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幕間5-1:忘れられた遺跡の鎮魂歌

お読みいただき、ありがとうございます。

朝・昼・夕の1日3回の更新を目指しています。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。


カガヤが自由交易都市シエルへと旅立ってから、一月が過ぎた。

王都アウレリアは、第二王子ゼノンの下で新たな秩序を模索しつつも、水面下では未だ多くの思惑が渦巻いている。そして、あの日の衝撃的な出来事の舞台となった旧王都遺跡は、王家の厳重な管理下に置かれ、再び静寂を取り戻していた。


「……これほど、静かになってしまうとはね」


王立大図書館の特別顧問であり、この遺跡の公式調査団長でもあるハイエルフのリリアンナは、誰に聞かせるともなく呟いた。

彼女は今、あの日カガヤたちと足を踏み入れた、古代エルフの首都の遺跡に、再び立っていた。だが、その光景は、以前とはあまりにも様変わりしていた。


ゼノンが編成した王立遺跡調査団――王宮が誇る最高の学者、魔術師、そして騎士たちで構成された専門家チーム――は、この数週間、遺跡の隅々まで調査を行った。しかし、彼らが持ち帰る報告は、リリアンナを失望させるものばかりだった。


以前は、壁や天井そのものが淡い光を放ち、濃密な魔素の奔流が満ちていたこの場所は、今やただの冷たい石の回廊となっていた。魔素濃度は地上のそれと大差なく、かつて彼らの五感を直接揺さぶった、あの微かなハミング音も、今はもう聞こえない。まるで、遺跡そのものの魂が抜けてしまったかのようだ。


調査団を率いて、リリアンナは再び、あの「閉ざされた庭園」へと足を踏み入れた。

息を呑むほど幻想的だった光景は、そこにはなかった。


天井から垂れ下がっていた巨大な発光菌類は、その光をほとんど失い、力なく萎びている。銀色に輝いていた苔の絨毯も、今は色褪せた灰色のカーペットのようだ。そして、宝石のように輝いていた金属質の昆虫たちは、その骸を苔の間に点在させていた。


「……魔素が、枯渇したのね」


リリアンナは、一匹の昆虫の骸をそっと指でなぞった。


「この独自の生態系は、この遺跡に満ちていた膨大な魔素を糧としていた。そのエネルギー供給が断たれた今、彼らはもう、生きてはいけない……」


学者として、彼女はこの未知の生命体が失われていくことに、純粋な悲しみと、そして無力感を覚えていた。この希少な生態系を、何とかして保存しなければならない。だが、その方法は、今の彼女の知識をもってしても見当がつかなかった。


「リリアンナ様。やはり、奥は危険です。これ以上は……」


調査団の騎士が、心配そうに声をかける。

リリアンナは、静かに頷くと、庭園を後にし、遺跡の最深部――『星見の間』へと向かった。


そこもまた、沈黙に支配されていた。


かつて、彼らの目の前に壮大な宇宙を映し出した黒曜石のような壁は、今はただの黒い壁に戻っている。そして、部屋の中央に鎮座する、あの純白の石碑。セレスティアが触れたことで奇跡を起動させたそれは、今はただの灰色の石塊となり、その表面に刻まれた幾何学紋様も、もはや形を変えることはない。


調査団の魔術師たちが、あらゆる魔法を試みた。だが、石碑は、まるで死んでしまったかのように、一切の反応を示さなかった。


「……やはり、ダメか」


リリアンナは、そっと石碑に触れた。ひやりとした、ただの石の感触が伝わってくるだけだ。


「セレスティアの、あの特別な魔力の波長と、そして……カガヤの『理術』。その二つが揃わなければ、この『啓示の石』は、二度と目覚めることはないのかもしれないわね」


彼女は、調査の終了を宣言した。

これ以上、ここにいても、得られるものはない。むしろ、この遺跡の存在が外部に漏れることの方が、遥かに危険だ。特に、あの仮面の男――「炎の紋章」の者たちが、再びここを狙わないとも限らない。


「この場所は、封印する。今後、許可なく立ち入ることは許されない」


彼女は、調査団の者たちを遺跡の外へと退避させると、一人、始祖の霊廟の奥、巨大な石の扉の前に立った。

そして、ゆっくりと目を閉じ、古代エルフ語の、最も古く、そして強力な封印の呪文を詠唱し始めた。


彼女の体から、セレスティアの光とはまた違う、月光のように静かで、しかし不可侵の神聖さを帯びた魔力が溢れ出す。それは、この世界の理そのものに干渉し、空間を固定する、ハイエルフだけに伝わる大魔法だった。


詠唱が終わると、開かれたままだった石の扉が、地響きと共に、ゆっくりと、そして完全に、その口を閉ざした。数万年の眠りから覚めた古代の遺産は、再び、歴史の闇へとその姿を隠したのだ。


封印を終えたリリアンナは、一人、王立大図書館の自室に戻り、窓の外に広がる王都の夜景を見つめていた。

彼女の脳裏には、女王フィネラーラの最後のメッセージが、繰り返し響いていた。


『希望を継ぐ者よ、どうか、我らの夢を……』


「……あなたの言う『希望』が、本当にあの二人だというのなら、少し、前途多難すぎるわね、女王様」


彼女は、誰に聞かせるともなく、皮肉っぽく呟いた。

一人は、自らの力の大きさに戸惑う、心優しき聖女。

そして、もう一人は、この世界の理すら書き換えかねない、得体の知れない知識を持つ、異邦の商人。


(……カガヤ。あなた、今頃、どうしているかしら)


彼女は、遥か南東の空を見つめた。その先にある、自由交易都市シエル。

混沌と、自由。危険と、機会。


あの男のことだ。きっと今頃、その混沌の中心で、不敵な笑みを浮かべながら、新たな商談でも始めているに違いない。

そうでなければ、面白くない。


この千二百年の退屈を、初めて忘れさせてくれた、あの奇妙で、愛すべき謎なのだから。


「いつか、また、あの扉を開ける時が来るのかしら……」


リリアンナは、そっと目を閉じた。

その時が来るまで、自分は、この場所で、できることをするだけだ。

忘れられた歴史の断片を、一つずつ、丁寧に拾い集め、いつか帰ってくるであろう、あの星の旅人のために、道標を用意しておく。

それが、千二百年の時を生きる、自分に課せられた、新たな役割なのかもしれないと、彼女は静かに思うのだった。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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