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第115話:衝角羊の波

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

バルトラン率いる多国籍キャラバンに加わってから、さらに三日が過ぎようとしていた。俺たちの旅路は、フォルトゥナ王国の南東辺境領、王都の法よりも街道の掟が優先される、乾いた風の吹く荒野を進んでいた。目的地である自由都市シエルまでは、もうすぐの場所だ。


キャラバンの日常は、俺にとって興味深い観察対象だった。様々な種族、異なる文化、そして多様な価値観。それらが「交易」という一つの目的の下に集い、奇妙な調和を保っている。ガレリア帝国出身の無骨な機械技師が、エルフの繊細な工芸品を熱心に眺めているかと思えば、砂漠の獣人族の戦士が、フォルトゥナ王国の甘い果実酒に舌鼓を打っている。ここは、国家という枠組みを超えた、生命の多様性の見本市のような場所だった。


「カガヤ殿。あんたのその『理術』とやらは、どうもわしらガレリアの機械工学とは、相性が悪そうだ」


休憩中、蒸気機関の部品を磨いていた初老の技師、ドルガンが、俺にそう話しかけてきた。彼の言葉には、魔法を信じない機械文明の民らしい、実直な響きがあった。


「魔法のような、不確かな奇跡じゃない。俺たちの技術は、歯車と歯車が噛み合うように、寸分の狂いもなく、計算通りに動く。それこそが信頼できる『力』なのさ」


「俺も同感ですよ、ドルガンさん」俺は笑って答えた。


「俺の理術も、奇跡なんかじゃない。ただ、目に見えないだけで、そこには必ず法則と計算がある。歯車が噛み合うように、物事の理が、あるべき場所にはまっているだけのことです」


俺の答えに、ドルガンは「ふん」と鼻を鳴らしたが、その目には、ほんの少しだけ、俺という存在への興味が宿っているように見えた。


俺とカゲの関係性は、依然として静かなままだった。あの一件以来、彼は必要最低限の言葉以外、俺に話しかけることはない。だが、その瞳は、以前にも増して鋭く、常に周囲の全てを警戒している。彼はプロフェッショナルとして、自らの任務を完璧に遂行している。そのことに、俺は静かな敬意を抱き始めていた。彼我の信条は違えど、互いが互いの生存に不可欠な存在であるという、奇妙な共存関係が、俺たちの間に成立していた。


緩やかな丘陵地帯を抜け、見晴らしの良い平原に出た、まさにその時だった。

突如、大地が、規則的なリズムで震え始めた。それは、地震のような不規則な揺れではない。まるで、巨大な心臓が、地平線の向こうで鼓動しているかのような、重く、そして不吉な振動だった。


「……なんだ、この揺れは?」

キャラバンの傭兵たちが、ざわめき始める。


「敵襲! 敵襲だ!」

見張り台に立っていた斥候が、絶叫した。その指さす先、地平線が、黒い津波のようなもので覆われていく。


地揺(ちゆ)らしの衝角羊(しょうかくよう)だ! なぜ、こんな場所に、これほどの数が!」

バルトランの野太い声が、野営地に響き渡る。その声には、長年の商人としての経験をもってしても、隠しきれない焦りの色が滲んでいた。


衝角羊――。その名の通り、頭部に巨大な衝角のような角を持つ、大型の魔獣だった。その一体一体が、小型の戦車に匹敵するほどの突進力を持つ。だが、彼らの真の恐ろしさは、その個の力ではない。群れ全体が、まるで一つの生き物のように、完璧に統率された動きを見せることにあった。


「陣形を組め! 対騎馬戦術で行くぞ! 魔法使いは、足止めを!」

傭兵団の隊長が叫び、屈強な戦士たちが大盾を構えて密集方陣を組む。だが、その戦術は、この特異な魔獣の前では、全くの無意味だった。


衝角羊(しょうかくよう)の群れは、一直線に突っ込んでくるのではない。左右に大きく展開し、波状攻撃を仕掛け、こちらの防御陣の一点に、まるで意志を持っているかのように、その破壊力を集中させてくる。


「駄目だ! 陣形が崩される!」

数頭の衝角羊(しょうかくよう)が、盾の壁の僅かな隙間をこじ開け、陣の内側へと雪崩れ込む。悲鳴と、金属が砕ける甲高い音。統率を失った傭兵たちが、次々とその巨大な角の餌食となっていく。


〈アイ、状況を分析! 奴らの動きのパターンを探せ!〉

俺は、荷馬車の陰に身を隠しながら、脳内でアイに指示を出す。


《マスター。衝角羊の行動パターンを解析。彼らは、視覚ではなく、地面を伝わる極低周波の振動によって、互いの位置と意思を伝達しています。現在観測される群れの動きは、極めて高度に組織化された、集団戦闘行動です。また、我々の防御行動によって発生する振動が、逆に彼らの連携を強化してしまっています》


「……なんだって?」

俺は、戦慄した。こちらの防御行動が、敵を利している。これでは、ジリ貧どころか、自滅だ。


だが、その絶望的な情報の中に、俺は一筋の光明を見出した。

弱点と長所は、常に表裏一体。奴らの最大の武器が「振動による連携」であるならば、その通信網を乗っ取り、混乱させることができれば……。


俺は、荷馬車の陰から飛び出し、指揮を執るバルトランの元へと駆けた。


「バルトランさん! 俺に考えがある! だが、あんたの積み荷をいくつか、使わせてもらう必要がある!」


「カガヤ殿!? 何を言っている! 今はそれどころでは……!」


「このままじゃ全滅する! 奴らは、俺たちの足音や叫び声を聞いて、次の動きを決めているんだ! なら、こっちから、もっとデカい音で、奴らの耳元で『嘘の情報』を叫んでやればいい!」


俺の突拍子もない言葉に、バルトランは目を丸くした。だが、次々と仲間が倒れていく惨状と、俺の瞳に宿る確信の色とが、彼に決断を促した。


「……分かった! 何が必要だ!? 持って行け!」


俺は、ガレリア帝国の荷馬車へと駆け寄った。


「ドルガンさん! あんたの積み荷を貸してくれ! 一番デカい歯車と、頑丈な金属板、それから、あの蒸気ピストンもだ!」


「馬鹿を言うな、カガヤ殿!」ドルガンは、自分の荷を守るように立ちふさがった。「それらはただの金属の塊ではない。寸分の狂いもなく組み上げられた、わしらの技術の結晶だ。あんたの言う、得体の知れない『理術』とやらで、一体何をするというのだ?」


彼の声には、自らの仕事への誇りと、未知の技術への深い不信が滲んでいた。


「奇跡を起こすわけじゃない。理屈は単純だ。奴らは音で会話している。なら、こっちからもっと大きな音を出して、奴らの会話を邪魔してやればいい。そのための『拡声器』を、あんたの部品で即席で作りたいんだ」


「拡声器だと…? 無茶苦茶だ。そんなことをして、この精密な機械が無事だと思うのか?」


ドルガンの疑念に、俺は真っ直ぐ彼の目を見つめ返した。


「無事かどうかは、俺の腕次第だ。だが、このままでは、あんたも、その大事な部品も、ここで魔獣の餌食になる。失敗したら代金は俺が払う。だが、成功すれば、あんたたちの命が助かる。悪い商談じゃないだろう?」


商人としての、俺の言葉。それは、頑固な職人の心をも動かした。彼は、忌々しげに、しかし言われた通りの部品を、荷台から取り出した。


俺は、アイが網膜に投影する設計図に従い、常人離れした速度でそれらの部品を組み上げていく。カタリストを接続し、魔素の流れを調整する。それは、この世界の誰にも理解できない、しかし、厳密な科学法則に基づいた、即席の「音響兵器」だった。


歯車を組み合わせ、蒸気ピストンの往復運動を回転運動へと変換し、その力で巨大な槌が、金属板を一定のリズムで叩くように設計する。


《音響共振装置、試作一号基、起動準備完了。目標周波数を設定してください》


「周波数は、奴らの警戒振動の、ちょうど逆位相だ。奴らの『言葉』を、打ち消すノイズを発生させる!」


俺は、隣で息を潜めていたカゲに向き直った。


「カゲ、頼みがある。この装置の効果は、おそらく群れの中心にいるリーダーに届かせないと意味がない。お前にしかできない仕事だ。リーダーを、この場所まで誘き寄せてくれ」


カゲは、俺が作り上げた、蒸気を吹く奇妙な絡繰と、俺の顔を、一度だけ見比べた。そして、フードの奥で、その目が挑戦的に輝いたのが分かった。彼は、何も言わずに頷くと、影の中へと消えた。


数分後。戦場の喧騒の中で、ひときわ巨大な一頭の衝角羊が、怒りの咆哮を上げた。カゲが、その巨体の周りを、まるで戯れるかのように動き回り、巧みに挑発しているのだ。狙い通り、リーダーは他の獲物には目もくれず、カゲだけを追って、一直線にこちらへと向かってくる。そして、そのリーダーに釣られるように、群れ全体のベクトルが、俺たちが仕掛けた罠へと収束していく。


「――今だ!」


俺が叫ぶと、カタリストから供給されたエネルギーを受け、蒸気ピストンが激しく動き始めた。


ドゥゥン……! ドゥゥン……!


人の耳には、ただの低い唸り音にしか聞こえない。だが、地面を通じて伝わるその強烈な低周波は、衝角羊たちの感覚器官を、内側から破壊するかのようだった。


グギャアアアアアッ!?


彼らの統率された動きが、完全に崩壊した。互いにぶつかり合い、混乱し、あるものは苦しみにのたうち回り、あるものは明後日の方向へと逃げ惑う。彼らの最大の武器であったはずの「連携」が、今や、自らを滅ぼす足枷となっていた。リーダーは、振動の発生源である装置の目の前で膝をつき、泡を吹いて痙攣している。


「……な、なんだ、これは……」

「魔獣たちが、勝手に……」


傭兵たちは、目の前で起こった不可解な光景に、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。


「好機だ! 立て直せ! 各個撃破!」

バルトランの檄が飛ぶ。我に返った傭兵たちが、混乱する残党の掃討を開始した。


脅威は、去った。いや、俺が、去らせたのだ。


戦いが終わった後、野営地は、奇妙な静寂に包まれていた。誰もが、遠巻きに俺を見つめている。その目には、畏怖と、そしてほんの少しの恐怖が混じっていた。


そんな中、バルトランが、ゆっくりと俺の元へ歩み寄ってきた。彼は、俺の目の前で、深く、そして長い時間、その巨体を折り曲げた。


「カガヤ殿……。わしは、とんでもないお方をこの隊に引き入れてしまったようだ。あんたは、わしら全員の、命の恩人だ」


俺は、そんな彼に、商人としての笑みを返した。


「さて、商談を始めましょうか。俺の働きに見合う対価は、きっちり支払ってもらいますよ」


俺の言葉に、バルトランは一瞬きょとんとし、そして、腹の底から、豪快に笑い出した。


「わはははは! 違いねえ! あんたは、ただの腕利きじゃねえ! 本物の『商人』だ! よかろう! あんたの望むものは何だ! このバルトラン、何一つ惜しみはせんぞ!」


その夜の焚き火は、これまでになく明るかった。俺の隣には、カゲが座り、無言で、しかし俺が差し出したエールを静かに呷っている。言葉はない。だが、俺たちの間には、あの惨劇の夜に生まれた溝を埋めて余りある、確かな信頼関係が、確かに芽生えていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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