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第122話:鉄と血の契約

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

錬金術ギルドの息がかかった衛兵を、市場の衆人環視の中で論破し、撤退させてから数日が過ぎた。


「カガヤ工房」の評判は、一件以来、さらに熱を帯びてシエルの街を駆け巡っている。「アクア・ヴィータ」の売上は爆発的に伸び、工房の前には連日、長蛇の列が絶えることはなかった。民衆の支持という、何よりも強力な追い風。それは、俺たちのささやかな事業を、確かな軌道に乗せているように見えた。


だが、俺も、そしてセツナも、この勝利が、あまりにも脆い砂上の楼閣であることを理解していた。祝宴が終わり、子供たちが工房の二階で寝静まった後。工房の二階、俺に与えられた簡素な執務室で、俺たちは一枚の羊皮紙に描かれたシエルの勢力図を前に、静かに対峙していた。


「ザルム……錬金術ギルドの長は、このまま黙って引き下がる男ではない。今日の市場での一件は、彼のプライドを深く傷つけたはずだ。彼は、表立った手出しができないと分かれば、必ず、もっと陰湿で、狡猾な手を打ってくる」


俺がそう言うと、セツナは静かに頷いた。彼女は、影として生きてきた経験から、権力者がその座を守るためにどれほど非情になれるかを、誰よりも知っている。


「純水の販売、そしてアクア・ヴィータ。どちらも、ギルドの既得権益を脅かすものです。彼らは、我々を潰すためなら、どんな手段も厭わないでしょう。工房の者たちや、リコたちが危険に晒される可能性も……」


彼女の言葉に、俺は唇を噛んだ。物理的な脅威。それこそが、今の俺たちの最大のアキレス腱だった。忘れられた民のギドたちは屈強だが、その数は限られている。俺の理術も、セツナの暗殺術も、ギルドという巨大な組織が本気で動けば、多勢に無勢だ。


「……後ろ盾が、必要だ」


俺が呟くと、セツナは、すでに答えを用意していたかのように、勢力図の一点を、その白い指で指し示した。そこには、交差した二本の戦斧を象った、荒々しい紋章が描かれている。


「『鉄血傭兵団』……。シエルで、最大の武力を保有する、最強の傭兵団です」


彼女は、この数日間で収集した情報を、淀みなく語り始めた。


「団長の名は、ジン。『戦鬼』の異名を持つ、歴戦の傭兵です。彼は、出自や種族を問わず、ただ『実力』と『結果』のみを評価する、徹底した実利主義者。同時に、部下からの信頼は絶対的で、彼らの命を何よりも重んじると言われています」


《マスター。彼女の分析を補足します。鉄血傭兵団は、五大ギルドのいずれにも与しない、中立の立場を貫いています。その理由は、彼ら自身の武力が、どのギルドにも匹敵する、あるいは凌駕するため。彼らは、シエルにおける、第六の『権力』と言っても過言ではありません》


アイの報告が、セツナの言葉を裏付ける。これ以上の相手はいない。だが、問題は、どうやってその「権力」と交渉のテーブルにつくかだ。


「傭兵団の最大の悩みは、常に『補給』です」


セツナは、まるで俺の心を見透かしたかのように、続けた。


「特に、遠征先での、負傷者の治療と、兵士たちの疲労回復。高価なポーションを大量に購入するには、莫大な金がかかる。そこに、我々が付け入る隙があります」


「なるほどな……。俺たちの『アクア・ヴィータ』は、彼らにとって、最高の『商品』になりうる、か」


「はい。ですが、問題は……」


「どうやって、団長のジンに会うか、だな」


俺たちは、顔を見合わせた。最強の傭兵団の長が、どこの馬の骨とも知れない新参者の商人に、そう易々と会うはずがない。


「……一つ、手があります」


セツナの瞳が、初めて、影としてではない、戦略家としての鋭い光を宿した。


「リコたちの情報網によれば、三日後、鉄血傭兵団は、街の南にある鉱山へ、大規模な護衛部隊を派遣します。ですが、その情報を、ライバルである『黒蠍傭兵団』が嗅ぎつけ、部隊を奇襲し、鉱山の利権を奪おうと画策している、との情報が……」


「面白い。絶好の『企画説明(プレゼンテーション)』の機会じゃないか」


俺の口元に、商人としての笑みが浮かんだ。



三日後。シエル南方の岩石地帯。


鉄血傭兵団の屈強な傭兵たちが、鉱山から採掘された魔石を積んだ荷馬車を護衛しながら、慎重に進んでいた。


その彼らの行く手を、黒い鎧に身を包んだ、黒蠍傭兵団の兵士たちが塞いだ。


「これより先は、我ら黒蠍の領域だ。鉄血の者どもは、ここで朽ちるがいい」


奇襲。そして、圧倒的な数の差。鉄血傭兵団の誰もが、死を覚悟した、その時だった。


突如、黒蠍傭兵団の足元が、輝く結晶の壁によって阻まれた。


「な、なんだこれは!?」


俺は、岩陰から姿を現すと、大気中の魔素を瞬間的に圧縮・結晶化させ、防御壁を生成したのだ。


「――そこまでだ」


俺の声に、両軍の動きが止まる。その隙を突き、一つの影が、疾風のように戦場を駆け抜けた。セツナだ。彼女の小太刀が、黒蠍傭兵団の隊長たちの、鎧の隙間、腱、関節といった急所を、的確に、しかし決して命を奪わぬ絶妙な力加減で切り裂いていく。


数秒後。黒蠍傭兵団は、誰一人死ぬことなく、しかし、戦闘能力だけを完全に奪われ、その場に崩れ落ちていた。


「……さて、鉄血傭兵団の皆さん。お怪我は?」


俺がそう声をかけると、呆然としていた彼らの隊長が、ハッと我に返り、俺たちに深々と頭を下げた。


「……助太刀、感謝する。あんたたち、一体何者だ?」


「カガヤ工房の者です。あなた方の団長、ジン殿に、ちょっと『商談』がありましてね。案内を願えますかな?」



鉄血傭兵団の巨大な砦。その最奥にある団長室は、戦場の匂いと、鉄と、そして幾多の戦場を生き抜いた者だけが持つ威圧感に満ちていた。


部屋の中央、巨大な黒鉄の机の向こうで、顔にいくつもの古い傷跡を持つ、壮年の男が、鷹のような鋭い目で、俺たちを見据えていた。彼が、戦鬼ジン。


「……面白い芸当を見せてくれる。お前たちの目的は、分かっている。俺たちに、何を売るつもりだ?」


彼の言葉には、一切の無駄がない。俺は、懐から二つのボトルを取り出した。一つは、通常のアクア・ヴィータ。そしてもう一つは、より濃い琥珀色をした、小さなボトル。


「こちらが、市販している『アクア・ヴィータ』。そしてこちらが、あなた方のために特別に開発した、『アクア・ヴィータ・フォルテ』です」


俺は、セツナが事前に調査した、傭兵団の負傷者のデータと、ポーションの購入費用が書かれた羊皮紙を、机の上に広げた。


「『フォルテ』は、薬草の有効成分濃度を極限まで高め、さらに、戦闘で消耗した筋繊維を修復するための、特殊なアミノ酸を合成・配合してあります。ポーションのように瞬時に傷は塞がりませんが、継続的に摂取することで、負傷からの回復速度を、従来の三倍以上に高めることができる。兵士たちの体にかかる負担も、極めて少ない」


俺は、そこで一度、言葉を切った。


「あなた方は、兵士が傷つくたびに、高価なポーションでその場を凌いでいる。それは、刃こぼれした剣を、魔法で一時的に繕っているに過ぎません。いずれ、その剣は折れる。兵士という、最も価値ある戦力そのものが、使い潰されているようなものです。俺の提案は、違う。その剣の『鋼』そのものを、内側から鍛え直し、より強靭で、折れにくいものへと作り変えること。兵士たちの体質を根本から改善し、そもそも怪我をしにくい、タフな体を作る。これは、消耗品への出費ではなく、あなた方の力の根幹への『投資』ですよ」


ジンは、黙って俺の話を聞いていた。


「この『アクア・ヴィータ・フォルテ』を、あなた方に、独占的に供給する。価格は、あなた方が現在ポーションに支払っている費用の、七掛けでいい。その代わり、我がカガヤ工房は、鉄血傭兵団の公式なパートナーとして、あなた方の『庇護』をいただきたい」


それは、単なる商品の売り込みではなかった。互いの利益と、未来を賭けた、ビジネス・ディール。


ジンは、やおら立ち上がると、「フォルテ」のボトルを手に取り、その匂いを嗅ぎ、そして、自らの腕に、短剣でわざと浅い傷をつけた。


「……!」


セツナが、息を呑む。


彼は、その傷口に、「フォルテ」を数滴垂らすと、残りを一気に呷った。


数秒後。彼の顔に、驚愕の色が浮かんだ。


「……傷の痛みが、引いていく……。それだけじゃない。体の奥から、力が、漲ってくる……。これは……!」


彼は、俺の顔を、そして隣に立つセツナの顔を、改めて見つめた。


「……面白い。その的確な情報収集能力と、状況分析。そして、この前代未聞の商品。貴様ら、ただの商人ではないな」


彼は、豪快に笑った。


「その契約、結ばせてもらおう。これよりカガヤ工房は我らの『パートナー』だ。……この取引の価値を理解できん愚か者が現れたなら、鉄と血でもって、その意味を教え込むまでだ」


その力強い言葉は、シエルの街に、新たな権力図が生まれたことを、高らかに宣言していた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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