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第123話:商人と傭兵とギルドの沈黙

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

鉄血傭兵団との契約は、シエルの勢力図に、小さな、しかし決して無視できない地殻変動をもたらした。俺たち「カガヤ工房」は、最強の武力集団という、何物にも代えがたい「信用」を手に入れたのだ。


俺たちの工房は、かつての廃墟の面影など微塵もない、活気に満ちた一大拠点へと変貌を遂げていた。工房の朝は、子供たちの元気な声と、ギドが率いる忘れられた民たちが、黙々と、しかし誇らしげに浄水フィルターや「アクア・ヴィータ」を製造する音で始まる。


「レオ! あんた、東地区への配達、またサボろうとしてるんじゃないだろうね! 今日のノルマは三十本だよ! 一本でも足りなかったら、あんたの夕食のパンは半分だからね!」


工房の販売部門を仕切るリコの檄が飛ぶ。彼女は、スラムの孤児たちを見事にまとめ上げ、恐るべき販売網を構築していた。当初はどんぶり勘定だった売上も、今ではセツナが考案した帳簿によって、銅貨一枚に至るまで、正確に管理されている。


そのセツナは、工房の奥にある執務室で、静かに羊皮紙の束と向き合っていた。彼女の仕事は、もはや俺の護衛だけではない。原材料の仕入れルートの最適化、生産計画の策定、在庫管理、そして、鉄血傭兵団への納品スケジュールの調整。工房の頭脳であり、心臓部とも言えるロジスティクスを、彼女はたった一人で、完璧に掌握していた。


先日、俺は彼女に一つの重要な任務を任せた。第二王子ゼノンへの状況報告の手紙の起草だ。その手紙には、シエルでの俺たちの成功を伝える表向きの内容に加え、セツナ自身の筆で、彼女の今後に関する一つの「請願」を、暗号に近い言い回しで盛り込ませた。それは、彼女が「カゲ」という影の身分を返上し、一人の人間として、俺の元で生きることを許してほしいという、彼女の魂の叫びだった。王家への裏切りとも取られかねない、危険な賭けだ。彼女が書き上げた文面は、元「影」としての諜報能力と、新たに芽生えた戦略家としての視点、そして一人の女性としての切なる願いが見事に融合した、心を揺さぶるものだった。


そして今日、バルトランの隊商が、王都からの返信を運んできた。セツナは、その封蝋を認めると、緊張した面持ちで、俺の目の前で静かに手紙を開いた。その手は、僅かに震えている。


手紙には、ゼノン王子からの、予想外なほど温かい言葉が記されていた。


「――君の新しい『任務』、それを祝福しよう。影には、光が当たらぬ場所でしか生きられぬという掟がある。だが、君は自らの力で、光の中へと歩み出す道を見つけたようだ。ならば、行け。カガヤ殿の、その輝かしい『影』として、存分に力を振るうがいい。王家は、君の新たな門出を、心から歓迎する」


それは、彼女の請願を、まるで予測していたかのような、そして、一人の人間としての彼女の未来を心から祝福する、第二王子からの、粋な返答だった。セツナの瞳から、一筋の涙が、安堵と共にこぼれ落ち、羊皮紙の上に小さな染みを作った。


「……カガヤ様。王子殿下は……」


彼女は、声を詰まらせながらも、手紙の続きを読み上げた。


「聖女セレスティア様は、ご無事である、と。しかし、教会内では、筆頭審問官サルディウス派の力が再び強まり、聖女様を『異端者に与する者』として、その行動を制限しようとする動きが活発化している、とのことです」


声は冷静さを取り戻していたが、その奥には、遠い王都の仲間を案じる色が滲んでいた。


「ですが、セレスティア様も、ただ守られているだけではないようです。リリアンナ様と共に古代文献の研究を続けながら、教会内の穏健派の神官たちを、密かに味方に引き入れている、とも……」


その思考の鋭さと効率性は、俺の知るどんな経営者にも引けを取らない。暗殺者として培われた能力が、ビジネスの世界で、これほどまでに開花するとは、俺自身、予想していなかった。


「……セツナ。少し、休憩したらどうだ?」


俺が、薬草をブレンドした温かいお茶を差し出すと、彼女は帳簿から顔を上げた。その表情は、かつての「影」のような冷たさは消え、柔らかな光を宿している。


「ありがとうございます、カガヤ様。……ですが、鉄血傭兵団からの追加発注が。遠征部隊の半数に、アクア・ヴィータ・フォルテを正式採用する、と」


「そうか。それは、大きな商談だな」


「はい。ですが、同時に、錬金術ギルドを、さらに刺激することにもなります」


セツナの言う通りだった。鉄血傭兵団という盾を得たことで、ギルドからの公然たる妨害は、完全に止んだ。だが、それは、彼らが屈服したことを意味するわけではない。


先日、俺がお忍びで街の市場を訪れた時のことだ。錬金術ギルドの前に差し掛かると、中から出てきた数人の錬金術師たちが、俺の姿を認め、あからさまに忌々しげな視線を向けてきた。彼らは何も言わない。だが、その沈黙は、どんな罵声よりも雄弁に、彼らの憎悪を物語っていた。


〈アイ。彼らの感情レベルを分析〉


《マスター。対象者たちのストレスレベル、及び敵対的思考パターンに、有意な上昇を検知。彼らは、屈辱と、そして無力感に苛まれています。この状態は、しばしば、非合理的な行動への引き金となります》


「冷戦、といったところか」


彼らは、俺を潰す機会を、静かに、そして執拗に、窺っているのだ。


そんな中、シエルの街の、俺に対する評価も、複雑に変わり始めていた。


スラム街や労働者地区では、俺は英雄だった。


「カガヤ工房の旦那のおかげで、ガキどもが病気にならなくなった」


「アクア・ヴィータがなけりゃ、今頃、過労でぶっ倒れてたぜ」


彼らにとって、俺の商品は、生活を、そして命を支える、希望の光だった。


だが、街の中心部、裕福な商人や他のギルド関係者たちの間では、俺の評判は、芳しいものではなかった。


「どこの馬の骨とも知れん男が、傭兵団を笠に着て、市場の秩序を乱している」


「彼の作る薬は、人の理を超えている。何か、よからぬ術を使っているに違いない」


嫉妬と、警戒。そして、理解できないものへの、根源的な恐怖。それらが、俺という存在を、危険な異物として、彼らの社会から切り離そうとしていた。


「光が強ければ、影もまた、濃くなる。か……」


俺は、工房の窓から、活気に満ちたシエルの街を見下ろしながら、独りごちた。


その日の午後、鉄血傭兵団の屈強な士官が、工房を訪れた。彼は、ザルム配下の衛兵のような威圧感はなく、むしろ、取引先への敬意を払う、ビジネスマンのような雰囲気を纏っていた。


「カガヤ殿。今月の『フォルテ』、確かに受領した。代金は、こちらに」


彼が差し出した革袋はずしりと重く、俺たちの事業が、もはやスラムの子供たちのお遣い稼ぎのレベルではないことを、如実に物語っていた。


「それから、これは団長からだ」


士官は、そう言うと、一枚の羊皮紙を俺に手渡した。


「団の斥候が、東の『黒の森』で、奇妙な連中を目撃した、と。カガヤ殿の言っていた、『炎の紋章』とやらの特徴と、一致するかもしれん」


俺は、その報告書を受け取り、目を通した。そこには、森の奥深くで、何らかの儀式を行っている、仮面をつけた集団の様子が、詳細に描かれていた。


「……奴ら、まだこの近くに潜んでいたか」


俺の呟きに、セツナが、鋭い視線で報告書を覗き込む。


「カガヤ様。これは……」


「ああ。偶然じゃないだろうな。奴らの目的は、俺か、あるいは……」


俺は、言葉を濁した。忘れられた民の里で聞いた、古代文明の遺産。奴らが求める「真の理」。その全てが、このシエルという街で、交錯しようとしている。


その夜、俺はセツナと共に、今後の対策を練っていた。鉄血傭兵団という強力な味方は得た。だが、敵は、一枚岩ではない。錬金術ギルドの陰湿な妨害、そして、「炎の紋章」の狂信的な執着。俺は、いつの間にか、この混沌の都市が抱える、二つの巨大な闇と、同時に向き合うことになっていた。


「セツナ。リコたちの情報網を使って、ギルドと炎の紋章、双方の動向を、さらに詳細に探ってほしい。金の流れ、人の動き、どんな些細な情報でもいい」


「御意に」


彼女は、静かに、しかし力強く頷いた。その瞳には、もはや、かつてのような迷いはない。彼女は、自らの役割を、そして、この工房という名の「家族」を守るという、新しい「任務」を、見つけたのだ。


俺は、窓の外に広がる、シエルの夜景を見つめた。ギルドの沈黙は、嵐の前の静けさに過ぎない。そして、その嵐は、俺が想像するよりも、ずっと大きく、そして複雑な様相を呈し始めている。


だが、不思議と、恐怖はなかった。隣には、誰よりも信頼できる、最高のパートナーがいる。工房には、俺を信じ、慕ってくれる、新しい仲間たちがいる。


「面白い。やってやろうじゃないか」


商人として、この混沌の市場で、どこまでやれるのか。俺の胸には、宇宙を駆けた頃と同じ、危険で、そして抗いがたいほどの、興奮が満ちていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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