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第117話:混沌の序曲

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「忘れられた民」の隠れ里を後にしてから、三日が過ぎた。


 長老が教えてくれた秘密の道は、地図にも載らない、獣だけが知るような険しい間道だった。だが、その道は驚くほど安全で、俺たちは一度も危険な魔獣に遭遇することなく、嘆きの連峰を抜けようとしていた。


 荷馬車の御者台で手綱を握りながら、俺は革袋に入った黒い鉱石の重みを確かめる。病の原因であったはずの、呪われた石。だが、今は俺の商人としての未来を切り拓く、最初の「元手」であり、希望そのものだった。


〈アイ、新しい触媒の分析結果は?〉


《マスター。驚くべき結果です。この『月長石』と呼ばれる鉱物は、極めて高純度のエーテル伝導体です。不純物を精製し、カタリストのコアと置換した場合、エネルギー変換効率は理論上、従来の300%以上に向上します。出力も安定し、より精密な物質生成が可能となるでしょう》


 アイの報告に、俺の口元が思わず緩む。これさえあれば、シエルでの最初の事業計画に、確かな弾みがつく。


 隣に座るカゲの様子も、心なしか変わったように思えた。あの里で、俺が浄化装置を作り、村人たちの病の原因を突き止め、そして「契約」によって鉱石を手に入れるまでの一部始終を、彼は黙って見ていた。彼の暗殺術とは全く違う、知識と交渉による問題解決。それが、この寡黙な斥候の目にどう映ったのかは分からない。だが、俺たちを隔てていた氷の壁に、ほんの少し、ひびが入ったような気がしていた。


 山道を抜け、再び乾いた平原が広がる。地平線の彼方に、巨大な防壁のシルエットが、陽炎の中に揺らめいて見えた。


「……シエルか」


 ついに、たどり着いた。王都アウレリアを出て、約半月。思いの外長くなってしまった旅程も、ようやく終わりを告げようとしていた。俺が安堵のため息をつき、シエルの威容に目を奪われていた、まさにその時だった。


「……止まれ」


 カゲの、短く、しかし鋭い声が、空気を切り裂いた。


 俺が視線を前に戻すと、街道の中央、シエルへと続く最後の峠道に、一人の男が、まるで古くからそこに立つ石像のように、静かに佇んでいた。


 今までの狂信者たちとは、明らかに放つ空気が違う。豪奢だが、禍々しい装飾が施された仮面。その下に覗く目は、狂信の熱に浮かされるのではなく、全てを値踏みするような、冷たい知性に満ちている。


《マスター、危険です。彼の身にまとう武具から、極めて高レベルの魔素反応を検知。遺跡で遭遇した古代の遺物、あるいはそれを基に作られたものです》


「ようこそ、旅人よ。そして、王家の犬」


 仮面の男の声は、静かだが、有無を言わせぬ威圧感を持って、俺たちに届いた。


「我が名はマラハ。この地にて、『真の理』を探究する者だ」


 彼は、ゆっくりとこちらに歩み寄りながら、続けた。


「異邦人カガヤ。君のことは、サルディウス審問官殿からよく聞いている。そして、シュトライヒ男爵の件もな。君の言う『理術』とやら、実に興味深い。だが、それは我らが神聖なる『理』を汚す、危険な『(わざ)』だ」


「あんたたちの言う『真の理』とやらが、ただの破壊と混沌のことにしか聞こえないがな」


 俺が挑発するように言うと、マラハは仮面の奥で、静かに笑った。


「破壊ではない。浄化だ。この世界は、かつて『星の民』がもたらした偽りの光によって、その理を歪められた。我らは、それをあるべき姿に『調律』しているに過ぎん。君のその小賢しい理術は、その歪みをさらに助長させる、最も排除すべき『雑音(ノイズ)』なのだ」


 彼の言葉は、忘れられた民の長老が語っていた歴史と、奇妙に符合していた。だが、その結論は、あまりにも独善的で、危険すぎる。


「君の持つ、その異質な知識の源。そして、まるで未来でも見ているかのような、その的確すぎる判断力の正体。それらを、ここで明らかにさせてもらおうか」


 マラハが右手を掲げると、その腕に装着された手甲が青白い光を放ち、周囲の魔素を凄まじい勢いで吸収し始める。空気が歪み、肌が粟立つほどのプレッシャーが、俺たちにのしかかる。


「カゲ!」


 俺が叫ぶより早く、カゲは荷台から飛び降り、音もなくその場から消えていた。斥候の仕事ではない。暗殺者の動きだ。


 だが、マラハは、まるでカゲの動きを完全に読んでいたかのように、その場で微動だにしない。


「無駄だ」


 カゲが、マラハの死角である背後から、闇色の小太刀を閃かせた、その瞬間。マラハの身体から、魔素の衝撃波が全方位に放たれた。


「ぐっ……!」


 不可視の攻撃に、カゲの身体が木の葉のように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。


「カゲ!」


 俺は腕の触媒に意識を集中させ、防御結界を展開する。だが、マラハの放つ魔素の奔流は、これまでとは桁が違った。結界が、ガラスが砕けるような甲高い音を立てて霧散する。


「ほう。それが、君の『理術』の源か。面白い玩具だ」


 マラハは、俺の腕にある触媒に、初めて興味を示したようだった。


「だが、お遊びはここまでだ。君のその『理』が、どれほど脆いものか、教えてやろう」


 奴の手甲から、凝縮された魔素の刃が、次々と放たれる。俺は、アイの予測を頼りに、必死でそれを回避する。だが、これは、一人対、この世界の理そのもの、というような、絶望的な戦いだった。


 俺は、ついに膝をついた。触媒があろうと、俺の体力は無限じゃない。カゲも、深手を負い、荒い息を繰り返している。


「終わりだな、異邦人」


 マラハが、ゆっくりと俺に近づいてくる。


 万事休す。俺が、セレスティアの顔を思い浮かべながら、死を覚悟した、その瞬間だった。


 ドドドドド……ッ!


 背後の街道から、複数の馬蹄の音が、地響きとなって急速に近づいてきた。


「カガヤ殿! ご無事か!」


 砂塵の中から現れたのは、熊の獣人バルトラン率いる、あのキャラバンの一団だった。彼らは、俺たちと別れた後、迂回路を通ってシエルを目指していたが、この峠道で起こっている異様な魔素の乱れを察知し、駆けつけてくれたのだ。


「あんたにゃ、でっかい借りがあるんでな! ここで見殺しにはできねえよ!」


 バルトランが叫ぶと、屈強な傭兵たちが、一斉にマラハへと襲いかかる。


 さらに、驚くべきことに、峠の左右の岩陰から、山羊の角を持つ獣人たちが、無数に姿を現した。忘れられた民。彼らもまた、長老の「予見」に従い、俺たちの援軍として駆けつけてくれたのだ。


「なっ……! どこから、これだけの数が!」


 マラハの冷徹な声に、初めて動揺の色が浮かぶ。彼は確かに強い。だが、歴戦の傭兵団と、地の利を完璧に把握した獣人たちの、波状攻撃。その全てを、一人で捌き切れるはずがなかった。


「マラハ……滑稽だな。あんたたちのやっていることは」


 俺は、膝をついたまま、しかし嘲るような、冷たく澄んだ声で呟いた。憎悪に満ちたマラハの視線が、俺に突き刺さる。


「『調律』? 『浄化』? 聞こえはいいが、要するに、理解できないものを恐れ、排除し、世界を単純化したいだけだろう。あんたたちの掲げる『真の理』とは、思考停止した世界、エントロピーが増大しきった、ただの熱的死だ。そこには何の発展も、進化もない」


 俺は、俺のために戦う傭兵たちと獣人たちを、弱々しく指し示した。


「見ろ。出自も、信じる神も、目指す未来も違う、この混沌カオスを。だが、この多様性こそが、世界を前に進める原動力だ。新しい関係が生まれ、新しい価値が創造される。あんたたちの、過去に固執するだけの排他的な『調和』など、この雑然とした、しかし生命力に満ちた『不協和音』の前では、あまりにも脆く、そして……つまらない」


 俺の言葉は、彼の掲げる思想そのものを、宇宙の理に反する、退屈で無価値なものだと断じる。


「……黙れ、異邦人が!その小賢しい口、二度と開けなくしてくれる!」


 マラハは、怒りに我を忘れ、最後の力を振り絞り、俺に止めを刺そうと突進してくる。だが、その動きは、すでに精彩を欠いていた。彼の脇腹を、バルトランの巨大な戦斧が薙ぎ払い、その体勢を崩したところを、カゲの小太刀が、的確に鎧の隙間を貫いた。


「ぐ……お……っ!」


 仮面の奥から、苦悶の声が漏れる。マラハは、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけると、懐から黒い球体を取り出し、地面に叩きつけた。


「この屈辱……決して忘れんぞ、異邦人……!」


 黒い煙と共に、彼の姿は、その場から跡形もなく消え去った。


 後に残されたのは、静寂と、そして、様々な種族の者たちが、互いに肩を貸し、傷を癒し合う、不思議な光景だった。


 俺は、バルトランに助け起こされながら、その光景を、ただ呆然と見つめていた。力だけが全てじゃない。知識だけでも、駄目だ。人を動かし、未来を切り拓くのは、積み重ねた信用の先に生まれる、絆という名の力なのだ。


 商人として、俺は、この世界で最も価値のある「真理」を、学んだ気がした。


 戦闘の後始末がひと段落した頃、忘れられた民のリーダーらしき、一際屈強な獣人が俺の元へ歩み寄ってきた。彼は、右の拳を自らの左胸に当て、深く頭を下げた。


「旅人カガヤ。我らは、長老の命により、あなたの力となるために参った。我が名はギド」


「ギドか。あんたたちがいなければ、俺たちは今頃、命はなかっただろう。感謝する」


 俺が礼を言うと、ギドは静かに首を振った。


「礼を言うのは我らの方だ。あなたは、我らの里を長きにわたる呪いから解き放ってくれた恩人。そして長老は言われた。『あの男の進む道こそが、我ら忘れられた民が、再び世界の理と関わるための唯一の道標となるだろう』と」


 彼の言葉に、俺は長老の静かな瞳を思い出していた。


「我らは、このままあなたに同行し、シエルまでお供させていただきたい。これは、長老からの願いでもある。我らの里の未来を、あなた自身に賭けたいのだ。あなたと『契約』を結ぶことはできぬだろうか?」


 それは、単なる護衛の申し出ではなかった。孤立していた一族が、カガヤという仲介者を通じて、世界との新たな関係を築こうとする、未来に向けたビジネスの提案だった。


 俺は、彼の真摯な目を見つめ返した。彼らは、俺がシエルで事業を興す上で、最も信頼できる、最初のパートナーになるかもしれない。


「……分かった。契約成立だ、ギド殿。まずは、シエルまで、よろしく頼む」


 俺がそう言って右手を差し出すと、ギドは力強い握手でそれに答えた。


 俺たちは、キャラバンと、そしてギドをはじめとする忘れられた民の一部と共に、シエルへと続く最後の坂道を下っていった。


 夕陽に染まる平原の先に、巨大な城壁都市が、その威容を誇示するようにそびえ立っている。


 自由交易都市シエル。


 俺の新たな戦場。そして、俺が商人として、本当の意味で再起を果たす、始まりの場所。


 俺は、その混沌の坩堝を真っ直ぐに見据え、不敵に、そして力強く、笑った。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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