第113話:理術と暗殺術
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王都アウレリアを後にしてから、五日が過ぎた。
俺とカゲを乗せた荷馬車は、フォルトゥナ王国の生命線である東方街道を、ただひたすらに進んでいた。舗装された道は王都から数キロも進むと途切れ、今はもう、轍の跡だけが残る土の道となっている。街道の両脇には、人の手が入っていない原生林がどこまでも続き、その深淵からは時折、未知の魔獣の咆哮が響いてくる。
この五日間、俺とカゲの関係性に、変化らしい変化はなかった。彼は、俺が手綱を握る御者台から数メートル離れた荷台の縁に、まるで石像のように座り続けている。食事の時も、野営の準備をする時も、彼が発する言葉は、任務に必要な最低限の単語のみ。その徹底したプロフェッショナルぶりは、相変わらず俺を感心させ、そして同時に、深い孤独を感じさせていた。
〈なあ、アイ。このままだと、俺のコミュニケーション能力が退化しそうだ〉
俺が脳内でぼやくと、アイは即座に応答した。
《マスターの懸念は理解できます。ですが、斥候カゲの行動は、索敵と警戒という彼の任務において、極めて高い効率性を維持しています。彼の沈黙は、五感から得られる情報を最大化するための、最適なインターフェース状態と分析できます》
〈それを人間味がないって言うんだよ……〉
科学的な正しさが、必ずしも人間の心の正解とは限らない。この惑星に来てから、俺はその事実を何度も突きつけられていた。
日没が近づき、俺たちは街道から少し外れた開けた場所で、野営の準備を始めた。カゲが周囲に巧妙な罠を仕掛け、警戒網を張る。その手際は、まさに芸術の域だった。地面の僅かな窪み、枝のしなり具合、風の流れ。その全てを計算し、自然と一体化した罠を、彼はものの数分で完成させてしまう。
その間に、俺は携帯型エーテル・リアクター「カタリスト」の準備をしていた。しかし、あの日以来、カタリストの調子は芳しくなかった。王都の安定した魔素環境とは違い、この森に満ちる「野生の魔素」は、あまりにも気まぐれで、そして不純物が多すぎた。
《警告。触媒の汚染度が許容値に近づいています。このまま高出力での稼働を続ければ、リアクターコアに不可逆的な損傷を与える可能性があります》
「クソっ、またか。純水一杯作るのにも、これじゃあ綱渡りだな」
俺は、忌々しげに舌打ちをした。この生命線は、俺が思うよりもずっと繊細で、扱いの難しい代物らしい。
その時だった。
それまで森の音に耳を澄ませていたカゲが、初めてその身に明確な緊張を漲らせた。
「……来るぞ」
彼の低い声と同時に、アイの警告が脳内に叩き込まれる。
《マスター! 複数の高速接近物体を感知! 後方、および左右の森林から! こちらを完全に包囲する動きです!》
月明かりすらない、完全な闇。その闇の中から、まるで滲み出すように、複数の人影が姿を現した。その数、十数名。全身を包むのは、教会の紋章が刻まれた、鈍色に輝く神殿騎士の鎧。彼らは一切の言葉を発さず、ただ静かに、しかし確実に、俺たちとの距離を詰めてくる。その動きには、先日までの追跡行にあったような慎重さはない。明確な、殺意だけがあった。
「問答無用、というわけか。サルディウスの差し金か、それとも……」
俺が呟くと、騎士たちの中から一際、体格の良い男が、一歩前に進み出た。兜の隙間から覗くその目は、狂信者のそれと同じ、揺るぎない正義とやらに燃えている。
「神の敵、異端者カガヤ。そして、それに与する『影』よ」
隊長らしき男の声が、静かな森に響き渡る。
「我らは、中央教会の権威を、そして神の秩序を乱す汝らを、この場で断罪する。これは、サルディウス審問官様からの、最後の慈悲だ。神の御前ではなく、この場で、誰にも知られず朽ち果てるがよい!」
交渉の余地はない。彼らにとって、俺たちはもはや、議論の相手ですらない。ただ、排除すべき「穢れ」なのだ。
〈アイ、戦闘モード。目標は、情報の確保。可能な限り、殺さずに無力化しろ〉
「カゲ、援護を頼む!」
俺が叫ぶのと、騎士たちが一斉に襲いかかってくるのは、ほぼ同時だった。
俺は御者台から飛び降り、即座に腕の触媒に意識を向ける。
〈アイ! 奴らの足元、地面の土壌成分を分析! 粘性を最大化できる物質を、局地的に生成しろ!〉
《了解。エーテル粒子を、高分子ポリマーへと強制変換。実行します!》
腕の触媒が、悲鳴のような高周波を上げた。出力は不安定だ。だが、それでも、隊長格の騎士が踏み込もうとした足元の地面が、一瞬にして、底なしの泥沼へと姿を変えた。
「なっ……!?」
バランスを崩し、足を取られる隊長。その隙を突き、俺はさらに追い打ちを掛ける。今度は、大気中の水分を瞬間的に凍結させ、無数の氷の礫を散弾のように撃ち出した。殺傷力はない。だが、視界を奪い、動きを鈍らせるには十分だった。
「小賢しい真似を! 魔法か!?」
騎士たちが混乱に陥る。俺の理術は、彼らの知るどんな魔法の体系とも違う。詠唱もなく、魔法陣もなく、ただ不可解な現象だけが次々と起こる。その予測不能性が、彼らの連携を乱し、隙を生み出していた。
(いける!)
俺が、このまま押し切れると確信した、その瞬間だった。
ヒュッ、と空気を切り裂く、鋭い音。
俺が作り出した混乱の、その中心を、一つの影が疾風のように駆け抜けた。
カゲだった。
彼の両手には、闇よりも黒い、二振りの小太刀が握られている。彼の動きは、もはや人間のそれではない。流れる水のように、あるいは消える煙のように、騎士たちの中をすり抜けていく。
そして、その軌跡上には、ただ、崩れ落ちる神殿騎士たちの姿だけが残されていった。
「ぐ……ぁ……」
一人の騎士が、自らの喉から血を噴き出しながら、信じられないといった目でカゲを見つめている。だが、カゲは、その視線を意にも介さず、次の獲物へと、その刃を滑らせる。一撃。ただの一撃で、人体の急所を的確に、そして寸分の狂いもなく貫いていく。それは、戦闘というよりも、あまりにも効率的な、「処理」と呼ぶべき光景だった。
「カゲ、やめろ!殺すな!もう十分だ!」
俺の絶叫が、森に響き渡る。だが、彼の動きは止まらない。俺が泥沼で足止めした騎士、氷の礫に怯んだ騎士。その全ての隙を、彼は見逃さなかった。影が舞うたびに、一つの命が、音もなく消えていく。
やがて、森には静寂が戻った。
生き残ったのは、最初に俺が足止めした、隊長格の男、ただ一人。彼は、部下たちの亡骸に囲まれ、恐怖と絶望に顔を引きつらせながら、その場にへたり込んでいた。
カゲが、その隊長に、ゆっくりと歩み寄る。その小太刀の切っ先が、月明かりを反射して、冷たく輝いた。
「待てと言ったはずだ、カゲ!」
俺は、彼の前に立ちはだかった。
「なぜ殺す必要があった!? 彼らは情報を引き出せる、貴重なサンプルだったんだぞ!」
俺の言葉に、カゲは初めて、フードの奥から、感情のこもった視線を向けた。それは、冷たい侮蔑の色だった。
「情報、だと?」
彼は、吐き捨てるように言った。
「こいつらは、情報を吐く前に舌を噛むか、心臓に仕込まれた呪詛で自壊する。教会の狂信者とは、そういう生き物だ。そして、生け捕りにしたところで、追手は無限に湧いてくる。お前のようなやり方では、俺たちは明日、ここで死体になっている」
彼の言葉は、あまりにも冷徹で、そして揺るぎない事実だった。
「これは、お前の言う『理術』とやらを試す実験場ではない。生きるか死ぬか、ただそれだけの、戦場だ。お前のやり方は、甘すぎる。その感傷が、俺たち二人を殺すことになる」
「……それでも、俺は……」
「殿下からの命令は、ただ一つ。何があっても、お前を生かしてシエルに届けること。そのためなら、俺はどんな手段も使う。たとえ、神をも殺すことになろうともな」
そう言い残すと、カゲは俺の横をすり抜け、震える隊長の首筋に、その黒い刃を、静かに、そして容赦なく、滑らせた。
後に残されたのは、血の匂いと、圧倒的な死の沈黙。そして、互いの信条が決して交わることのない、二人の異邦人だけだった。
俺は、自らの理想の脆さと、この世界の現実の厳しさを、改めて突きつけられていた。この寡黙な斥候との旅路は、俺が想像していた以上に、過酷なものになるだろう。茨の道は、まだ始まったばかりだった。
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