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第112話:自由都市シエルへの道

お読みいただき、ありがとうございます。

これより第6章開始です。


朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

夜明け前の、紫紺の空気がまだ王都アウレリアを支配している時間。巨大な城門が、一頭の荷馬車を通すためだけに、重々しい軋みを上げて僅かに開かれた。


俺、カガヤ・コウは、御者台で手綱を握りながら、一度だけ背後を振り返る。そこには、壮麗な王城のシルエットが、黎明の光の中に黒く浮かび上がっていた。


見送りはない。それが、俺の最後の我儘であり、彼らの気遣いだった。セレスティアの潤んだ瞳、ゼノン王子の固い握手、リリアンナの軽口。数々の想いを背中に感じながらも、俺はもう振り返らなかった。この旅立ちは、逃走ではない。俺が俺自身の足で立つための、宣戦布告なのだから。


「さて、と」


俺は小さく息を吐き、馬に軽く鞭を入れた。車輪が石畳を転がる音が、静かな早朝の街道に響き渡る。これより目指すは、大陸のへそに位置するという混沌の坩堝、自由交易都市シエル。ここからの旅路が、俺の、いや、俺たちの未来を決定づける。


荷馬車の幌付きの荷台をちらりと見る。そこには、交易品に見せかけた旅の道具と、そして影のように気配を消した、寡黙な相棒が潜んでいるはずだった。

斥候、カゲ。第二王子が俺につけた、王家直属の「影」。それが、この旅の、俺にとって最初の大きな不確定要素だった。


旅が始まって三日が過ぎた。その間、俺とカゲが交わした言葉は、驚くほど少ない。


「休憩を」

「了解」


「野営の準備をする」

「承知」


まるで、壊れた応答装置のような、簡素で無機質なやり取りだけが、俺たちの間を行き交う。彼は、御者台に座る俺の数メートル後方、荷台の縁に腰掛け、常に背後を警戒している。その姿は、まるで風景の一部のように周囲に溶け込み、注意して見なければ、そこに人がいることさえ忘れてしまいそうだった。


「なあ、カゲ。少しは何か喋ったらどうだ?このままだと、シエルに着く頃には、俺は独り言の達人になってるぞ」


俺が、努めて明るくそう話しかけても、彼は表情一つ変えず、ただ一言、「任務だ」と返すだけだった。その徹底したプロフェッショナルぶりには、感心するやら呆れるやら。


《マスター。彼の行動は、エネルギー消費を最小限に抑え、警戒任務に全リソースを割くという点で、極めて合理的です》


脳内に響くアイの冷静な分析に、俺は内心でため息をついた。


〈分かってるよ。だがな、アイ。人間ってのは、そういう非合理的なコミュニケーションで、互いの信頼を確かめ合う生き物なんだ。少なくとも、俺の故郷ではそうだった〉


《興味深い文化です。クゼルファとの交流データと比較し、信頼醸成における『無駄な会話』の有効性について、新たな仮説を構築します》


〈頼むから、余計な研究はしないでくれ……〉


俺は、アイとの不毛なやり取りを打ち切り、街道脇に広がる風景に目をやった。


フォルトゥナ王国の豊かな緑が、どこまでも続いている。道端に咲く名も知らぬ花々、森の奥から聞こえる鳥の声。この惑星イニチュムの生態系は、何度見ても飽きることがない。


一見すると、地球のそれと酷似している。だが、アイの分析によれば、その遺伝子情報の根幹には、地球の生物とは全く異なるロックが組み込まれているという。

例えば、あの赤い花。花弁の細胞を構成するタンパク質は、アミノ酸の配列こそ地球のものと似ているが、その立体構造を決定づけるフォールディングのパターンが、物理法則を無視したかのような、ありえない形を取っているらしい。


それは、この惑星に遍在するエネルギー、魔素の影響によるものだと、アイは推測している。魔素が、生命の設計図そのものに、DNAという記録媒体を超えたレベルで干渉し、進化の過程に未知のパラメータを与えているのではないか、と。


「神々の、悪戯か……」


この星の生命は、なぜこれほどまでに地球と似て、そして決定的に違うのだろう。まるで、同じキャンバスに、全く異なる絵の具と筆で描かれた、二枚の絵画のようだ。この謎を解き明かすこと。それもまた、俺がこの星で生きる、大きな理由の一つになっていた。


そんな思索に耽っていた俺の意識を、アイの鋭い警告が引き戻した。


《マスター、後方約五キロ。複数の騎馬。一定の距離を保ち追跡中です。装備の反射光パターンから、教会の神殿騎士である可能性が98.4%》


「……やはり、来たか」


俺は、手綱を握る手に力を込めた。王都を出てわずか三日。サルディウスの放った追手が、早くも俺たちの尻尾を捉えたらしい。


「カゲ、追手だ。教会の連中らしい」


俺がそう告げると、カゲは、それまで微動だにしなかった身体を僅かに動かし、背後の街道に視線を向けた。


「……数時間前から、気づいていた」


平然と、彼はそう言った。その声には、何の驚きも含まれていない。


俺の脳内でアイが《マスターの五感では感知不可能な、微細な地響きのパターンを識別していたと推測されます》と補足してくる。彼の斥候としての能力は、アイのセンサーすら凌駕する領域にあるのかもしれない。


その夜、俺たちは街道から少し外れた森の中で、野営の準備を始めた。追手の存在を意識しながらも、休息は必要だ。カゲが周囲の警戒と罠の設置を行う間に、俺は荷台から一つのアタッシュケースを取り出した。

王都を発つ直前に、アイの設計図を元に、ゼノン王子の協力を得て作り上げた、俺の新たな生命線。


「『カタリスト』起動するぞ、アイ」


ケースを開くと、中には複雑な配線と水晶のようなパーツで構成された、掌サイズの装置が鎮座していた。俺が触媒のブレスレットをかざすと、装置は微かな駆動音と共に青白い光を放ち始める。


「携帯型エーテル・リアクター……。アルカディア号のレプリケーターの、超簡易版だ。周囲の魔素を触媒で励起させ、限定的な質量へと相転移させる。まあ、今のところは純水か、味気ない栄養ペーストを作るのが精々だがな」


装置の排出口から、澄み切った水がコップに注がれていく。カゲが、その不可思議な光景を、フードの奥から無言で見つめていた。彼にとって、それは魔法でも奇跡でもない、理解不能な「技術」に映っているのだろう。


「飲むか?」


俺が水の入ったコップを差し出すと、彼は無言で受け取り、一口だけ口に含んだ。そして、何かを確かめるように、ゆっくりと喉を鳴らした。


順調だ、と思った矢先だった。


ビーッ、ビーッ、と甲高い警告音が鳴り響き、「カタリスト」の青白い光が、不安定に明滅を始めた。精製途中だった水は、プシュッという音と共にただの蒸気となって霧散する。


《警告。触媒の劣化速度が予測を大幅に超過。周辺環境の未知の魔素干渉により、エネルギー変換効率が著しく低下しています》


アイの無機質な声が、計画の前提が早くも崩れ去ろうとしていることを告げていた。


「クソっ……。王都の安定した魔素環境とは違うか。この辺りの『野生の魔素』は、想像以上に気まぐれで、制御が難しいらしい」


俺は、沈黙した装置を忌々しげに睨みつけた。これでは、今後の薬品精製はおろか、水や食料の確保すら怪しくなる。


「どうした」


初めて、カゲの方から俺に問いかけてきた。その声には、わずかながら、純粋な疑問の色が滲んでいた。


「……ちょっとした「からくり」の不調さ。だが、これで水も食料も、節約しなきゃならなくなっちまった。まいったな」


俺が肩をすくめてそう言うと、カゲは何も言わなかった。ただ、俺の顔と、機能を停止した「カタリスト」を一度だけ見比べると、音もなく立ち上がり、森の闇へとその姿を消した。


戻ってきたのは、それから三十分ほど経った頃だった。彼の片手には、皮袋に満たされた清水が、そしてもう片方の手には、見たこともない鳥が二羽、ぶら下がっていた。


彼は、その獲物を俺の前に無造作に置くと、短く、しかし確かな重みを持って言った。


「これが、俺たちのやり方だ」


その言葉に、俺は一瞬、虚を突かれた。そして、次の瞬間、思わず苦笑が漏れていた。

科学の万能性を信じ、未来を予測し、全てを計画通りに進めようとする俺。

自然の中で生きる術を知り、目の前の現実(いま)に即応する、カゲ。


科学と原始。交わるはずのなかった二つの価値観が交差するこの旅は、危険な不協和音を奏でるか、あるいは未知の相乗効果(シナジー)を生み出すのか。その結末は、まだ誰にも予測できない。俺は、カゲが差し出した鳥を手に取りながら、静かに、しかし強く、これからの戦いに思いを馳せていた。


「さて、どうしようかね」


追手の影が潜む森の闇を見つめながら、俺は静かに呟いた。その声は、焚き火の爆ぜる音に混じり、静かに夜の空気へと溶けていった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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