第13話:灰色の荒野を越えて
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※ タイトル変更しました。(旧タイトル:宇宙商人の英雄譚)
夜明け前の、最も深く冷たい闇の中、俺はアルカディア号のハッチの前に立っていた。
生まれ変わった装備が、ずしりと体に馴染む。背には、数日分の食料とサバイバルツールを詰め込んだバックパック。腰には、魔素合金の小刀と、断崖絶壁を克服するための『斥力ワイヤー』。そして、右腕には、俺の新たな力、『音速撃』を放つために改良した触媒ブレスレットが、静かに青い光を宿していた。
「アイ。俺がいない間、船の防衛と、新アルカディア号の基礎建造を頼む。何かあれば、すぐに知らせろ」
「お任せください、マスター。新たに編成した防衛用のスティンガー部隊が、常時警戒態勢を維持します。マスターのバイタルデータも、リアルタイムでモニタリングします。どうか、ご無事で」
アイの言葉を背に、俺は森へと足を踏み出した。目指すは、北東の未踏の領域。新たなる方舟の心臓と、この星の深淵に触れるための旅路は、確かな目的地を得て、その第一歩を踏み出した。
最初の二日間は、比較的順調だった。ドローンによってマッピングされた、半径50キロメートルの既知の領域。俺は、アイが示した最も安全なルートを進んだ。時折、⿏型魔獣の群れや、単独行動の魔獣と遭遇したが、もはや脅威ではなかった。
斥力スピアで仕留め、食料として必要な分だけを解体し、残りは森の生態系へと還す。その一連の作業は、もはや日常の一部となっていた。
そして、三日目の朝、俺は世界の境界線に立っていた。
目の前に広がる光景に、俺は思わず足を止めた。それまで続いていた、生命力に満ちた緑の森が、まるでナイフで切り取られたかのように、ぷっつりと途絶えている。その先にあるのは、灰色の岩と、ねじくれた枯れ木だけが点在する、荒涼とした大地だった。空の色さえ、どこか色褪せて見える。
「アイ、ここから先が、未踏査領域か」
《はい、マスター。これより先、魔素の濃度と流れが、著しく不安定になります。スティンガー部隊を壊滅させた、グレイブ・ダイバーの縄張りと推測されます。最大限の警戒を》
一歩、灰色の土に足を踏み入れる。
空気が、違う。
湿り気を帯びた森の匂いは消え、乾いた風が、砂塵と、微かな硫黄の匂いを運んでくる。足元の植物は、生命力を感じさせない、硬質なものばかりだ。まるで、世界の裏側に迷い込んでしまったかのような、不気味な静寂が、俺の心を締め付けた。
その静寂は、突如として破られた。
ヒュッ、と。空気を切り裂く、鋭い音。俺は、咄嗟に身を屈めた。直後、俺が立っていた場所のすぐ横の岩肌に、黒い刃のようなものが突き刺さり、甲高い音と共に火花を散らした。
「上か!」
見上げると、灰色の空を背景に、数体のグレイブ・ダイバーが、音もなく旋回していた。奴らは、俺という獲物を見つけ、品定めをするかのように、ゆっくりと距離を詰めてくる。
《マスター、3体です。 回避行動を。》
アイの警告と同時に、一体が急降下してきた。その速さは、クエイク・ボアの突進とは比較にならない。だが、今の俺は、以前の俺とは違う。
「アイ、敵機の飛行パターンを予測! 照準アシストを!」
俺は、右腕の触媒ブレスレットに意識を集中させる。腕の先、空間が陽炎のように歪み、エネルギーの銃身が形成されていく。スコープも照準もない。俺の研ぎ澄まされた五感と、アイの弾道計算だけが頼りだ。
グレイブ・ダイバーが、翼からブーメランのような斥力フィールドを放ってくる。俺は、それを最小限の動きで躱しながら、トリガーとなる「撃て」という意思を、脳内で爆発させた。
ドドンッ!
ソニックブームが、荒野の空気を震わせる。放たれた不可視の弾丸が、空を切り裂き、一体のグレイブ・ダイバーの翼を、根元から粉砕した。バランスを失ったグレイブ・ダイバーは、甲高い悲鳴を上げながら、錐揉み状態になって墜落していく。
「ぐっ……!」
だが、代償は大きかった。魔素反動を殺しきれず、右腕に、灼けるような痛みが走る。連射はできない。一発一発が、俺の神経を削り取っていく。
残るは二体。奴らは、仲間がやられたことに警戒したのか、距離を取り、上空から俺を牽制するように、翼からブーメランのような圧縮された空気を飛ばしてくる。
「ちっ、面倒な奴らだ……」
俺は、岩陰に身を隠しながら、反撃の機会を窺った。だが、奴らは一向に隙を見せない。このままでは、ジリ貧だ。
「アイ、何か手は無いのか。このままじゃ、こっちの集中力が先に尽きるぞ」
《……マスター。彼らの攻撃は、翼という物理的な質量に依存しています。斥力フィールドで、あの翼の軌道を逸らすことは可能ですか?》
「やってみる価値は、あるな」
再び、一体が圧縮ブーメランを放ってきた。俺は、結界を展開するのではなく、斥力フィールドを、盾のように、ごく薄く、そして瞬間的に展開させる。圧縮ブーメランが、不可視の盾に触れた瞬間、キィン!という金属音と共に、その軌道が僅かに逸れ、俺のすぐ脇を通り過ぎていった。
いける。だが、これを続けるのは、あまりにも消耗が激しい。
《マスター、一体が、隙を見せました。仲間を援護するためか、僅かに高度を下げています》
好機。だが、それは、罠かもしれない。俺は、一瞬、躊躇した。だが、この好機を逃せば、次はないかもしれない。
俺は、岩陰から飛び出した。そして、高度を下げた一体に狙いを定める。だが、それは、やはり奴らの罠だった。もう一体が、俺の死角となる背後から、音もなく急降下してきていた。
《マスター、後ろです!》
アイの絶叫。だが、振り向く時間はない。
俺は、咄嗟に、狙いを背後の敵へと切り替えた。だが、発射が間に合うか。
その瞬間、俺は思考を切り替えた。照準を合わせる時間はない。ならば、狙わずに当てるしかない。
「アイ、全方位に斥力フィールドを瞬間放出! 出力最大!」
《無茶です、マスター、 エネルギーの逆流で、神経系が……》
だが、やるしかない。俺は、ブレスレットに、これまでとは比較にならないほどの、膨大な魔素を流し込んだ。
「うおおおおおっ!」
俺を中心に、不可視の衝撃波が球状に爆発した。周囲の地面が抉れ、砂塵が舞い上がる。背後から迫っていたグレイブ・ダイバーは、その衝撃波の壁に叩きつけられ、翼を砕かれながら、あらぬ方向へと吹き飛ばされていった。
俺は、その場に膝をついた。全身から力が抜け、視界が明滅する。魔素の使いすぎだ。だが、まだ、終わっていない。
残る最後の一体が、仲間たちの死に激昂したのか、一直線に、俺めがけて突っ込んできた。
俺は、朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞り、音速撃の銃身を形成する。
「……これで、終わりだ」
放たれた弾丸は、正確に、グレイブ・ダイバーの心臓を貫いた。
どれほどの時間が経っただろうか。俺が意識を取り戻した時、空は、すでに茜色に染まっていた。俺は、三体の魔獣の死骸を前に、ただ、荒い息を繰り返していた。
生き残った。その事実だけが、俺の心を支えていた。
その夜、俺は、グレイブ・ダイバーの翼を加工して作った、即席のシェルターの中で、焚き火にあたっていた。その翼は、驚くほど軽く、そして頑丈だった。新たな素材の発見は、この過酷な旅路における、数少ない報酬だった。
旅は、まだ始まったばかりだ。だが、俺は、確かな手応えを感じていた。俺は、もう、ただの遭難者ではない。この世界の法則を学び、それを自らの力とする、一人の戦士なのだと。
俺は、遥か東の空を見つめた。あの向こうに、何が待っているのか。今は、まだ分からない。だが、俺は、必ずそこへたどり着く。
静かな決意を胸に、俺は、深い眠りへと落ちていった。
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