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第114話:緩衝地帯のキャラバン

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

神殿騎士たちの亡骸が転がる森に、夜明けの光が木々の隙間から静かに差し込んでいた。血の鉄臭い匂いと、朝露の湿った土の香りが混じり合い、死と生のコントラストを際立たせる。俺とカゲは、あの惨劇の後、一言も言葉を交わすことなく、ただ黙々と後処理を済ませていた。


俺の心に重くのしかかっていたのは、自らの無力さと、理想の脆さだった。非殺傷。情報の確保。それは、戦場を知らない者の、青臭い感傷に過ぎなかったのかもしれない。カゲのやり方は、冷酷で、容赦がない。だが、彼の判断が、結果として俺たち二人を生かしたこともまた、否定できない事実だった。彼の言う通り、あのままでは、俺たちは明日、ここで死体になっていたのかもしれない。


「……行くぞ」


俺が絞り出すようにそう言うと、カゲは荷台に積まれた騎士たちの武具を最後の防水布で覆いながら、無言で頷いた。そのフードの奥の瞳が、俺をどう見ているのか、今はもう窺い知ることはできなかった。俺たちの間に生まれた溝は、あまりにも深く、そして冷たい。


それから数日間、旅は重苦しい沈黙の中で続いた。俺は必要以上に口を開かず、カゲもまた、影として、ただそこに在るだけだった。気まずさから、俺はカタリストの調整に没頭した。アイの助けを借り、この地域の「野生の魔素」の特性を分析し、触媒の消耗を抑えるための新たな制御アルゴリズムを構築する。それは、この息の詰まるような旅路から、意識を逸らすための、唯一の逃げ道だった。


旅が始まって十日を過ぎた頃、街道の風景は、目に見えてその様相を変え始めていた。王都周辺の豊かな森林地帯は次第にその姿を消し、代わりに、緩やかな丘陵と、乾いた風が吹き抜ける、荒涼とした平原が広がっていく。


〈アイ、現在地は?〉


《マスター。現在、我々はフォルトゥナ王国の南東辺境領に進入しました。ここは王都の直接的な支配が及びにくい、事実上の『緩衝地帯』です。ここから国境沿いにある自由交易都市シエルまでは、あと一週間ほどの道のりです》


辺境の緩衝地帯。王国の法よりも、この地を往来する商人たちの掟や、力ある傭兵団の腕力が物を言う場所だ。街道をゆく商人たちの顔つきも、どこか険しさを増しているように見えた。


そんな折だった。ふと、街道の後方に、陽炎で揺らめく巨大な砂埃の柱が立っているのに気がついた。それは、俺たちの荷馬車よりも速い速度で、しかし着実に、その距離を縮めてきているようだった。


「……キャラバン、か」


俺が呟くと、隣で手綱を握るカゲが、初めて警戒を解いていない声で補足した。


「……ただのキャラバンじゃない。ガレリア帝国の紋章と、傭兵団の旗が見える。多国籍の、武装隊商だ」


やがて、その全貌が明らかになる。十数台の巨大な荷馬車が、幾重にも連なり、その周囲を、屈強な傭兵たちが護衛している。荷馬車には、フォルトゥナ王国では決して見ることのない、複雑な歯車や蒸気機関の部品らしきものが、山と積まれていた。そして、そのキャラバンを構成する人々の多様性は、俺の想像を超えていた。屈強な人間の傭兵、砂漠の民を思わせる軽装の獣人、そして、荷物の検分をする、鋭い目つきをしたエルフの姿まである。


「すごいな……。まさに、人種の坩堝だ」


俺たちが道の端に馬車を寄せてその行列をやり過ごそうとしていると、キャラバンの先頭をゆく、一際豪華な馬車が、俺たちの前でその歩みを止めた。

中から現れたのは、恰幅の良い、しかしその瞳には抜け目のない光を宿した、熊の獣人だった。


「旅のお方。もしや、貴殿もシエルを目指しておられるのか?」


熊の獣人の声は、見た目に反して穏やかで、理知的だった。


「いかにも。俺はカガヤ。シエルで一旗揚げようと思っている、しがない商人さ」


俺がそう名乗ると、彼は豪快に笑った。


「わはは! しがない商人が連れる護衛にしちゃあ、そちらの旦那はちいとばかし業が深すぎる。その佇まい、まるで王侯貴族にでも仕える影法師のようだ」


彼の視線は、俺の隣に立つカゲを、値踏みするように、しかし正確に捉えていた。カゲはフードを目深に被っているが、その常人ではない気配までは隠しきれていなかったらしい。


「わしは、このキャラバンを率いる、バルトランと申す。見ての通り、ガレリア帝国の機械部品を扱う商人さ。今回の荷はシエルまで届けることになっていてな。どうかね、カガヤ殿。ここから先は、魔獣も盗賊も増える。よければ、我らのキャラバンと道行きを共にしないか? もちろん、タダとは言わん。道中の護衛として、貴殿のその腕を見込んでの、商談だ」


彼の提案は、表面的には魅力的だった。だが、この無法地帯で、見ず知らずの相手を安易に信用するのは、自殺行為に等しい。俺は即答を避け、商人としてのポーカーフェイスを保ったまま、思考を巡らせた。


〈アイ。対象人物バルトランの欺瞞の兆候は?〉


《分析します……。マスター、現在のところ、彼の発言に意図的な嘘や敵意は検知されません。彼の関心は、カゲほどの護衛を従えることが可能な交渉力や背景に向けられているようです。戦略的観点から、この武装隊商と同行することは、単独行に比べ、生存確率を37.2%向上させると予測します》


アイの分析は、肯定的だった。だが、まだ足りない。俺は、視線だけで、隣に立つカゲに問いかけた。この男、バルトランは信用に足るか?この集団は、危険ではないか?と。


俺の視線を受けたカゲは、一瞬だけ、そのフードの奥の瞳をバルトランの護衛たちへと走らせた。彼の目は、傭兵たちの構え、装備の消耗度、そして士気の高さを、瞬時に見抜いている。やがて、彼は俺にだけ分かる、極めて微細な動きで、一度だけ頷いた。それは、「脅威ではない。むしろ、利用価値あり」という、彼の最大限の肯定のサインだった。


科学的分析と、実戦的直感。二つの信頼できる情報源が、同じ答えを示している。ならば、この話、乗る価値はある。


「面白い。その商談、乗らせてもらおう」


こうして俺たちは、バルトラン率いる多国籍キャラバンの一員として、シエルへの旅を続けることになった。


その夜、野営地では、いくつもの焚き火が焚かれ、様々な言語が飛び交っていた。ガレリア帝国出身の機械技師たちが、蒸気機関の部品を磨きながら、魔法を「学問のない迷信だ」とこき下ろしている。その隣では、ヴァナディース部族連合から来たという蜥蜴の獣人が、故郷の砂漠の精霊について、熱っぽく語っている。


俺は、バルトランと酒を酌み交わしながら、この世界の経済と、シエルという街について、貴重な情報を得ていた。


「シエルで成功する秘訣は、一つしかねえ。……『信用』だ」


バルトランは、エールを一口呷ると、真剣な目で俺に言った。


「あの街じゃ、出身も、種族も、信じる神も、何の意味も持たねえ。唯一、人を繋ぎ、金を動かすのが、積み上げた信用の重さだ。カガヤ殿、あんたがどれほどの腕利きだろうと、信用のない者に、シエルの商人は豆の一つも売ってくれねえだろうよ」


信用。それは、俺が宇宙商人として活動していた頃、最も重視していた概念だった。この異世界でも、その本質は変わらないらしい。


「勉強になるな」


俺がそう言うと、バルトランは満足げに頷いた。


野営地の喧騒から少し離れた場所で、俺は一人、夜空を見上げていた。この星の夜空は、地球のそれとは全く違う星の配置をしている。二つの月が、不気味なほど大きく、そして静かに輝いていた。


「……カゲ」


いつの間にか、カゲが俺の背後に立っていた。


「故郷で聞いた古い話があるんだ」


俺は、彼に語りかけるともなく、独り言のように呟いた。


「夜空に輝くあの光の粒、その一つ一つが、俺たちが今見ている太陽と同じような、世界を照らす光なんだそうだ。そして、その光の下には、俺たちとは違う理で、違う物語を生きる者たちがいるのかもしれない……。そう考えると、この夜空は、無数の物語が眠る、巨大な書庫みたいじゃないか?」


俺は、かつて地球の偉大な学者が遺した言葉を、思い出す。

『目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっている。だが、私はその浜辺で貝殻を拾い集めているに過ぎない。』


「世界は、きっと、俺たちが思うよりずっと賑やかで、そして、驚きに満ちている。俺は、そう信じているんだ」


俺がそう言って振り返ると、カゲは、何も言わなかった。だが、そのフードの奥で、彼の瞳が、俺が見つめる夜空の、そのさらに奥にある何かを、探しているように見えた。それは、この寡黙な暗殺者の心に、俺の言葉が、小さな波紋を広げた、最初の瞬間だったのかもしれない。


科学と原始。交わるはずのなかった二つの価値観が交差するこの旅は、危険な不協和音を奏でるか、あるいは未知の相乗効果シナジーを生み出すのか。その結末は、まだ誰にも予測できない。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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