのこと、それとなく探ってるみたいなんだよ」


施し。見返りを求めない、一方的な奉仕。この、利益が全てのシエルにあって、それは、最も不自然で、そして最も不気味な行為だった。


《マスター。リコの報告と、ここ数日の情報網を統合・分析。該当する組織を特定しました》


アイの声が、脳内に響く。


《『炎の紋章』。彼らが、活動を再開したようです。ですが、その手口は、以前とは異なります》


〈どういうことだ?〉


《彼らは、武力による直接的な攻撃ではなく、人心の掌握を狙っています。貧しい者たちに救いの手を差し伸べ、自らの思想を、救済の教えとして、静かに、しかし確実に、浸透させている模様です》


破壊ではない、救済。なんと狡猾なやり方だ。錬金術ギルドのような、分かりやすい敵ではない。彼らは、俺たちと同じように、民衆の支持を、自らの力に変えようとしているのだ。それも、俺たちの足元、スラムという、最も人心が揺らぎやすい場所で。


俺は、セツナにその事実を告げた。彼女の表情から、柔らかな光が消え、再び「影」としての、冷徹な光が宿る。


「……目的は、我々の切り崩し。そして、最終的には、この工房の、あるいはカガヤ様自身の奪取、と考えるのが妥当でしょう」


「ああ。だが、相手のやり方は、これまでとは違う。力でねじ伏せるだけでは、解決しないだろうな」


俺は工房の窓から、赤黒い夕陽に染まるシエルの街を見下ろした。錬金術ギルドとの冷戦。そして、その水面下で、静かに、しかし着実に進む、「炎の紋章」の侵食。二つの性質の異なる脅威が、俺たちの工房という孤島に、同時に迫っている。


「あらゆる手を使い、市場を独占しようとするギルド。善意を装い、人心を掌握しようとする邪神教。……どちらも厄介ですが、後者の方が、より根が深い」


セツナが、俺の思考を読み取ったかのように、静かに分析を始める。


「飢えた者にパンを与え、病む者に手を差し伸べる。彼らの行いは、表面的には『善行』です。これを力で排除すれば、我々の方が『悪』となる。民衆の支持を失いかねません」


「その通りだ。奴らは、俺たちの土俵で、俺たちより巧みに戦おうとしている。俺たちが浄水やアクア・ヴィータで得た『信用』を、彼らは『無償の救済』という、さらに甘美な毒で上書きしようとしているんだ」


これは、商品の優劣を競う市場原理ですらない。信仰と救済を掲げた、思想の戦いだ。宇宙商人として、様々な文明や価値観と渡り合ってきたが、これほど厄介な相手は初めてかもしれなかった。


「どう、なさいますか?」


セツナが、俺の目をじっと見つめる。その瞳には、不安ではなく、俺の次の一手への、絶対的な信頼が宿っていた。


俺は、夕闇に沈みゆくスラム街に視線を向けたまま、静かに、しかし確信を込めて言った。


「決まっている。相手が『救済』を掲げて市場を荒らすなら、こちらも、それ以上の『価値』を提供するまでだ。商人として、奴らの『善意』が、いかに非効率で、持続性のない、薄っぺらなものであるかを、この街の全ての人々に、証明してやる」


俺の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。


「セツナ。新しい事業計画を立てるぞ。ギルドも「炎の紋章」も、誰も思いつかないような、全く新しいビジネスだ」


平穏な時間は、終わりを告げた。だが、俺の心は、恐怖ではなく、未知の強敵と対峙する、商人としての純粋な興奮に満ちていた。この複雑に絡み合った盤面をどう読み解き、どう動くか。俺の、そして俺たちの、本当の腕の見せ所は、これからだった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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